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さきたまじんじゃ

前玉神社のお参りの記録一覧(4ページ目)
埼玉県 東行田駅

惣一郎
2021年09月16日(木)
1269投稿

前玉神社(さきたま~)は、埼玉県行田市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は、前玉彦命(さきたまひこ)、前玉比売命(さきたまひめ)の2柱。社殿は浅間塚古墳の上に鎮座している。また社名は「埼玉」の地名の語源と言われる。

創建は不詳。当社は埼玉古墳群内に鎮座し、本殿も古墳群の方向に立っていることから、古墳群の首長層が当社における古代祭祀集団と推定する説がある。なお社名は、『正倉院文書』にも「武蔵国前玉郡」の表記がみられ、埼玉の地名の由来とされている。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「武蔵国 埼玉郡 前玉神社二座」と記載されている。社伝によると、忍(おし)城中にあった浅間社を勧請してからは「浅間社」と号し、鎮座する古墳は富士山に見立てられていたという。初め古墳上の神社は「上ノ宮」、中腹にある神社は「下ノ宮」とされていたが、明治に入り上ノ宮は「前玉神社」、下ノ宮は「浅間神社」と定められたとのこと。明治維新後、近代社格制度では郷社に列した。

当社は、JR高崎線・吹上駅の北東4kmの平地にある。周りは基本住宅街だが、「さきたま古墳公園」の一部といえる場所にある。県道77号線(古墳通り)沿いの入口から参道を進み社務所の周りまでは平地だが、社殿は島のようにポツンと盛り上がった古墳(浅間塚古墳)の上に建っている。社殿の裏にも古墳があって、他の神社とは違った印象を生み出している。

今回は武蔵国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも参拝者が数人訪れていた。

前玉神社の鳥居

県道33号線(古墳通り)沿いにある、境内入口の<一の鳥居>と<社号標>。鳥居は、江戸時代前期の1676年建立。

前玉神社の自然

一の鳥居の左隣が駐車場で、そこに1本だけ立っている<イヌマキ>の巨木。推定樹齢600年、樹高20m、目通り幹周5.5mで、埼玉県最大の槙とのこと。御岳山信仰の奉納植樹の御神木で、幹の北側中心部の空洞には木曽御嶽神社の石碑が置かれている。

前玉神社の狛犬

一の鳥居をくぐると、古木並木の参道が続く。参道両側に立つ<狛犬>は年季が入っていて古そう。

前玉神社の鳥居

つづいて<二の鳥居>。この先は広場になっているが、まっすぐ進む。

前玉神社の建物その他

右側にすぐ現れる<社務所>。御朱印はこちら。

前玉神社の手水

つづいて右側には<手水舎>。彫刻は非常に凝っていて、全体として重厚で年季が入っている。

前玉神社の手水

手水はコロナで使用禁止だが、手水盤には水が張ってあって、素朴な花が浮かべられている。たぶん自分が初めて見た<花手水>。花に疎い自分でも、綺麗だなと思ったので写真をパチリ。

前玉神社(埼玉県)

一段高くなった場所の手前に<三の鳥居>。

前玉神社の末社

階段を数段上がって、すぐ右側にある<浅間神社>。忍城から勧請されたとされ、江戸時代までは<浅間神社・下之宮>と呼ばれていた。

前玉神社の末社

階段を数段上がって、左方向に進んだところにある<天神社>(左)と<恵比寿大黒天社>(右)。

前玉神社(埼玉県)

2つの境内社の上を見上げると、メインの社殿が小山の上に建っている。

前玉神社の建物その他

数十m進むと、社殿前の階段に辿り着く。両側に立つ燈籠は、江戸時代前期の1697年に氏子衆によって奉納されたものとのこと。それぞれに『万葉集』の「埼玉の津」の歌が刻まれている。

前玉神社の本殿

階段を登り切ると、すぐに<拝殿>正面。江戸時代までは<浅間神社・上之宮>であった。拝殿の彫刻もなかなかきれい。

前玉神社の本殿

拝殿の後ろにある<本殿>。小山の山頂が狭いので、本殿の覆屋は拝殿に直結している。

前玉神社(埼玉県)

三の鳥居の左側にある<龍泉池>。

前玉神社の周辺

社殿の建つ小山(浅間塚古墳)の裏手の様子。盛り上がっているのが古墳。

前玉神社の末社

手水舎と三の鳥居との間を右方向に進むと<明治神社>がある。

前玉神社の末社

<明治神社>は、明治時代に埼玉地区の神社を合祀し、16柱を祀っている。

前玉神社の建物その他

手水舎の反対側(境内左手)にある<神楽殿>。その右側からも境内に入ることができる。

前玉神社の鳥居

Yahooカーナビが裏道を指示したせいで、神楽殿横から境内に侵入してしまった...(反省)。

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神祇伯
2019年11月26日(火)
1346投稿

武蔵国埼玉郡の式内社で、前玉は「幸魂」とも書かれます。
埼玉古墳群の一部であり、古墳の上に社殿があるのは、地域を治めていた首長が祭祀を行なっていたとされるせつがあります。

前玉神社の鳥居

《一の鳥居と社号碑》

前玉神社の歴史

鳥居は江戸時代からずっと立っている歴史あるものです。

前玉神社の鳥居

《二の鳥居》

前玉神社の末社

《末社・明治社》

前玉神社の手水

《手水舎》

前玉神社の建物その他

《表参道》 

前玉神社の末社

《浅間神社》
明治の前までは下社として扱われていました。

前玉神社の芸術

何の絵でしょうか…

前玉神社の建物その他

《絵馬舎》

前玉神社の建物その他

《石灯籠》

前玉神社の本殿

《拝殿》

前玉神社の本殿

竜や雲などのたくさんの掘り込みがされていて荘厳な造りとなってます。

前玉神社の末社

《末社》

前玉神社の建物その他

《神楽殿》

前玉神社の建物その他

『延喜式神名帳』では"前玉神社 二座"と登録されており、かつては上社と下社とされていたことから、この二座はそれぞれの社殿に一柱ずつ祀られていたのかもしれませんね。

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