ほうりんじ|曹洞宗|太平山
芳林寺のお参りの記録一覧
岩槻駅から徒歩5分。曹洞宗寺院。ご本尊は釈迦如来。
太田道灌公ゆかりの寺院で、ここの居城である岩槻城は、父親の道真公と道灌公の親子が築城しました。
また境内の桜をはじめ、梅などの様々な花が楽しめます。
御朱印も太田道灌ゆかりらしく「七重八重」の俳句が入っていました。
また、おばあちゃんが詳しく説明していただきました。
正門は閉まっていますが、横の勝手口から入ります。
岩槻城主の太田氏の菩提寺で、元々は相州の出身だったそうです。
太田道灌は、江戸城を築城した事で有名です。
太田道灌公の騎馬像です。
枝垂れ桜がちょうど盛りを迎えていました。
岩槻城主の太田氏資公の母方です。
禅問に帰依して「芳林妙春尼」と号していました。
後に逝去した時に、法号から「芳林寺」と名付けられました。
地蔵堂です。
弁天堂です。
太田道灌はまた歌人の道として、有名な俳句があります。
「七重八重花は咲けど山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」
道灌が鷹狩の帰りに、雨に降られ民家に立ち寄り蓑を貸してほしいと頼んだ所、山吹の花と共にこの俳句を渡されたとのことです。
八重山吹の花には実がならないのと同じように私の家にはお貸しする蓑はありませんという意味ということでした。
道灌は、自分の教養のなさを嘆き以後、歌の道に励んだそうです。
本堂です。
花まつりでした。
庫裏の前には七福神がお出ましです。
古梅の大木。その側には太田道灌公像です。
青い空に映える淡いピンク。
しばし見惚れてしまいました。
彌勒密寺から岩槻駅に向かう途中で見つけたお寺です。
なんかピンときた!(笑)
ご本尊は阿弥陀如様ですが、太田道灌ゆかりのお寺で供養塔があります。
芳林寺さんは埼玉県庁が最初に設置された場所らしいです。
御朱印は2種あり、書置きではありますが、印刷ではなく、全て手作りされていることが分かります。
御朱印は寺務所で頂きます。
入口のブザーを押すと、上品な奥様が出てこられた。
御朱印は2種類あり、まずはご本尊の釈迦如来のお姿印が入ったもの。
佛心の文字には金粉が混ざっていて、ちょっとキラキラ✨
中央に桔梗の線画が施されています。
やまぶきの花の絵と和歌が入った御朱印。
道灌がこの地に鷹狩に訪れた時のエピソードがこの御朱印のデザインになっています。
奥様にとても丁寧にこの御朱印の意味をご説明頂きました。
そのエピソードについての詳しい説明書きも頂いた。
以下抜粋。
激しい雨に降られてしまった道灌が民家に蓑を貸して欲しいと頼んだところ、住んでいた女性は黙ってやまぶきの花を差し出した。不思議に思った道灌が屋敷に戻った後に家臣にこの話をしたところ、後拾遺和歌集の「七重八重はなは咲くとも山吹のみのひとつだになきそ悲しき」という歌に基づいて、”実のなき”を”蓑なき”かけていることを教えられた。
八重山吹は実が成らないのと同じように、私の家にはお貸しする蓑がありません、という返事だったことを知った。自分の教養の無さに嘆き、以降、歌の道に励み、文武両道の達人になったと言われています。
本堂
境内の色んなところに太田道灌の像が立っております。
白山堂と寶聚稲荷大明神。
白山堂の標石には金刀比羅大権現、白山大権現、三峯大権現と刻まれているので、この三柱の合祀であろう。
宗派は曹洞宗。
東武アーバンパークライン(野田線)岩槻駅から徒歩3分くらいのところに居られます。
かつては比企郡松山(今の東松山市ですかね?それとも松山城のあった吉見町ですかね?)に居られた地蔵寺さんだったそうで、築城の名手としても知られる太田道灌の遺骨や遺髪(ん?道灌さんって坊主じゃなかったの?)を越生町の龍穏寺とここ芳林寺に納められたそうです。
ちなみに、太田資朝の母(陽光院殿芳林妙春大姉)が亡くなられた際に母親の名前から今のお寺の名前になったのだとか。
到着した時は夕方で既に門は閉まっておりましたので外から拝観。
太田道灌の騎馬像が立っております。
また日を改めて近くで拝みたいものです。
ちらりと見える道灌さん。灌チラ。
狛犬…というか、これはもう大陸風の獅子ですね。
この色合いはあまり関東では見ないですよね。砂を圧縮してるような質感に似ているように思えます。
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