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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年8月※宝厳寺ではいただけません

ほうごんじ|真言宗豊山派

宝厳寺

滋賀県 マキノ駅

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0749-62-4411(連)

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

巡礼

神仏霊場巡拝の道西国三十三所霊場
びわ湖百八霊場第44番札所
日本三弁財天

ご利益

宝厳寺について

琵琶湖に浮かぶ一島分全体が霊場


西国三十三カ所第三十番札所

おすすめの投稿

らんでぃー
2022年07月18日(月)
263投稿

滋賀県長浜市、琵琶湖北部の沖合に浮かぶ周囲2kmほどの離島・竹生島に建つ宝厳寺(ほうごんじ)へお参りいたしました。 寺伝によると、神亀元年(724年)に聖武天皇は夢枕に立った天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)のお告げにより僧・行基を勅使として遣わし、大弁才天を祀る堂塔をこの地に開基させたのが始まりとされます。 天平󠄁勝󠄁寶5年(753年)には近江国浅井郡の大領であった浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)により、西国三十三所第30番札所でもある観音堂を造立し千手観世音菩薩を安置します。 当初の寺名は本業寺(ほんごうじ)と云い、奈良・東大寺の支配下であったのですが、平安時代末期には比叡山延暦寺の傘下となり宗派を天台宗に替え伝教大師(最澄)、弘法大師(空海)なども渡島し修業したとも伝えられています。 同じ島内には、浅井比売命(あさいひめのみこと)を祀る都久夫須麻神社(ちくぶじまじんじゃ)があり、祭神である浅井比売命は近江浅井郡に居を構えた豪族・浅井氏の氏神で湖水を支配する水の神ともいわれることから、平安時代末期頃には宝厳寺の本尊で同じく仏教の水の神である弁才天と同一視されるようになり、ついには弁才天と同一とされる市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)も併せて祀るようになって神仏習合が進み、次第に都久夫須麻神社と宝厳寺の区別は無くなっていきます。 この間に三度の火災(貞永元年-1232年、享徳3年-1454年、永禄元年-1558年)で七堂伽藍を焼失しますがその都度復興を果たし、慶長7年(1602年)には豊臣秀頼の命を受けた片桐且元(かたぎりかつもと)により伽藍を復興、唐門・観音堂・渡り廊下・本堂(現・都久夫須麻神社本殿)が再建されます。 この際に復興された唐門は豊国廟(豊臣秀吉の霊廟)の唐門を移築、本堂は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされています。 江戸時代には弁才天信仰と西国三十三所観音霊場札所として大いに賑わいますが、明治元年(1868年)、明治新政府により発布された「神仏分離令」とそれに起因して過激化した「廃仏毀釈」運動の影響を受けて、ついには明治4年(1871年)に大津県庁より仏教寺院としての宝厳寺を廃寺するように、との命令が出されて寺院存続の危機に直面します。 しかし、宝厳寺側は本尊である大弁才天は神道の神ではなく仏教の仏であるとの主張で譲らず、また日本三弁天の一つと数えられ、西国三十三所の名刹でもある宝厳寺を存続させてほしいとの多くの信者の熱意もあって、結果、本堂の建物のみを神社側に引き渡すことで廃寺となることは免れます。 これ以降、宝厳寺と都久夫須麻神社は分離独立させられることとなりますが、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡り廊下で直接連絡しており、嘗て竹生島が神仏混淆の島であり寺院と神社に区別がなかったことを感じさせるものとなっています。 寺・社分離以後はしばらく本堂がなかった宝厳寺ですが、昭和17年(1942年)に現在の本堂が建立され、再び本尊の大弁才天が祀られることになりました。
竹生島へ渡るには、長浜港か今津港、彦根港の3ヶ所から連絡船がありますが、当方は今津港からのクルーズ船にて渡島いたしました。 大阪駅よりJR湖西線新快速にて近江今津駅下車、駅から今津港までは徒歩5分程度です。 この頃、クルーズ船は何かと話題になっていたので乗客も少ないのでは、と淡い期待を持っていましたが、そんなことは無くほぼ満席状態でした。 乗船時間は約25分、上陸時間は70分~80分、乗船する客は宝厳寺および都久夫須麻神社への参拝に訪れることが主目的と考えられ、船で一度に大人数が到着するので、おそらく納経所は長蛇の列になるだろうと予想し、着岸すると足早に「祈りの階段」を登り、鳥居を潜って、本堂(弁財天堂)をお参りさせていただきました。 弁天様の幸せ願いダルマを奉納し、ストラップの御守を授与頂いた後、少し並びましたが御朱印を無事拝受、三重塔や観音堂を拝見し次は舟廊下を通って【竹生島神社(都久夫須麻神社)】へ向かいます。

宝厳寺(滋賀県)

今津港

宝厳寺の周辺

今津港・琵琶湖汽船/いんたーらーけん(びわ湖光秀号)

宝厳寺(滋賀県)

竹生島

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・鳥居
 手前が竹生島神社(都久夫須麻神社)の鳥居、奥に見えるのが宝厳寺寺院名碑と鳥居

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・手水舎

宝厳寺の本殿

竹生島宝厳寺・本堂(弁財天堂)

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・不動明王立像

宝厳寺の建物その他

竹生島宝厳寺・幸せ願いダルマの奉納

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・三龍堂

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・三重塔

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・モチの木
 樹齢約400年、片桐且元が観音堂を移築した際に手植えしたとのこと。

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・三重塔とモチの木

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・行尋坊 天狗堂

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・西国三十三ヶ所観世音奉安殿

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・唐門/観音堂

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・船廊下

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・舟廊下懸造

宝厳寺(滋賀県)

竹生島宝厳寺・黒竜堂

宝厳寺(滋賀県)

御朱印・西国三十三所観音霊場 第三十番札所

宝厳寺(滋賀県)

御朱印・大弁財天

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惣一郎
2022年05月07日(土)
913投稿

【西国三十三所巡り(13/33)】

宝厳寺(寶嚴寺:ほうごんじ)は、滋賀県長浜市早崎町(竹生島:ちくぶじま)にある真言宗豊山派の寺院。山号は巌金山(がんこんさん)。本尊は大弁才天。西国三十三所第30番札所で、札所本尊は千手観世音菩薩。別称は「竹生島大神宮寺」、「本業寺」。弁財天信仰の聖地で、日本三大弁財天(※)の1つにも数えられる。唐門は国宝、観音堂、渡廊(低屋根)、渡廊(高屋根)、石造五重塔は国指定の重要文化財。なお、竹生島は島全体が国の史跡・名勝。

寺伝によると、創建は奈良時代の724年で、僧・行基が聖武天皇の勅願により都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ、大弁才天(秘仏、33年ごとに開扉)を祀ったのが始まり。この時、行基は千手千眼観音菩薩(秘仏、60年ごとに開扉)を自ら彫り、併せて祀ったとされる。788年には伝教大師が渡島し、「叡山の奥の院」と呼ばれた時もあり、弘法大師も当山で修行したと伝わる。当初寺号は本業寺といい東大寺の支配下にあったが、平安時代に延暦寺の傘下に入り天台宗となった。都久夫須麻神社の祭神・浅井姫命は、浅井氏の氏神であるとともに湖水を支配する水の神であることから、仏教の水の神である弁才天と同一視されるようになり、ついには弁財天と同一視される市杵島比売命も祀るようになり、神仏習合が進んで寺院と神社の区別がなくなっていった。
この間、1232年、1453年、1558年に火災で七堂伽藍を焼失しているが、その都度復興している。1602年に豊臣秀頼が片桐且元に命じて伽藍を復興、唐門、観音堂、渡り廊下、本堂(現都久夫須麻神社本殿)はこの時再建された。江戸時代は弁才天信仰と西国三十三所観音霊場札所として大いに賑わった。明治時代に入り神仏分離令が出されると廃寺の危機に瀕したがこれに耐え、これ以降、当寺と都久夫須麻神社は分離独立させられることとなった。

当寺は、竹生島南部の唯一の船着き場から北方に山の斜面を登ったところにある。境内は小山の南斜面にあり、高さの異なる境内地ごとに伽藍の建物がある。船着き場で船を降り、少し歩いてから拝観受付を通ると、「祈りの石段」と呼ばれる165段の石段があり、登り切ったところ本堂(弁才天堂)がある。さらに高いところに三重塔などがあり、東方のやや低いところに唐門、観音堂、舟廊下、都久夫須麻神社がある。全体を歩き回ると高低差もあるのでそれなりに運動になる。クルーズ船の乗船時刻をあらかじめ頭に入れておく必要がある。

今回は、西国三十三所の札所であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、自分が乗ったクルーズ船には30人ほどの乗客がいた。(この日は、天気は良いが風が強く、琵琶湖に波が立っていたため、他の船は来ていなかったみたい。自分が乗った今津港発着船も、午後は欠航とのことだった。)

※日本三大弁財天とは、厳島神社(広島県廿日市市)と江島神社(神奈川県藤沢市)とされている。

※クルーズ船は、今津、彦根、長浜から出ている。自分は朝一の新幹線で米原駅に来て、レンタカーを借り、トヨタカーナビで竹生島を目指したが、これが大失敗。船乗り場と関係のない、竹生島最寄りの琵琶湖北岸(つづら尾崎)に着いてしまった。結局、今津港に辿り着くのに2時間かかってしまった。長浜港ならすぐだったのに。やはり徹底した下調べが必要と、あらためて痛感...涙

宝厳寺(滋賀県)

竹生島クルーズ遊覧船から見た、竹生島南部の境内全景。

宝厳寺の建物その他

上陸して茶店街を通り、拝観券販売所へ。

宝厳寺の建物その他

拝観券販売所。<宝厳寺>と<都久夫須麻神社>共通(もともと習合していたから不可分みたい)。

宝厳寺の鳥居

階段を少し上がったところにある<鳥居>。扁額には「竹生島神社」とある。この鳥居から右方向比進むと<都久夫須麻神社>。

宝厳寺の鳥居

さらに階段を少し上がったところにある<鳥居>。扁額には宝厳寺の山号「巌金山(がんこんさん)」とある。この階段は165段あり「祈りの石段」と呼ばれている。

宝厳寺の手水

鳥居の右側にある<水屋>。

宝厳寺の建物その他

鳥居の左側にある<瑞祥水の井戸>と石製観音像。瑞祥水の看板には「湖底 壱百参拾米」と書いてある。

宝厳寺(滋賀県)

鳥居をくぐると、階段脇に<本尊 大辨才天>の石碑が立つ。

宝厳寺の建物その他

階段左側の<護摩堂>。左側の建物は<月定院>。

宝厳寺(滋賀県)

<護摩堂>内部。

宝厳寺(滋賀県)

階段右側にある<鐘楼堂>。

宝厳寺(滋賀県)

階段を登り切ったところにある、2つ目の<水屋>。

宝厳寺の本殿

左を向くと目に飛び込んでくる<弁才天堂(本堂)>。

宝厳寺の建物その他

本堂に向かって左手の谷側にある<納経所>。御朱印はこちら。

宝厳寺の建物その他

<弁才天堂>全景。本尊の弁才天像は、江戸時代までは島東部の弁財天社(現在の都久夫須麻神社・本殿)に祀られていたが、明治時代の神仏分離により塔頭妙覚院の仮堂に仮安置された。その後時が流れ、1942年に再建された現在の弁才天堂に移された。

宝厳寺の建物その他

<弁才天堂>正面。

宝厳寺(滋賀県)

<弁才天堂>内部。

宝厳寺(滋賀県)

辨才天堂前でほころぶピンク色の花。

宝厳寺(滋賀県)

辨才天堂の左脇にある<三龍堂>への参道。

宝厳寺の末社

<三龍堂>全景。徳澤惟馨善神、潤徳護法善神、福壽白如善神を祀る。

宝厳寺(滋賀県)

辨才天堂に向かって右手山側にある<不動明王立像>。写真左側には<竹生島流棒術発祥之地>の石碑。

宝厳寺(滋賀県)

不動明王立像の左側、水屋の右側にある<石造五重塔>。鎌倉時代の建立で、石材は比叡山中から採掘される小松石。国指定の重要文化財。

宝厳寺の建物その他

<石造五重塔>の初重には四仏が彫られている。

宝厳寺の建物その他

階段の上にある<三重塔>。江戸時代初期以降350年廃絶していたものを、2000年に建立。

宝厳寺(滋賀県)

三重塔の脇にある<雨宝堂>。

宝厳寺(滋賀県)

三重塔のそばにある<宝物殿>。当日は休館中。

宝厳寺の建物その他

当寺で最も高い場所にある境内全景。三重塔の左側にある樹木は、普請奉行として国宝観音堂の建立に当たった片桐且元が植えた<もちの木>。樹齢400年。

宝厳寺(滋賀県)

三重塔前からの琵琶湖の眺め。

宝厳寺(滋賀県)

三重塔から階段を下ったところにある<行尋坊 天狗堂>。

宝厳寺(滋賀県)

天狗堂から少し東に進んだところにある<西國三十三ヶ所 観世音奉安殿>。

宝厳寺(滋賀県)

<観世音奉安殿>内部。

宝厳寺(滋賀県)

<観世音奉安殿>からさらに東に進むと、下り階段がある。

宝厳寺(滋賀県)

下り階段の途中にある、ボケ封じ、諸病封じの<楽寿観世音菩薩>。

宝厳寺(滋賀県)

階段を下りてくると、国宝<唐門>が見えてくる。

宝厳寺(滋賀県)

国宝<唐門>全景。京都東山の豊国廟に建っていたものを、1602年に豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築。檜皮葺で、建物全体を総漆塗りとし、金鍍金の飾り金具が散りばめられている桃山様式の豪華絢爛な門。観音堂入口の門となっている(観音堂内は撮影禁止)。

宝厳寺(滋賀県)

宝厳寺・観音堂から都久夫須麻神社・本殿を結ぶ<渡廊>。急斜面に建っており、床下は足代を組んだ舞台造になっている。豊臣秀吉の御座船「日本丸」の部材で作られたという伝承があることから<舟廊下>とも呼ばれている。

宝厳寺(滋賀県)

渡廊の先にある<都久夫須麻神社>。本殿は国指定の重要文化財。

宝厳寺(滋賀県)

都久夫須麻神社の参道からよく見える、<渡廊>床下の舞台造。

宝厳寺の建物その他

最後にもう一度<弁才天堂>。威風堂々とした美しい建物~♪ (^▽^)/

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ちゅりぶり
2021年05月15日(土)
184投稿

ここは琵琶湖の真ん中、竹生島にある西国観音巡礼の札所でーす。

で、朝関東を出て、ろくに休憩も取らずに、やって来ました長浜港。午後2時の船に乗る積もりが、早く着きすぎて、12時50分のひとつ前に間に合った。出航10分前。
超ラッキー。後のスケジュールに余裕ができたかも。
なんて思ってたら‼️な、な、なんと強風のために欠航。ひとつ前の船までは出てたんですが、とのこと。
残念だけど、諦めて、とぼとぼと京都へ車を走らせてました。
道中、彦根港の観光船の看板を発見。
ダメもとで📞をかけると、2時の出航で、できるかどうかは30分前にわかるとのこと。
まだ30分はあったけど、予定変わったので、待つことに。

で、結論からいうと乗れました。今、竹生島の休憩所で投稿してます。

ここは千手観音と弁財天を祀ってあり、びっくりするほど何もないところです。
桟橋からお寺が岸壁にそびえ立ち、長い急な階段を上らないとなりません。年寄りにはしんどいです。
階段を上りきると、弁財天の祀ってあるお堂が見えます。
左手に納経所があり、御朱印が頂けます。高台にあるので、琵琶湖がきれいに見えます。

ある意味とても難所でした。

これから彦根港に向かいます。

宝厳寺の建物その他

桟橋から見上げる

宝厳寺の周辺

強風の中、我々を運んでくれたオーミマリンの観光船

宝厳寺の建物その他

島内案内図

宝厳寺の建物その他

弁天堂

宝厳寺(滋賀県)

三重塔

宝厳寺の自然

御神木?もちのき

宝厳寺の仏像

不動明王

宝厳寺の本殿宝厳寺(滋賀県)

唐門を見上げる

宝厳寺の建物その他

唐門越の琵琶湖

宝厳寺(滋賀県)

国宝唐門

宝厳寺の芸術

唐門内部は色鮮やかで豪華絢爛

宝厳寺の建物その他

本堂までのなが~い階段

宝厳寺の鳥居
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歴史

琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する。竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で、島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、文字通り信仰の島である。現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれるが、平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようである。近世には宝厳寺は観音と弁才天の霊場として栄える一方で、都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなくなっていた。
宝厳寺は奈良時代、聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国(大阪府南部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、行基が竹生島を訪れ、弁才天を祀ったのが起源とされているが、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して安置したとある。当初は本業寺(ほんごうじ)、のちに竹生島大神宮寺と称し[1]、東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。以降、島は天台宗の僧の修行の場となった。また、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えた。
中世以降、貞永元年(1232年)、享徳3年(1454年)、永禄元年(1558年)などに大火があったが、その都度復興している。永禄元年の大火後、慶長7年-8年(1602-1603年)、豊臣秀頼が片桐且元に命じて伽藍を復興している。この際復興されたのが唐門、渡廊、観音堂、ならびに弁才天社(現・都久夫須麻神社本殿)である。唐門は豊国廟(京都東山にあった豊臣秀吉の霊廟)の唐門(極楽門ともいい、元は大坂城の極楽橋の唐破風造部分であった可能性が指摘されている)を移築したものであり、都久夫須麻神社本殿は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされる。
明治の神仏分離の際、時の政府は弁才天社を平安時代の『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要し、仏教寺院としての宝厳寺は廃寺の危機を迎えるが、寺側は、弁才天は仏教の仏であると主張して譲らなかった。結局、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離することになり、明治7年(1874年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、明治16年(1883年)には寺の財産と神社の財産が区別されて今日に至っている。現状、宝厳寺と都久夫須麻神社は別法人であるが、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡廊で直接連絡しており、両者はもともと不可分の関係にあることがわかる。

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宝厳寺の基本情報

住所滋賀県長浜市早崎町1664
行き方

(1)長浜港から船で30分
(2)彦根港から船で35分
(3)今津港から船で25分

アクセスを詳しく見る
名称宝厳寺
読み方ほうごんじ
参拝時間

9:00~16:30

参拝料

入島料:大人400円、小人300円

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0749-62-4411(連)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.chikubushima.jp
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご本尊弁才天
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代神亀元年(724年)
札所など

びわ湖百八霊場第44番札所
日本三弁財天

文化財

唐門(国宝)
観音堂、五重石塔(国指定重要文化財)

ご由緒

琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する。竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で、島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、文字通り信仰の島である。現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれるが、平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようである。近世には宝厳寺は観音と弁才天の霊場として栄える一方で、都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなくなっていた。
宝厳寺は奈良時代、聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国(大阪府南部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、行基が竹生島を訪れ、弁才天を祀ったのが起源とされているが、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して安置したとある。当初は本業寺(ほんごうじ)、のちに竹生島大神宮寺と称し[1]、東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。以降、島は天台宗の僧の修行の場となった。また、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えた。
中世以降、貞永元年(1232年)、享徳3年(1454年)、永禄元年(1558年)などに大火があったが、その都度復興している。永禄元年の大火後、慶長7年-8年(1602-1603年)、豊臣秀頼が片桐且元に命じて伽藍を復興している。この際復興されたのが唐門、渡廊、観音堂、ならびに弁才天社(現・都久夫須麻神社本殿)である。唐門は豊国廟(京都東山にあった豊臣秀吉の霊廟)の唐門(極楽門ともいい、元は大坂城の極楽橋の唐破風造部分であった可能性が指摘されている)を移築したものであり、都久夫須麻神社本殿は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされる。
明治の神仏分離の際、時の政府は弁才天社を平安時代の『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要し、仏教寺院としての宝厳寺は廃寺の危機を迎えるが、寺側は、弁才天は仏教の仏であると主張して譲らなかった。結局、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離することになり、明治7年(1874年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、明治16年(1883年)には寺の財産と神社の財産が区別されて今日に至っている。現状、宝厳寺と都久夫須麻神社は別法人であるが、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡廊で直接連絡しており、両者はもともと不可分の関係にあることがわかる。

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