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宝厳寺ではいただけません
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ほうごんじ|真言宗豊山派巌金山

宝厳寺
滋賀県 マキノ駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

島内なし。長浜港、今津港、彦根港にあり。

巡礼

その他の巡礼の情報

西国三十三ヶ所観音霊場第30番札所
江州三十三ヶ所観音霊場第17番札所
びわ湖百八霊場第44番札所
日本三大弁天(他は宮島大願寺・江ノ島金亀山与願寺)
神仏霊場巡拝の道第138番(滋賀第6番)
土鈴 浄土の鳥 近江六の札所巡り(長命寺・三井寺・石山寺・岩間山正法寺・観音正寺)

宝厳寺について

琵琶湖に浮かぶ一島分全体が霊場

弁財天の撮影はご遠慮下さい

御朱印は、各純白帳の分の朱印(100円の初穂料)
大弁財天御朱印
千手千眼観世音菩薩の御朱印
御詠歌の御朱印        の三つがあり〼

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月27日(火)
2030投稿

西国三十三霊場巡りで竹生島に訪れました。高校生の時に遊びで来て以来です。
船に乗ってお参りというのは初めてで とても楽しみにしていました。
もちろん船には出航予定があるのですが 少し早く着いて のんびり待ちました。
船に乗っている時間は20分ぐらいだったと思うのですが あっという間でした。

竹生島は信仰の島として有名ですが 小さな島には 本当にお寺と神社しかありません。
境内は見事に立体的で 三段に分かれています。
観音堂は一番下。本堂は二段目。三重塔が三段目です。
宝物殿もありましたがもちろん撮影禁止です。
本堂もとても立派な建物ですが 個人的には観音堂と唐門が好きになりました。
唐門は国宝にも指定されていて 観音堂は重要文化財に指定されていました。
崖ぎりぎりに建っているため 写真で全景を収めることができませんでした。
とても広いとは言えない境内ですが 階段が楽ではないのでまあまあ時間がかかりました。
しかし昔の人はすごいです。こんな小島に こんなにも立派な寺院を建立したのですから。
山寺でもそうですが 現代でも重機を使ったとしても相当な月数を要する建築を どうやったのかタイムマシンでその様子を見てみたいものです。
暑い暑いと言いながらですが とてもすがすがしい気持ちになりました。
またお参りしたと思います。

山号は巌金山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は大弁才天 創建年は伝・神亀元年(724年) 開山は伝・行基 開基は伝・聖武天皇(勅願)です。

由緒については
宝厳寺は奈良時代 僧・行基が開創したとされている。
行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て 架橋 治水灌漑などの社会事業にも尽くし 民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり 近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。
宝厳寺の寺伝によれば 神亀元年(724年) 聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ 大弁才天を祀ったのが起源とされている。
しかし 承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には 行基の来島は天平10年(738年)で 小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。
同縁起によれば 天平勝宝5年(753年) 近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が 千手観音を造立して安置したとある。
当初は寺名を本業寺(ほんごうじ)といい 東大寺の支配下にあったが 平安時代前期 10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様 比叡山延暦寺の傘下に入り 天台寺院となった。
以降 島は天台宗の僧の修行の場となった。
とありました。
おや?真言宗では?
空海がやってきて改宗されるパターンかと思うのですが。

宝厳寺(滋賀県)

船乗り場

宝厳寺(滋賀県)

島に到着

宝厳寺(滋賀県)

こんな船で

宝厳寺(滋賀県)

石柱

宝厳寺(滋賀県)

まずは大きな鳥居

宝厳寺(滋賀県)

二の鳥居に宝厳寺の石柱

宝厳寺(滋賀県)

瑞祥水の手水

宝厳寺(滋賀県)

井戸

宝厳寺(滋賀県)

やはり 龍

宝厳寺(滋賀県)

観音堂へ続く道

宝厳寺(滋賀県)

読めない 菩薩様

宝厳寺(滋賀県)

唐門

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

彩色がきれいです

宝厳寺(滋賀県)

観音堂内陣

宝厳寺(滋賀県)

観音堂内陣 写せるぎりぎり

宝厳寺(滋賀県)

修業大師像

宝厳寺(滋賀県)

本堂に続く石段に石柱

宝厳寺(滋賀県)

まあまあ上ります

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

鐘楼

宝厳寺(滋賀県)

手水

宝厳寺(滋賀県)

ここも 龍

宝厳寺(滋賀県)

天狗堂

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

本堂

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

不動明王

宝厳寺(滋賀県)

本堂

宝厳寺(滋賀県)

内陣

宝厳寺(滋賀県)

内陣

宝厳寺(滋賀県)

内陣

宝厳寺(滋賀県)

弁財天社

宝厳寺(滋賀県)

三龍善神 とありました

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

さらに上へ

宝厳寺(滋賀県)

三重塔

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

雨宝堂

宝厳寺(滋賀県)

西国三十三所観世音奉安殿

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

内陣

宝厳寺(滋賀県)

内陣

宝厳寺(滋賀県)

楽寿観世音菩薩

宝厳寺(滋賀県)

ぼけ封じをお願いしました

宝厳寺(滋賀県)

唐門を見下ろして

宝厳寺(滋賀県)

本坊

宝厳寺(滋賀県)

竹生島神社へ続く回廊

宝厳寺(滋賀県)

唐門から見て

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ご朱印モンキー🐵
ご朱印モンキー🐵
2023年02月19日(日)
310投稿

【西国33最終回 満願編】
いよいよ西国33最終回の満願編です😊
近江牛🐮食べて腹ごしらえもし彦根港から船に乗って竹生島へ🚢
いよいよ西国33最終目的地の宝厳寺さんへ唐門や船廊下にぶんぶん瓦投げに見どころ満載です😁
船の時間もあるので焦りながら参拝しました🙏

宝厳寺(滋賀県)

さあいよいよ出発です🚢

宝厳寺(滋賀県)

お~見えてきた🎶

宝厳寺(滋賀県)

お~いよいよや~🎶🎶

宝厳寺(滋賀県)

到着上陸です🎶🎶🎶

宝厳寺(滋賀県)

なんか急な坂道やなぁ最後まで💦💦

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

商店街を抜けていよいよです😁

宝厳寺の鳥居
宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺の建物その他

清水の舞台のちっこいバージョンですかね😊

宝厳寺(滋賀県)

ちみたぃ~っと思ったら一滴も流れてませんね😅

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

瓦投げの瓦は入口にしか売ってませんから💦

宝厳寺(滋賀県)

瓦の代わりではないですから😌

宝厳寺(滋賀県)

そしてここからが素晴らし彫刻が👀

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

伝わるかなぁ💦

宝厳寺(滋賀県)

船廊下です室町時代って古😊

宝厳寺(滋賀県)

伝わるかなぁ💦💦

宝厳寺の本殿

伝わるかなぁ💦💦💦

宝厳寺(滋賀県)

伝わるとえぇですが💦💦💦

宝厳寺(滋賀県)

めちゃめちゃ素晴らしですよ😆

宝厳寺(滋賀県)

ほんま見て見て👀

宝厳寺(滋賀県)

実際に見て欲しいです👀👀👀👀✌

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

めちゃめちゃ急な階段ですから💦

宝厳寺(滋賀県)

ぼけませんように🙏

宝厳寺の建物その他
宝厳寺の建物その他
宝厳寺(滋賀県)

ほっこり😁

宝厳寺(滋賀県)

こっわい顔してますいつも👹

宝厳寺(滋賀県)

本堂です🙏

宝厳寺の本殿
宝厳寺(滋賀県)

願い事をどうぞ🙏

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺(滋賀県)

三重塔です😌

宝厳寺(滋賀県)
宝厳寺の建物その他

なんとなく撮りました😅

宝厳寺(滋賀県)

帰り道も急ですから💦

宝厳寺(滋賀県)

では、では🙋

宝厳寺(滋賀県)

さよなら竹生島🙋🙋

宝厳寺(滋賀県)

もう来ないかな🙋🙋🙋

宝厳寺(滋賀県)

そして、最後の😭
もちろん許可はもらっての撮影です😊

宝厳寺の御朱印

満願達成🎉やりました~🙌🙌🙌
ますみんさんにかなり助けてもらっての満願になりました本当に感謝してます🙇
また、新シリーズをお楽しみに😉

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歴史

琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する。
竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で。
島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。
島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、
文字通り信仰の島である。現在は宝厳寺と都久夫須麻神社
という「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、
明治時代初期の神仏分離令以降の事であり、竹生島では平安時代から近世まで
神仏習合の信仰が行われていた。
延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、
祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。
浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれるが、
平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と
同一視されるようになったようである。
近世には宝厳寺は観音と弁才天の霊場として栄える一方で、
都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなくなっていた。
宝厳寺は奈良時代、聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされている。
行基は出身地の河内国(大阪府南部)を中心に多くの寺を建て、
架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を
得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。
宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、行基が竹生島を訪れ、
弁才天を祀ったのが起源とされているが、承平元年(931年)成立の
『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、
小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。
同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の
浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して
安置したとある。当初は本業寺(ほんごうじ)、のちに竹生島大神宮寺と称し[1]、
東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、
比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。
以降、島は天台宗の僧の修行の場となった。
また、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えた。
中世以降、貞永元年(1232年)、享徳3年(1454年)、永禄元年(1558年)などに
大火があったがその都度復興している。永禄元年の大火後、
慶長7年-8年(1602-1603年)、豊臣秀頼が片桐且元に命じて伽藍を復興している。
この際復興されたのが唐門、渡廊、観音堂、
ならびに弁才天社(現・都久夫須麻神社本殿)である。
唐門は豊国廟(京都東山にあった豊臣秀吉の霊廟)
の唐門(極楽門ともいい、元は大坂城の極楽橋の唐破風造部分であった
    可能性が指摘されている)を移築したものであり、
都久夫須麻神社本殿は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされる。
明治の神仏分離の際、時の政府は弁才天社を平安時代の
『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要し、
仏教寺院としての宝厳寺は廃寺の危機を迎えるが、
寺側は弁才天は仏教の仏であると主張して譲らなかった。
結局、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離する事になり、
明治7年(1874年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、
明治16年(1883年)には寺の財産と神社の財産が区別されて今日に至っている。
現状、宝厳寺と都久夫須麻神社は別法人であるが、
宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡廊で直接連絡しており、
両者はもともと不可分の関係にある事が分かる。

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宝厳寺の基本情報

住所滋賀県長浜市早崎町1664
行き方

(1)長浜港から船で30分
(2)彦根港から船で35分
(3)今津港から船で25分

アクセスを詳しく見る
名称宝厳寺
読み方ほうごんじ
通称竹生島大神宮寺 本業寺
参拝時間

9:00~16:30

参拝料

600円

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0749-62-4411(連)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.chikubushima.jp
おみくじあり
絵馬あり

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

びわ湖百八霊場

第44番

御本尊:弁財天、千手千眼観世音菩薩

近江湖北二十七名刹霊場

第18番

御本尊:弁財天、千手千眼観世音菩薩

詳細情報

ご本尊大弁財天、千手観世音菩薩
山号巌金山
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代724年(神亀元年)
開山・開基行基・聖武天皇
文化財

唐門(国宝)
観音堂、五重石塔、舟廊下(国指定重要文化財)

ご由緒

琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する。
竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で。
島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。
島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、
文字通り信仰の島である。現在は宝厳寺と都久夫須麻神社
という「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、
明治時代初期の神仏分離令以降の事であり、竹生島では平安時代から近世まで
神仏習合の信仰が行われていた。
延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、
祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。
浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれるが、
平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と
同一視されるようになったようである。
近世には宝厳寺は観音と弁才天の霊場として栄える一方で、
都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなくなっていた。
宝厳寺は奈良時代、聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされている。
行基は出身地の河内国(大阪府南部)を中心に多くの寺を建て、
架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を
得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。
宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、行基が竹生島を訪れ、
弁才天を祀ったのが起源とされているが、承平元年(931年)成立の
『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、
小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。
同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の
浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して
安置したとある。当初は本業寺(ほんごうじ)、のちに竹生島大神宮寺と称し[1]、
東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、
比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。
以降、島は天台宗の僧の修行の場となった。
また、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えた。
中世以降、貞永元年(1232年)、享徳3年(1454年)、永禄元年(1558年)などに
大火があったがその都度復興している。永禄元年の大火後、
慶長7年-8年(1602-1603年)、豊臣秀頼が片桐且元に命じて伽藍を復興している。
この際復興されたのが唐門、渡廊、観音堂、
ならびに弁才天社(現・都久夫須麻神社本殿)である。
唐門は豊国廟(京都東山にあった豊臣秀吉の霊廟)
の唐門(極楽門ともいい、元は大坂城の極楽橋の唐破風造部分であった
    可能性が指摘されている)を移築したものであり、
都久夫須麻神社本殿は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされる。
明治の神仏分離の際、時の政府は弁才天社を平安時代の
『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要し、
仏教寺院としての宝厳寺は廃寺の危機を迎えるが、
寺側は弁才天は仏教の仏であると主張して譲らなかった。
結局、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離する事になり、
明治7年(1874年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、
明治16年(1883年)には寺の財産と神社の財産が区別されて今日に至っている。
現状、宝厳寺と都久夫須麻神社は別法人であるが、
宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡廊で直接連絡しており、
両者はもともと不可分の関係にある事が分かる。

体験祈祷絵馬御朱印お守り国宝重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り伝説

Wikipediaからの引用

概要
宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀県長浜市の竹生島にある真言宗豊山派の寺院。山号は巌金山(がんこんさん)。本尊は大弁才天。観音堂は西国三十三所第30番札所で本尊は千手観世音菩薩。観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁天の1つにも数えられる(他の2つは大願寺、金亀山与願寺とされている)。 本尊真言(千手観音):おん ばざら たらま きりく ご詠歌:月も日も波間に浮かぶ竹生島(ちくぶしま) 船に宝を積むここちして
歴史
歴史[編集] 宝厳寺は奈良時代、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命(あざいひめのみこと)を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ、大弁才天を祀ったのが起源とされている。しかし、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。同縁起によれば、天平勝宝5...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 「竹生島#交通アクセス」を参照。
引用元情報宝厳寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%9D%E5%8E%B3%E5%AF%BA&oldid=102604157
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