りんのうじ日光山
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楽しみ方輪王寺のお参りの記録一覧(3ページ目)

栃木県日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院である。明治初年の神仏分離令以後、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称される。近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。御朱印は直書き、各御堂ごとにあります。


この日は、東照宮大駐車場に車を停めて滝尾神社へ歩いて向かいました。道中に鎮座されています。
駐車場から、日光東照宮に続く道に登る前のアスファルトの道を右折、東照宮美術館の前で右折。「滝尾神社 900m」と書かれている小さな看板がすぐあるので、左折。あとはまっすぐ。左手に見えてきます。
日光開山の祖、勝道上人のお墓もありました。歴史好きにはたまらん場所かもしれないな・・・と思いながら参拝させていただきました。
東照宮は人が賑わっていましたが、こちらは静か。静謐な気配が漂っていました。こちら参拝後登って行くと、「これより滝尾道」の案内が。「史跡探勝路 神橋~滝尾神社」というのもありました。神橋から歩くコースなのね。なかなかの距離です・・・。
開山堂、観音堂、御朱印がいただけるかどうかはわかりませんでした。

おお、杉の巨木が沢山😍

観音堂(産の宮)
楊柳観音さんが祭られているそうです。

将棋の駒?

案内板 妊婦さんがこちらの駒を借りて帰り、神棚などにまつると無事出産できる。ちなみに出産後は借りた駒と新調した駒を一緒に返納する習わしになっている。とあります。安産の仏様なんですね。

陰陽石

こちらも安産祈願。

開山堂

おお?遠目に・・・?

石像が並んでおられる。
イケメンさんですね😦

もともと岩壁に並んでおられたもよう。たしかに切り立った岩壁が石像の背後にあります。

勝道上人のお墓があります。

仏岩で荼毘にふされたんですね。石像の並んでおられる岩壁の上方に埋葬されていたということでしょうか・・・?
東照宮鎮座のおりにこちらに移られたんですね。

日光観光していると、案内板が要所要所にあるのでありがたいです。勉強になります😐
オーディオガイドもあったのね・・・今気づきました。

開山堂を後にします。

「ここより滝尾道」

「史跡探勝路 神橋~滝尾神社」

ここから石畳が続きます。

日光山最初の寺院とされる四本龍寺を起源とする。
766年勝道上人によって開かれたと伝わる。
勝道上人一行が大谷川を渡れずに難儀している時、深沙大王が現れ2匹の大蛇を放ち、大蛇は橋となり勝道上人が無事対岸へ渡るのを助けたという伝説が残る。
日光山内への入り口に掛かる神橋(しんきょう)はこの伝説の場所にかかっており、橋の先には深沙大王を祀る深沙王堂が建つ。
勝道上人は大谷川の対岸に草庵を結び「紫雲立寺」(しうんりゅうじ)と称したが、後に音の似ている「四本龍寺」(しほんりゅうじ)と改めたという。
この四本龍寺が現在の輪王寺である。
旧四本龍寺跡には重文指定されている観音堂と三重塔が建つ。
三仏堂は日光山の総本堂である。現在の建物は1645年徳川家光の建築で重文指定されている。

神橋

深沙王堂

四本龍寺観音堂(重文)・三重塔(重文)

四本龍寺観音堂(重文)
四本龍寺本堂。807年下野国司・橘利遠の建立。

四本龍寺観音堂(重文)


四本龍寺三重塔(重文)
1241年弁覚上人が源実朝の供養のため建立したもの。現在の建物は1685年の再建。

四本龍寺三重塔(重文)

四本龍紫雲石



三仏堂(本堂)(重文)

相輪橖(重文)
1643年徳川家光の発願により天海僧正が東照宮奥院鬼門に建立された仏塔。明治の神仏分離により1881年現在地に移された。

黒門(本坊表門)(重文)
日光山総本坊・光明院の正門。

光明院稲荷社
1240年弁覚上人が総本坊・光明院を創建した際、鎮守として建立された。

常行堂(重文)
江戸時代

常行堂(重文)
江戸時代

常行堂法華堂渡廊(重文)
江戸時代

法華堂(重文)
江戸時代

世界遺産日光二社一寺の輪王寺
テレビで見て、三仏堂にお参りしたいと思い今回の旅行に行って来ました。
仏様を脚元から見上げると視線が合い不思議とお願い事を叶えて貰える気がしました。😄
輪王寺では色々な所で御朱印をいただけました。
お土産に香りの良いお線香をいただいて帰りました。

輪王寺大護摩堂

輪王寺
本地薬師
家康公坐像初公開記念

輪王寺三仏堂
金堂

日光大猷院
特別御朱印
「金閣殿」

日光大猷院

輪王寺大護摩堂特別御朱印

輪王寺宝物殿



遠足などでは、日光東照宮の名前しか出されないように思う。多分、小学校、中学校の社会科では、徳川家康は覚える必要があっても、日光山の開祖である勝道上人は、誰?それ?となるのみだ。
実は、私もそうであった。恥ずかしいな、ホンマに。だが、ここ日光山輪王寺は、二社一寺と言い、1つの大きな敷地の中に3つが神仏習合している。明治維新の新仏分離もあったのだろうが、そんなことは感じさせないものであった。
川越市にある喜多院で天海上人の像を観て、(北野武監督に似ているのだ)大ファンになってしまった私は、比叡山、上野、と天海上人ゆかりの地を巡った。そして、今回の日光・輪王寺であった。
しかし、輪王寺は予想していた以上に広かった。東照宮、二荒山神社を挟んで遠くに離れていたりと、とにかく歩いた。天海上人の座像が見られたのが嬉しかった。



























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