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びみょうじ|天台寺門宗総本山園城寺中院・別所長等山

微妙寺
滋賀県 三井寺駅

御朱印について御朱印
あり

十一面観音(湖国十一面観音霊場第一番)、黄不動尊

限定
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あり
御朱印帳
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ありません
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駐車場
あり

有料駐車場あり

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湖国十一面観音霊場第1番札所
大津三十三所観音霊場第33番

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年04月09日(火) 22時01分37秒
2910投稿

園城寺(三井寺)には 五別所と呼ばれる別院があります。
その中で お参りした寺院を投稿させていただきます。
微妙寺は 勧学院から観音堂に向かう途中にあります。
園城寺の別所寺院ですが 特に門や塀で囲われている訳ではないので 園城寺の中の一つのお堂のように見えます。
こちらでは御朱印を拝受できます。
山号は長等山 宗旨宗派は天台寺門宗 寺格は別所 ご本尊は十一面観音 創建年は正暦5年(994年) 開山は慶祚阿闍梨です。
正暦5年(994年) 園城寺南院の現・長等公園 大津大神宮の西南一帯に慶祚阿闍梨によって創建されました。
創建時は 本堂 薬師堂 三重塔などがあり 後に園城寺南院の別所寺院となりました。
安土桃山時代の文禄4年(1595年) 園城寺が豊臣秀吉の怒りに触れて寺領を没収されて廃寺となった際に 微妙寺も衰微しました。
しかし 秀吉の死の直前に園城寺は再興され それに伴って本堂が再建されましたが 後に焼失してしまいます。
現在の本堂は安永5年(1776年)に再建されたものです。
しかし 1979年(昭和54年)に創建以来の地から現在地である園城寺境内に移転されます。
その際 所属は新たに中院となっています。
旧地には慶祚阿闍梨入定窟(重要美術品)が残されています。

微妙寺(滋賀県)

本堂

微妙寺(滋賀県)

寺標

微妙寺(滋賀県)

由縁

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歴史

微妙寺の創建は、正暦5年(994年)に遡ります。この年、園城寺南院の現・長等公園や大津大神宮の西南一帯に、慶祚阿闍梨(けいそあじゃり)によって設立されました。当初は本堂や薬師堂、三重塔が建てられており、後に園城寺南院の別所寺院としての役割を果たすようになります。特に、この頃の微妙寺は広大な境内を持ち、多くの参拝者が訪れていました。
文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の怒りにより、園城寺が寺領を没収され、これに伴い微妙寺も衰退の道を歩むことになります。廃寺状態となり、かつての栄華は失われてしまいました。しかし、秀吉の死の直前に園城寺は再興され、これに伴い微妙寺の本堂も再建されることとなります。再建された本堂は、その後の火災により焼失しますが、安永5年(1776年)に再び本堂が建てられ、今日に至るまでその姿を残しています。
1979年(昭和54年)、創建以来の地から微妙寺は園城寺境内へと移転されました。この際、微妙寺は園城寺の中院に所属することとなり、これにより寺院の位置づけや佇まいも大きく変わりました。移転に伴い、寺院の門や塀は設けられておらず、園城寺の一部として溶け込むように存在しています。
微妙寺の本尊である十一面観音立像は、平安時代に作られたもので、檜の一木造りという技法で彫られています。この立像は重要文化財に指定されており、かつては尾蔵寺(おぐらじ)の本尊として信仰されていました。この観音像は、参拝者があまりにも多く、参拝者の笠が押し合うためにしばしば破れるという逸話が残っており、「笠ぬげの観音さま」として親しまれてきました。現在、この十一面観音立像は、園城寺の文化財収納庫に展示され、保護されています。

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微妙寺の基本情報

住所

滋賀県大津市園城寺町246 園城寺内

行き方

京阪電車石山坂本線「三井寺駅」から徒歩で10分

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名称

微妙寺

読み方

びみょうじ

参拝時間

8:00〜17:00

参拝料

園城寺入山料600円、中高生300円、小学生200円

トイレ園城寺境内内に数か所あり
御朱印あり

十一面観音(湖国十一面観音霊場第一番)、黄不動尊

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
ホームページhttp://miidera1200.jp/

詳細情報

ご本尊十一面観音菩薩
山号

長等山

宗旨・宗派天台寺門宗総本山園城寺中院・別所
創建時代

正暦五年(994)

開山・開基

慶祚阿遮梨

文化財

十一面観音(重要文化財)

ご由緒

微妙寺の創建は、正暦5年(994年)に遡ります。この年、園城寺南院の現・長等公園や大津大神宮の西南一帯に、慶祚阿闍梨(けいそあじゃり)によって設立されました。当初は本堂や薬師堂、三重塔が建てられており、後に園城寺南院の別所寺院としての役割を果たすようになります。特に、この頃の微妙寺は広大な境内を持ち、多くの参拝者が訪れていました。
文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の怒りにより、園城寺が寺領を没収され、これに伴い微妙寺も衰退の道を歩むことになります。廃寺状態となり、かつての栄華は失われてしまいました。しかし、秀吉の死の直前に園城寺は再興され、これに伴い微妙寺の本堂も再建されることとなります。再建された本堂は、その後の火災により焼失しますが、安永5年(1776年)に再び本堂が建てられ、今日に至るまでその姿を残しています。
1979年(昭和54年)、創建以来の地から微妙寺は園城寺境内へと移転されました。この際、微妙寺は園城寺の中院に所属することとなり、これにより寺院の位置づけや佇まいも大きく変わりました。移転に伴い、寺院の門や塀は設けられておらず、園城寺の一部として溶け込むように存在しています。
微妙寺の本尊である十一面観音立像は、平安時代に作られたもので、檜の一木造りという技法で彫られています。この立像は重要文化財に指定されており、かつては尾蔵寺(おぐらじ)の本尊として信仰されていました。この観音像は、参拝者があまりにも多く、参拝者の笠が押し合うためにしばしば破れるという逸話が残っており、「笠ぬげの観音さま」として親しまれてきました。現在、この十一面観音立像は、園城寺の文化財収納庫に展示され、保護されています。

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