ひかわにょたいじんじゃ
氷川女體神社のお参りの記録一覧(5ページ目)
氷川女體神社(ひかわにょたい~)は、埼玉県さいたま市緑区にある神社。『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国足立郡 多気比売神社」の論社。武蔵国一之宮を称し、全国一之宮会加盟社。旧社格は郷社。主祭神は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)で、氷川神社の主祭神・須佐之男命の妻。
社伝によると、創建は崇神天皇年間(6~7世紀)、出雲大社から奇稲田姫命を勧請して創建と伝わる。明治期に出版された『大日本地名辞書』では延喜式神名帳の「多気比売神社」の論社としているが、桶川市篠津の<多氣比賣神社>とする説が有力。
江戸期には徳川家康より社領を寄進され、徳川家綱は現存の社殿を造成した。また時代劇で有名な大岡越前守忠相が町奉行から寺社奉行に昇格した際、直ちに当社社殿を修復したとのこと。
江戸中期、18世紀前半の大規模新田開発までは、この周囲は広い沼地で、その見沼は神沼とされ、見沼周辺に建つ当社、氷川神社(大宮区高鼻)、中山神社(見沼区中川)は三社一体で氷川神社として奉斎されたとする神社明細帳控の記述もある。
江戸時代の神道家・橘三喜が当社から全国一之宮巡礼を始めたことから、全国一之宮巡礼発祥の地といわれている。『江戸名所図会』にも登場し、「元簸河神社」という名称で記載されている。
当社は、JR武蔵野線・東浦和駅の北2kmあまりの住宅街の中にあり、見沼氷川公園に隣接している。境内は小さな丘の上にあり、境内は自然のままの姿が多く残されており、広さは小さめの郷社といったところ。
参拝時は週末の午後で、参拝者はぱらぱらと来ていた。
境内に続く階段と鳥居。後ろは見沼氷川公園。
階段を上がり切った所からの景色。社殿までまっすぐに石造りの参道。
階段上がってすぐ右手にある<手水舎>。
参道中央から社殿を望む。両サイドの樹木が良い雰囲気を出している。
拝殿正面。扁額には<武蔵國一宮>の文字。
社殿側面。真っ赤な社殿は、拝殿とのバランスも良好。
境内左手にある社務所。授与所にはいろいろなものが置いてあって賑やかな雰囲気がGOOD。
境内右手にある<龍神社>。さいたま市周辺は広大な<見沼>であったため、龍神伝説が多くあるんだとか。
境内全景。龍神社のあたりから。
朝から秩父神社、氷川神社と回り
氷川女體神社に到着したのは夕方、
社務所の閉まるぎりぎりの時間になってしまいました。
まずお参りを済ませ御朱印を待っている間
ふと気づいた、
お守りの横に置かれた可愛らしいお人形。
「巫女人形」
全国でもここでしか授与されてないそう。
興味を覚え、家へ連れて帰ることにしましたが
願掛けにはいろいろ細やかな決まりがあるとのこと。すなわち
-巫女人形は私達の願いを大神さまに取り次いでくれる。
-人形は目につく所にお祀りする。
-毎日何度でも人形に願いを念じる。
-願いが叶ったら、お礼として人形に綺麗な着物を着せてあげる。
などなど。
しかと頭に叩き込み帰宅、
お人形を飾ったまではよいものの
(この願いを何としても叶えたい!)
そこまでの気迫・執念に欠ける私。
したがってお人形と目は合うものの念じることなく、
したがって願いも叶うことなく。
お人形が綺麗なおべべを着られる日は
遠いようです😞
巫女人形に罪はない。
全国一宮巡りで参拝しました。
平日に行くと無人だったりすることがあるらしいので、あえて紀元節の今日を狙い打ち!
見事御朱印をいただけました!
鳥居
公園のはずれにある感じでしたね
社殿
安定の権現造。扁額には堂々と武蔵国一宮の字が
本殿は流造
社務所
由緒書き
末社の龍のお宮らしいです
大宮氷川神社、小野神社とともに武蔵国の一之宮です。
境内は広くはないのですが鬱蒼と木々が生い茂り、
その中に社殿が溶け込むように佇んでいます。
どこかさみしげな感じがしますが、
それが逆に神域らしい雰囲気を醸し出しています。
都心に近く、一之宮としてはアクセスがいいのですが、
最寄りのJR武蔵野線東浦和駅からは少し離れています。
宮司さんは常駐しているわけではなさそうなので、
御朱印目当てのかたは書置き覚悟です。
御朱印
由緒書
鳥居
拝殿。森の中にひっそりと佇むように建っています。
拝殿脇には摂社や末社が並びますが、どこか寂しげな感じがします。
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