いわいじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
石坐神社について
膳所五社の一社
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過去(2016年<平成28年>)参拝分です。
先の和田神社から歩きました。
同じ大津市内にあり、10分か15分くらいで着いたと思います。
初見でしたので、この神社の名前を読むことができませんでした。
石坐神社と書いて「いわいじんじゃ」と言うのを知って、難読神社名だと思いました。
本殿は文永3年(1266年)に建立されたもので、鎌倉時代のものです。
綺麗な建造物の本殿でしたので、気分が高揚しました。
ご祭神は海津見神(わたつみのかみ)を主神として、天智天皇(てんじてんのう)、弘文天皇(こうぶんてんのう)、伊賀采女宅子(いがのうねめやかこ)、豊玉比古命(とよたまひこのみこと)、彦坐王命(ひこいますおうのみこと)をお祀りしています。
社務所が閉まっていて、御朱印は頂くことができませんでした。
神社の外観です
神社の由緒書きです
手水舎です
本殿の様子です
本殿に関する説明書きです
建物の雰囲気が気に入ったのでアップで撮影しました
境内社の「彦坐王社」です
境内社の「辨財天社」です
境内社の「稲荷社」です
御霊殿山遥拝所(ごりょうどやまようはいしょ)です
ご神木のエノキです
歴史
瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその4代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのが起源とされる[1]。壬申の乱以降は表向きは八大竜王を祀っていたが、ひそかに天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子を祀ってきた
名称 | 石坐神社 |
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読み方 | いわいじんじゃ |
通称 | 淡海石坐神社,八大龍王社 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 077-524-8696 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.iwaijinzya.org/ |
詳細情報
ご祭神 | 《主祭神》 彦坐王命 天命開別尊 弘文天皇 伊賀采女宅子媛命 《合祀神》 海津見神 豊玉比古命 |
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ご神体 | 御霊殿山(磐座) |
創建時代 | 朱鳥元年(686年) |
本殿 | 三間社流造 |
文化財 | 木造天命開別命坐像・木造伊賀采女宅子媛坐像・木造弘文天皇坐像・木造彦坐王坐像(重要文化財)
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ご由緒 | 瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその4代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのが起源とされる[1]。壬申の乱以降は表向きは八大竜王を祀っていたが、ひそかに天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子を祀ってきた |
体験 | 祈祷おみくじ御朱印お守り重要文化財祭り伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 石坐神社(いわいじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社。式内社で、旧社格は村社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創祀年代は不詳。社伝によると、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその4代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのが起源とされる[1]。壬申の乱以降は表向きは八大竜王を祀っていたが、ひそかに天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子を祀ってきた[2]。 ^ “神社紹介”. 滋賀県神社庁. 2019年7月21日閲覧。 ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 765. |
アクセス | 交通[編集] 京阪石山坂本線「錦」から徒歩5分 東海道本線(JR琵琶湖線)「膳所」から徒歩9分 京阪バス・近江鉄道(バス)「西ノ庄(大津プリンスホテル前)」から徒歩3分 |
引用元情報 | 「石坐神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9F%B3%E5%9D%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102180516 |
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