しろおかじんじゃ
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楽しみ方城岡神社のお参りの記録一覧

強風と黄砂に煽られながら到着、拝殿裏には建物がそびえ立ち、都市的風景ですね。
社務所に行くと書置きを渡していることを恐縮していましたが、どうやら直書きを希望する方が多いようですね。神職様は諸行事でお忙しいことが解りますので逢えずとも、私は書置きでも良いので、参拝した証として事務の方から頂戴できればありがたいと思っています。
帰ろうとすると境内を手入れされていた方から声をかけられ、この地には江戸末期に兵学校があったことを伺いました。
徳川家臣が創建したそうですが、数年で江戸に移転したそうです。
静岡は徳川御三家ですから、水戸育ちの私にも興味が湧く話題でした。
石灯籠が2つあったが、戦争で1つは壊れたそう。
また氏子が1町内しかないそう。それはこの地が城内だったためで、お堀、町人町、侍屋敷、などを駅前通りに出て手振りで教えていただきました。
お堀は町の発展のために埋めたそうです。
教えて頂かなければ見落として帰るところでした。ありがとうございました。
ビル内に社務所
社務所

沼津駅や仲見世商店街からも近い
御朱印は書き置きです
書き置きです
神社の説明文
御朱印を入れる袋
入口付近
入口付近
全景
ここで御朱印をもらえます

駿河~三河 東照宮めぐ①『城岡神社』
週末の仕事終わりに横浜に向かい、翌朝から静岡〜愛知の東照宮をレンタカー旅。最初に立ち寄ったのが都市型神社『城岡神社』。その後は駿河の本命『久能山東照宮』に向かいました。
文政7年、沼津城城内(鬼門に位置する場所)にあった小祠に二代城主の老中水野忠成公が、第11代将軍・徳川家斉公より京都の伏見稲荷大社ご神体を拝受し、城の守護神としてこの地に奉斎。明治に東照大権現を相殿に勧請。
背後のビルとも相性抜群の本殿
スタイリッシュな都市型神社
お天気が悪く残念、、
青空ならステキ✨
御朱印はこちら

静岡県沼津市 城岡神社
沼津城鬼門。噂の白猫。
沼津駅前通り、現在の城岡神社付近にあった水野藩の殿舎(沼津城二の丸)を利用して沼津兵学校が設けられた。 最初は徳川家兵学校と称し、後に沼津学校とも呼ばれた。明治元年(1868年)将軍家の駿府70万石への移封が決定されると、江戸幕府が残した厖大な書跡・器械や優れた人材の活用を図るため、旧幕府陸軍の幹部を中心に兵学校設立の準備が開始された。 その計画は阿部邦之助が立て、江原素六の協力によって進められたという。明治元年12月に学校の組織・規則を定めた「徳川家兵学校掟書」「徳川家兵学校附属小学校掟書」が制定され、明治2年正月に開校した。
初代頭取には当代第一の啓蒙学者といわれた西周が招聘され、欧米の近代的学問、文化を採り入れ、その水準は当時の最高を示すもので、全国から優秀な人材が沼津に留学した。特に語学と数学はすぐれ、各学科の質の高さは全国的な評価を受けた。 生徒は原則的に静岡藩士に限られたが、員外生として福井・徳島などの他藩からの留学生も受け入れた。また、同校の予備教育機関として設けられた附属小学校は、近代的小学校の先駆といわれている。
これら先進的な学校制度や優れた教育内容は、全国的にも注目を集め、他藩にも影響を与えたが、廃藩置県後の明治4年(1871年)9月、兵学校は兵部省の管轄となり、明治4年12月には陸軍沼津出張兵学寮と改称され、陸軍兵学寮の分校となった。 そして、明治5年(1872年)5月には東京本校に合併・吸収され、ついに廃校となった。現在城岡神社境内に明治27年(1894年)9月、徳川家旧臣によって建てられた沼津兵学校の碑と、昭和15年(1940年)、沼津兵学校創立70周年を記念し、当時沼津郵便局横に建てられたこの碑が、その後移設され建てられている。
さんさん通り沿いのレストランボルカノの沼津あんかけスパゲッティが逸品。名古屋のものとはちょっと違う。隣店は昼から飲める酒蔵かわむら。

沼津城の跡地に建つ神社。
沼津駅前の通りにあります。
白い猫ちゃんが日向ぼっこをしていて可愛かったです^ ^
黒い鳥居とコンクリート造りでなかなか近代的な神社。
日向ぼっこ猫。
だらだら猫。
御朱印に沼津城跡とはいるのが良いですね!
静岡県のおすすめ3選🎋
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