せんばとうしょうぐう
仙波東照宮のお参りの記録一覧
川越八幡宮から徒歩にて仙波東照宮に向かい参拝しました。社務所は、閉まってましたが同じ建屋の横にカフェがあり歩き疲れたのでコーヒータイムとなりました。コーヒーとケーキも注文しホッと一息つきました。御朱印は、川越八幡宮と社務所横のカフェ(カフェ・アンドン)で対応してます。
仙波東照宮の随身門
社務所横・同じ建屋のカフェ
(カフェ・アンドン)
東照宮までの石段参道
門が閉まってました。
仙波東照宮
仙波東照宮の御朱印
遠征⑩小江戸・川越『仙波東照宮』個人的にはここが川越最大の目的地!日曜祝日しか開門されない東照宮╭( ・ㅂ・)و ̑̑ 江戸城からきた狛犬さんや、国の重要文化財に指定されている極彩色の美しい随身門や御社殿など見どころが多く、こぢんまりしていますが素敵です。ベテランガイドさんと楽しくお話しをして、書置きの御朱印もいただきました♪
元和3年(1617年)~亡くなった家康の遺骸を久能山から日光へ運ぶ途中、川越の喜多院(お隣り)で法要が営まれました。そんな特別な場所に、後の寛永10年(1633年)に建立されたのが仙波東照宮✨
日光・久能山に続く三大東照宮の一つ(色々な考え方があるようますが…)といわれています。大火後の寛永17年(1640年)に再建された現在の建物は、東照宮好きとして見てみたいものでした(*'‐'*)♪
随身門 国指定重要文化財
鮮やかな朱色の門の先には本殿までの真っ直ぐな参道✨
右は川越八幡宮さんで拝領したもの (500円)。
左側はこちらのセルフでいただける御朱印 (300円)😊
タイプが全く違う御朱印でした~♪
二カ所とも同じ御朱印だと思っていたからビックリ!!
どちらもいただけて良かった🍀
参道の途中にある石造りの鳥居も文化財
江戸時代に川越城主の堀田正盛が奉納🌿
写真が見当たらないので遠目に眺める、、
ここは他に比べて静か😌 (川越の穴場 笑)
厳かな感じてとてもよかった✨🌿✨
わりと急な階段を上がり~~
この先は日曜と祝日しか見られない!
赤い柵の向こう側!!
ちょっと見にくい写真、、
ガイドさんが二人いて緊張😅
お話しを聞いていて拝殿の写真はこれだけ、、
お賽銭箱の横にセルフ御朱印があります👍
江戸城からきた手水鉢✨
寛永15年に川越大火で仙波東照宮が消失、、
徳川家光の東照宮再建計画で贈られたそうです。
基本的に一般開放されない拝殿から奥 (塀に囲まれていて入れません)
拝殿横から覗いて見ることはできます🎵
ガイドさんがOKしてくれたので撮影😄
幣殿(拝殿裏側)と本殿、瑞垣に唐門 全て国指定重要文化財。
拝殿前に並ぶ2対の狛犬さん
江戸城から川越にやってきたって素敵😍
よくぞ元気で✨✨
お顔もしっかりしています🎵
川越歴代城主が奉納した26基の石燈籠
赤いお袖はガイドさん!丁寧に教えてくれます(これ↓)
人気だったのか何も無かった(笑)
階段の手前で社務所の建設工事がされていました~
東照宮の対応も変わるのかも知れませんね!
境内案内図
すぐ近くの厳島弁財天
橋の上でお話しされている方々がいて参拝は遠慮、、
素敵な庭園は《葵庭園》にあります。5月下旬~7月上旬には蛍が見られるらしい🎵
道路沿いの入口。先を真っ直ぐ進むと東照宮。
入って右手に葵庭園があり、その先には隣接する喜多院。
川越 仙波東照宮。日光、久我山と並ぶ三大東照宮のひとつとされています。喜多院と同じ敷地内にありますが、参拝できるのは日曜日と祝日のみです。最初は平日に来たので日曜日に改めて再訪しました。御朱印は書き置きを頂きました。
仙波東照宮 入口
仙波東照宮 随身門
仙波東照宮 石鳥居 階段の先に拝殿
仙波東照宮 拝殿
仙波東照宮 本殿 普段は柵があって入れません
1616年駿府城で亡くなった徳川家康は一旦久能山に葬られ、家康の遺言に従い、2代将軍徳川秀忠によって日光に改葬された。
1617年日光への改葬の途中、隣接する喜多院に遺骸を留め置き天海が法要を行い東照宮が創建された。
1633年に社殿が造営されたが、1638年川越大火で焼失。3代将軍徳川家光の命で川越藩主・老中堀田正盛が奉行となり1640年に再建された。
現在の社殿はこの時のもので、拝殿・本殿・瑞垣・唐門・石鳥居・随身門が重文指定されている。
拝殿
拝殿
本殿・瑞垣
本殿・瑞垣
本殿・瑞垣
本殿・瑞垣
本殿・瑞垣
本殿・瑞垣
本殿・瑞垣・唐門
石鳥居
随身門
弁天社
弁天社
埼玉県川越市小仙波町にある神社(東照宮)。日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ。
元和2年(1616)、駿府城にて徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬り、元和3年(1617)日光山に改葬の途中、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要が営まれた。
そのことから境内に東照宮が祀られ、寛永10年(1633)に社殿が造営された。
寛永15年(1638)の川越大火で焼失するが、徳川家光によって川越藩主で老中の堀田正盛が造営奉行に命ぜられ、幕府によって再建された。江戸時代を通じ社殿や神器等全て江戸幕府直営であった。
本殿には木像の家康公像が祀られている。石鳥居は寛永15年(1638)に堀田正盛が奉納したもの。本殿のまわりには歴代の川越藩主が献燈した石灯籠が並ぶ。拝殿にある三十六歌仙絵額は岩佐又兵衛筆で知られ国の重要文化財。岩槻藩主の阿部重次が奉納した「鷹絵額十二面」は狩野探幽作で知られる。
また、童謡『あんたがたどこさ』発祥の地と言われる。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
10
0