してんのうじあみだどう(ねんぶつどう)|和宗総本山四天王寺境内御堂|荒陵山
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和宗総本山 四天王寺内に建つ阿弥陀堂。
法然上人25霊場 第6番札所
法然上人25霊場の納経帳を持っているにも関わらず、この日持参するのを忘れてしまいました。
なので敢えて御朱印はいただかず、また改めて出直してきたいと思います。
とは言え、お参りしないのも失礼と思い、阿弥陀堂内に上がらせていただきしっかりと拝ませていただきました。
法然上人25霊場HPには、以下のような記載がありましたので勝手ながら転載させていただきます。
『法然上人は文治元年(1185)51歳の時に、慈円僧正の招きでここに参詣し往時を慕われお念仏を唱えて日想観を修せられた。又、高野の明遍僧都が夢に四天王寺の西門のあたりで、病人に粥を施している聖のあるのをみて、それが法然上人であることを知ってめざめ、その後、専修念仏の門に入られたと伝えられている。記録によると元和三年(1617)に鳥羽法皇が立てた御誓願のもと「短声堂」「引声堂」として再建されたことが記されており、これが昭和20年の戦災で焼失するまで西門にあった。平安時代以降、念仏三昧院、念仏堂と呼称された堂宇が短声、引声と名を変えて再建されたのである。現在、念仏堂は無く、阿弥陀堂を札所に定めている。』
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法然上人二十五霊場第6番。なかなかきれいなお堂。もちろん中へ入らせていただきました🤗正面に阿弥陀様、左に法然上人の画像か祀られており右手には観音様のお姿も。ちなみに確認しましたが写真はNGでした(ですよね~😅)御朱印は朱印所でとのことでお話を伺いました。阿弥陀堂も他と同様空襲で焼失。念仏堂も焼失し、阿弥陀堂のみ三重・津市の国束寺(くずかじ)の本堂を譲り受けたそうです(念仏堂は再建計画中らしい)。なので建物自体は江戸時代前期のものであり、天井には天女の絵などもありました。ふと授与所のところに伊藤若冲の果蔬涅槃図のタペストリーがあったので若冲話を。若冲ゆかりの誓願寺や宝蔵寺で涅槃会には果蔬涅槃図(もちろん複製ですが)が飾られるなど涅槃会・若冲忌にはぜひ京都へとおススメしてまいりました🤣
もともと念仏堂焼失後、六時禮讃堂が霊場だったらしいのですがいつからか阿弥陀堂に霊場が移ったようです。
四天王寺阿弥陀堂(念仏堂)の情報
| 住所 | 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 |
|---|---|
| 行き方 | JR大阪環状線「天王寺」駅徒歩12分
|
四天王寺阿弥陀堂(念仏堂)の基本情報
| 名称 | 四天王寺阿弥陀堂(念仏堂) |
|---|---|
| 読み方 | してんのうじあみだどう(ねんぶつどう) |
| 御朱印 | あり 圓光大師二十五霊場御朱印 |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 06-6771-0066(四天王寺) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 荒陵山 |
| 宗旨・宗派 | 和宗総本山四天王寺境内御堂 |
| ご由緒 | 四天王寺が創建されたのは、今から1400余年前の推古元年(593年)。聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のため、仏教の守護神である四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を安置し建てたと伝えられる。南から北に向かって中門、五重塔、金堂、講堂といった主要な堂宇が一直線上に並び、それを回廊が囲む建築様式を「四天王寺式伽藍(がらん)」といい、日本で最も古い伽藍配置様式である。太子の遺業は、創建の際に四箇院を設置したことがあげられる。四箇院とは、仏教を基とした全人教育を行う事業である「敬田院」、今日でいう社会福祉事業にあたる「悲田院」、現在の四天王寺病院をはじめとした医療部門の「施薬院」「療病院」である。
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