りんのうじ日光山
輪王寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
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寺の画像はなし
中禅寺よりバスで戻り、大猷院へ。
徳川家光の墓。祖父の家康を崇敬していたため、祖父の墓より簡素にするよう指示したとかなんとか。
ここから二荒山、東照宮と見学し、三仏堂へ。
大猷院
三仏堂
日光山最初の寺院とされる四本龍寺を起源とする。
766年勝道上人によって開かれたと伝わる。
勝道上人一行が大谷川を渡れずに難儀している時、深沙大王が現れ2匹の大蛇を放ち、大蛇は橋となり勝道上人が無事対岸へ渡るのを助けたという伝説が残る。
日光山内への入り口に掛かる神橋(しんきょう)はこの伝説の場所にかかっており、橋の先には深沙大王を祀る深沙王堂が建つ。
勝道上人は大谷川の対岸に草庵を結び「紫雲立寺」(しうんりゅうじ)と称したが、後に音の似ている「四本龍寺」(しほんりゅうじ)と改めたという。
この四本龍寺が現在の輪王寺である。
旧四本龍寺跡には重文指定されている観音堂と三重塔が建つ。
三仏堂は日光山の総本堂である。現在の建物は1645年徳川家光の建築で重文指定されている。
神橋
深沙王堂
四本龍寺観音堂(重文)・三重塔(重文)
四本龍寺観音堂(重文)
四本龍寺本堂。807年下野国司・橘利遠の建立。
四本龍寺観音堂(重文)
四本龍寺三重塔(重文)
1241年弁覚上人が源実朝の供養のため建立したもの。現在の建物は1685年の再建。
四本龍寺三重塔(重文)
四本龍紫雲石
三仏堂(本堂)(重文)
相輪橖(重文)
1643年徳川家光の発願により天海僧正が東照宮奥院鬼門に建立された仏塔。明治の神仏分離により1881年現在地に移された。
黒門(本坊表門)(重文)
日光山総本坊・光明院の正門。
光明院稲荷社
1240年弁覚上人が総本坊・光明院を創建した際、鎮守として建立された。
常行堂(重文)
江戸時代
常行堂(重文)
江戸時代
常行堂法華堂渡廊(重文)
江戸時代
法華堂(重文)
江戸時代
世界遺産日光二社一寺の輪王寺
テレビで見て、三仏堂にお参りしたいと思い今回の旅行に行って来ました。
仏様を脚元から見上げると視線が合い不思議とお願い事を叶えて貰える気がしました。😄
輪王寺では色々な所で御朱印をいただけました。
お土産に香りの良いお線香をいただいて帰りました。
輪王寺大護摩堂
輪王寺
本地薬師
家康公坐像初公開記念
輪王寺三仏堂
金堂
日光大猷院
特別御朱印
「金閣殿」
日光大猷院
輪王寺大護摩堂特別御朱印
輪王寺宝物殿
遠足などでは、日光東照宮の名前しか出されないように思う。多分、小学校、中学校の社会科では、徳川家康は覚える必要があっても、日光山の開祖である勝道上人は、誰?それ?となるのみだ。
実は、私もそうであった。恥ずかしいな、ホンマに。だが、ここ日光山輪王寺は、二社一寺と言い、1つの大きな敷地の中に3つが神仏習合している。明治維新の新仏分離もあったのだろうが、そんなことは感じさせないものであった。
川越市にある喜多院で天海上人の像を観て、(北野武監督に似ているのだ)大ファンになってしまった私は、比叡山、上野、と天海上人ゆかりの地を巡った。そして、今回の日光・輪王寺であった。
しかし、輪王寺は予想していた以上に広かった。東照宮、二荒山神社を挟んで遠くに離れていたりと、とにかく歩いた。天海上人の座像が見られたのが嬉しかった。
📷2022/08/192️⃣日光山輪王寺「三仏堂」
徳川3代将軍・徳川家光公が本堂再建。
日光山内最大の木造建築物。
平成の大修理が2019年に終了。
鮮やかになって眩しいくらいです🌟
天台密教形式のお堂は日光山の総本山🙏
お堂前には、国天然記念物「金剛桜」😲
堂内には7m超の巨大な仏像が安置されており、下から見上げる御姿は圧巻です🌟
時間が有れば、ずっと眺めていたい💕
撮影禁止🈲のため写真撮れなかった😭
日光三所権現本地仏
(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)
を安置するので、三仏堂と呼ばれています。
三仏堂では、2種類の御朱印を拝受出来ます🙏
祀られる三仏は、
千手観音が総高703.6cm(本尊335.4cm)
阿弥陀如来・総高756.3cm(本尊306.3cm)
馬頭観音・総高744.7cm(本尊301.3cm)
とすべて7m超の巨大さです。
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