りんのうじ日光山
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栃木県 日光市 山内 に境内を構える、日光山 輪王寺、輪王寺 三仏堂、数々の文化財を有し世界遺産としても有名、明治初年の神仏分離令以後、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称される、2023.11下野七福神、下野三十三観音霊場にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 日光山、寺号は 輪王寺、宗旨 宗派は 天台宗、ご本尊は 三仏 (阿弥陀如来 千手観世音菩薩 馬頭観世音菩薩)、下野三十三観音霊場 第三番札所 旧本宮 四本龍寺 朱印所、下野七福神 毘沙門天、輪王寺の創建は天平神護2年(766)に勝道上人が弟子達と共に当地に修行に訪れた際、大谷川が増水し渡れないで困っていると、深沙大王の化身が出現し、2匹の大蛇石化させ橋として一行を迎え入れ、その先に男体山の方へ紫雲棚引く場所(現在の四本龍寺の境内)があった事から四神守護(青龍、朱雀、白虎、玄武)の聖地と悟り一宇を設けたのが創建とされます。勝道上人は当寺を拠点として日光山の開発に尽力し現在の本宮神社附近に男体山の神を勧請すると、さらに天応2年(782)には男体山(二荒山)の登頂を果し山頂に二荒山神社奥宮を建立し、延暦3年(784)には中禅寺湖畔に男体山の遥拝所として二荒山神社中宮祠と中禅寺を開いています。神護景雲元年(767)、又は延暦9年(790)に輪王寺の境内にも男体山(二荒山)を祀る二荒山神社を創建し守護神として神仏習合の形態を整えました。
嘉祥元年(848)には慈覚大師円仁が中興したとされ三仏堂、常行堂、法華堂などの堂宇の建立や境内の整備を行い弘法大師空海も修行に訪れたそうです。中世は歴代領主や権力者によって崇敬、帰依され、特に鎌倉時代に入ると幕府から庇護し、仁治年間(1240~1242年)には3代将軍源実朝が現在の日光東照宮付近に境内を移しています。戦国時代には小田原北条氏に与した為、寺運が隆盛し「日光三所権現」として山岳信仰も盛んになりますが戦国時代末期になると輪王寺が北条氏領で関係が深かった事から豊臣秀吉により寺領を没収され一時衰退します。
江戸時代に入ると幕府の重鎮だった天海僧上が再興し元和3年(1617)には江戸幕府の初代将軍徳川家康を祭る日光東照宮が創建されると、現在の 日光 二荒山神社に境内を移し、承応2年(1653)には3代将軍徳川家光の霊廟である大猷院霊廟が建立されています。翌年の明暦元年(1655)に後水尾上皇から「輪王寺」の寺号を賜ると後水尾天皇の第3皇子である守澄法親王が住職となり、以後、法親王が住職を歴任する事となり、徳川将軍家と皇族の両方から庇護され寺運も隆盛しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により古来から神仏混合だった日光山全体を日光東照宮、二荒山神社、輪王寺と「二社一寺」に分離され輪王寺も一時称号を没収され「満願寺」に改称、本坊が火災にあうなど憂いを被りましたが廃仏毀釈運動が収まった明治15年(1883)に輪王寺の寺号が許され、堂宇も随時再建されました。輪王寺三仏堂(本堂)は正保4年(1647)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅瓦葺き、一重裳階付き、平入、桁行34m、梁間22m、高さ26m、外壁は真壁造り、木部朱塗り、江戸時代初期の大型寺院本堂建築の遺構として大変貴重な事から国重要文化財に指定されています。現在でも輪王寺境内には古建築、御堂建築、寺宝など多くの文化財を所有し日光東照宮、二荒山神社と共に「日光山内」として国指定史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています



この日は、東照宮大駐車場に車を停めて滝尾神社へ歩いて向かいました。道中に鎮座されています。
駐車場から、日光東照宮に続く道に登る前のアスファルトの道を右折、東照宮美術館の前で右折。「滝尾神社 900m」と書かれている小さな看板がすぐあるので、左折。あとはまっすぐ。左手に見えてきます。
日光開山の祖、勝道上人のお墓もありました。歴史好きにはたまらん場所かもしれないな・・・と思いながら参拝させていただきました。
東照宮は人が賑わっていましたが、こちらは静か。静謐な気配が漂っていました。こちら参拝後登って行くと、「これより滝尾道」の案内が。「史跡探勝路 神橋~滝尾神社」というのもありました。神橋から歩くコースなのね。なかなかの距離です・・・。
開山堂、観音堂、御朱印がいただけるかどうかはわかりませんでした。

日光山最初の寺院とされる四本龍寺を起源とする。
766年勝道上人によって開かれたと伝わる。
勝道上人一行が大谷川を渡れずに難儀している時、深沙大王が現れ2匹の大蛇を放ち、大蛇は橋となり勝道上人が無事対岸へ渡るのを助けたという伝説が残る。
日光山内への入り口に掛かる神橋(しんきょう)はこの伝説の場所にかかっており、橋の先には深沙大王を祀る深沙王堂が建つ。
勝道上人は大谷川の対岸に草庵を結び「紫雲立寺」(しうんりゅうじ)と称したが、後に音の似ている「四本龍寺」(しほんりゅうじ)と改めたという。
この四本龍寺が現在の輪王寺である。
旧四本龍寺跡には重文指定されている観音堂と三重塔が建つ。
三仏堂は日光山の総本堂である。現在の建物は1645年徳川家光の建築で重文指定されている。



遠足などでは、日光東照宮の名前しか出されないように思う。多分、小学校、中学校の社会科では、徳川家康は覚える必要があっても、日光山の開祖である勝道上人は、誰?それ?となるのみだ。
実は、私もそうであった。恥ずかしいな、ホンマに。だが、ここ日光山輪王寺は、二社一寺と言い、1つの大きな敷地の中に3つが神仏習合している。明治維新の新仏分離もあったのだろうが、そんなことは感じさせないものであった。
川越市にある喜多院で天海上人の像を観て、(北野武監督に似ているのだ)大ファンになってしまった私は、比叡山、上野、と天海上人ゆかりの地を巡った。そして、今回の日光・輪王寺であった。
しかし、輪王寺は予想していた以上に広かった。東照宮、二荒山神社を挟んで遠くに離れていたりと、とにかく歩いた。天海上人の座像が見られたのが嬉しかった。
栃木県のおすすめ2選🌸

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