ひかわにょたいじんじゃ
氷川女體神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
武蔵国一宮
御祭神 奇稲田姫尊
今回、二回目の参拝になります
前回の時は御朱印のみだったので
手水舎
社殿
現在の御社殿は、徳川家綱公が寛文7年に忍城主阿部忠秋に
命じて再建されたとされています
社殿
本殿
巫女人形
力石
駐車場が見つからず、用水路の脇に停めさせてもらいました。丘の上にあるので、階段を登り境内へ。古くからある神社なのを実感。パワーを感じます。
書き置きを頂きました。一宮御朱印帳専用の御朱印もありました。
用水路の橋
階段を上がると鳥居
夫婦の木から拝殿を望み
拝殿
向かいが公園で、河津桜が綺麗に咲いていました
コロナ禍や多忙で年末年始はお休みして、2月からスタート。まずは、自宅付近(さいたま市)を歩いてみようと言うことで氷川三社巡りを2021年最初の寺社巡りをしました。
まずは武蔵国一宮氷川女體神社で御朱印を頂きました。3種類あるうちから龍の印を押されているものを選びました。
氷川女體神社では御朱印帳を頂きました。
龍伝説から龍のデザインが描かれています。氷川女體神社の鳥居です。
氷川女體神社は緑区宮本に鎮座しています。
(東浦和駅からバス)
住宅街を抜けると公園と氷川女體神社の杜が現れます。
氷川女體神社の拝殿。御祭神は奇稲田姫命です。
大宮の氷川神社を男体社(夫の神社)に対し、氷川女體神社は女体社(妻の神社)にあたります。
境内社の見沼の龍神社が鎮座し、見沼の龍伝承があり、さいたま市にはゆるキャラの「つなが竜ヌゥ」はここからきています。
御神木ですが、コブが熊みたいで、ナニコレ珍百景にもでたそうです。
社務所には人形がたくさん。
境内の前に磐船祭祭祀遺跡があります。氷川女體神社の重要な祭祀に見沼で御船祭が行われましたが、
見沼が開拓されたために祭祀場を設けて磐船祭が行われ、明治で行われなくなりましたが遺跡が良い状態で保存されています。
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御朱印
御朱印帳
由緒書
鳥居
手水舎
拝殿
拝殿
本殿
社務所の前の人形
ご神木。コブが熊の形になっています。
龍神社
磐船祭祭祀遺跡
磐船祭祭祀遺跡の案内板
釈迦院を出て本日の最終目的地の氷川女體神社を目指す。
グーグルで調べると、電車利用で70分。徒歩は90分。
ん~…徒歩に決定!!
地図を頼りに進むと、東北自動車道の脇を延々と4キロも歩く…
【もはや、後悔先に立たず…】
やっと高速から離れると、のどかな田園・花畑が現れる。
見沼区の緑地帯の公園らしく、散歩・散策の方が多く疲れも癒されました。
で、やっとの思いで、神社に到着。
ここも、裏から近づいたのだが、うっそうとした木々の小高い丘にあります。
一ノ宮と言うこともあり、参拝者の出入りは多かったです。
本殿の裏側には、小さな祠が10近くあり、様々な神様を祀ってました。
10月も下旬ですが、20度を超える気温と8キロ近くも歩いたので、
結構な汗だく状態でしたが、ゆっくりと涼みながらお参りしました。
帰りも当然ながら東浦和駅まで徒歩。
自宅に帰宅し本日の歩数を見ると34800歩。本年最高記録!!
【明日、明後日が怖い…】
途中の見沼区の緑地帯公園で、これは桜並木
春に再度、来てみたいです。
90分歩いて到着~
思わず、鳥居を仰ぎ見る
本殿の周りは、深い木々に覆われています。
力石だとか…
【262キロも、持ち上げられるモノでは無い】
参拝の記念に…
見沼公園に隣接する一ノ宮の神社。
雰囲気や境内の広さは一ノ宮?
と言う感じですが境内には古くから伝わる貴重なものがたくさんあるそうです。
神社の駐車場はありませんが、見沼公園の駐車場が近いので、こちらに止めてのお参りが良いかと思います。
林の中にひっそりとある神社。
ゆっくり見たかったのですが天気が悪くほどほどに。
本殿も古く趣を感じます。
社務所の脇にはたくさんの女性のお人形が。
神社の名前の通りですね。
一人一体で希望者には譲っているそうです。
左についたコブがクマの顔に似ていることから熊の御神木として呼ばれているそうです。
確かに顔に見えますね!
近くの見沼公園の池ではカモが雨にもかかわらず泳いでいました。
晴れてたらボーッと眺めていたんですが。。
御朱印は書き置きの対応でした。
何種類かから選ぶことができます。
氷川女體神社(ひかわにょたい~)は、埼玉県さいたま市緑区にある神社。『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国足立郡 多気比売神社」の論社。武蔵国一之宮を称し、全国一之宮会加盟社。旧社格は郷社。主祭神は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)で、氷川神社の主祭神・須佐之男命の妻。
社伝によると、創建は崇神天皇年間(6~7世紀)、出雲大社から奇稲田姫命を勧請して創建と伝わる。明治期に出版された『大日本地名辞書』では延喜式神名帳の「多気比売神社」の論社としているが、桶川市篠津の<多氣比賣神社>とする説が有力。
江戸期には徳川家康より社領を寄進され、徳川家綱は現存の社殿を造成した。また時代劇で有名な大岡越前守忠相が町奉行から寺社奉行に昇格した際、直ちに当社社殿を修復したとのこと。
江戸中期、18世紀前半の大規模新田開発までは、この周囲は広い沼地で、その見沼は神沼とされ、見沼周辺に建つ当社、氷川神社(大宮区高鼻)、中山神社(見沼区中川)は三社一体で氷川神社として奉斎されたとする神社明細帳控の記述もある。
江戸時代の神道家・橘三喜が当社から全国一之宮巡礼を始めたことから、全国一之宮巡礼発祥の地といわれている。『江戸名所図会』にも登場し、「元簸河神社」という名称で記載されている。
当社は、JR武蔵野線・東浦和駅の北2kmあまりの住宅街の中にあり、見沼氷川公園に隣接している。境内は小さな丘の上にあり、境内は自然のままの姿が多く残されており、広さは小さめの郷社といったところ。
参拝時は週末の午後で、参拝者はぱらぱらと来ていた。
境内に続く階段と鳥居。後ろは見沼氷川公園。
階段を上がり切った所からの景色。社殿までまっすぐに石造りの参道。
階段上がってすぐ右手にある<手水舎>。
参道中央から社殿を望む。両サイドの樹木が良い雰囲気を出している。
拝殿正面。扁額には<武蔵國一宮>の文字。
社殿側面。真っ赤な社殿は、拝殿とのバランスも良好。
境内左手にある社務所。授与所にはいろいろなものが置いてあって賑やかな雰囲気がGOOD。
境内右手にある<龍神社>。さいたま市周辺は広大な<見沼>であったため、龍神伝説が多くあるんだとか。
境内全景。龍神社のあたりから。
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