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ももがしらじんめいぐう

百頭神明宮
栃木県 福居駅

百頭神明宮について

大同二年(807年)創建と伝わる古社。
御神木の梛(なぎ)は熊野三山の速玉大社の御神木の種から芽吹いたものを移植。

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くし
くし
2025年01月11日(土) 08時14分31秒
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足利のやや南部にある百頭町という所に来ました。今度は天照大御神の神明宮です☀️
足利は伊勢神領の梁田御厨だったためか、ウチの氏神の御厨神社も含めて、伊勢・神明系の神社が結構多い。
もっとも有人社は足利伊勢神社のみだけど・・・(^^;

ここの百頭神明宮ですが、創建者は不明ですが創建年代が平安時代初期の大同二年(807年)とかなり古い‼️Σ(; °Д°)
足利伊勢神社が仁平元年(1151年)、ウチの御厨さんが康平6年(1063年)なので、200年以上も前⁉️
足利の全ての伊勢・神明系神社を調べたワケではありませんが、おそらく市内最古ではないかと・・・

大同二年に何があったのかWikipediaで調べてみたところ、この年は東北地方の数多くの神社仏閣の創設に関わる縁起が語られており、また四国遍路八十八ヵ所の1割以上がこの年が創設年。 また神道上の重要文献である古語拾遺が執筆されたのもこの年で、なにか宗教的熱狂が高まってた年の様子🙏
この約5年前の800年~802年に富士山の延暦大噴火が起こっているので、それで宗教に救いを求めたのかも🌋
さらにそれより数年前の797年に、坂上田村麻呂の蝦夷平定が起こってます。 四国遍路はともかく東北地方の寺社建立ラッシュについてはこれが関係してると思われ(-ω- ?)
朝廷の東北進出により、アラハバキ神のような蝦夷古来の信仰が、この頃から神道や仏教に駆逐されていったのかも?⚔️

アラハバキ信仰は東北から関東にかけて広がってそうで、現代でも全国各地の神社で客人神(まろうどがみ)として、ひっそり祀られており、
もともと東国の土地神として神社の主神だったのが、記紀神話の神々に取って代わられた例もあるらしい・・・・ということはひょっとしてここも⁉️💦

一説によるとアラハバキ神の正体は、神武天皇に敗れた生駒の長髄彦だそうです。
そしてなぜかこの百頭神明宮には神武天皇の遥拝所がある。 これは神武天皇の威光とか神力で、もともとこの地で祀られてたアラハバキ=長髄彦の影響力を上書きしようとしたんでは・・・?
なんか次々とフラグ立ちまくりなんすけど‼️😱
まぁ神武天皇遥拝所に関しては、明治~戦前の皇国史観で建てられたもので、実はさほど古いものではないのかもしれませんが😅

神道でもっとも王道的な神明宮にも関わらず、古史古伝や東日流外三郡志のような偽書の世界にも誘ってくれる、なかなかワクワクする神社でした😁www

百頭神明宮(栃木県)

神社の南側に参道入口

百頭神明宮(栃木県)

参道を道路が横切っており、その先が境内
左に社務所兼公民館

百頭神明宮(栃木県)

御神木の梛(なぎ)の木
熊野三山の速玉大社の御神木の種から芽吹いたものとのこと。

百頭神明宮(栃木県)

由来板に源頼朝と北条政子の故事が引用されてますが、この神社や御神木とは無関係w

百頭神明宮(栃木県)

妙に詳しく書かれた手水舎の案内板w

百頭神明宮(栃木県)

拝殿
近年建て替えられたものらしく社殿は新しい✨

百頭神明宮(栃木県)

拝殿内もかなりキレイ
無人だけど灯籠が点いてた💡 元日の消し忘れか、三が日ずっと点けておくのかは不明

百頭神明宮(栃木県)

本殿

百頭神明宮(栃木県)

神社右手は土地改良記念碑
岩がいくつか積まれている

百頭神明宮(栃木県)

神社左手は境内社群

百頭神明宮(栃木県)

天満宮、金比羅宮、秋山神社

百頭神明宮(栃木県)

浅間神社と稲荷神社

百頭神明宮(栃木県)

神武天皇遥拝所

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名称

百頭神明宮

読み方

ももがしらじんめいぐう

詳細情報

ご祭神《主》天照皇大神
《配》豊受大神・此花咲耶姫神・大物主神・菅原道真公・火産霊神
《境内社》神武天皇遥拝所
創建時代

大同二年(807年)三月二日

創始者

不詳

本殿

(本殿)神明造小板葺 (幣殿)切妻造瓦葺 (拝殿)入母屋造瓦葺

ご由緒

大同二(807年)年三月二日の創立といわれる。
元は住人の守護神として祀られていたが、梁田御厨の形成と共に神明社の一つになったと考えられる。
明治六年、村社に列せられた。
昭和六三年、社務所を新築して自治会館を兼ね、平成四年に幣殿・拝殿・本殿覆殿を改修した。

【百頭神明宮神社御神木】
一、学名、 梛(なぎ) マキ科常緑樹
和歌山県熊野三山の速玉大社の御神木で千年余の樹齢を誇る梛の大樹の種から平成二十二年五月に発芽した幼木です。
平成二十八年四月十日神明宮維持管理委員会の承認を経て百頭町の平安を祈願し現在地に移植されました。
梛の葉には葉脈が縦方向にしか有りません。横に裂く事が難しくその事から弁慶のチカラシバと呼ばれ、又、男女の結びつきの強さの象徴として花嫁が鏡の裏に忍ばせ嫁いだと言われています。
又、源頼朝と政子夫婦もお互いに梛の葉を御守にしたそうです。そして藤原定家も詠んでいます。
「千早ふる熊野の宮の梛の葉を変わらぬ千代の試しにぞ折る」

体験花の名所
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