つなしきてんじんじゃ
綱敷天神社
大阪府 中崎町駅
参拝:6:00〜日暮
授与所:9:00〜17:00(現在休止中)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし(御祈祷を受ける方のみ可) |
フラっと太融寺から足を伸ばしました。
歩いて5分程度です。
稲荷巡りで来ました。
喜多埜稲荷神社も、立派です。
度重なる戦災で詳細な創建の記録は無いそうです。
神社の方は、今はこちらの本社よりも、茶屋町(阪急電車 大阪梅田駅辺り)の御旅所に、拠点を移されているようで、御朱印もそちらで対応して下さるようです。
正門
本殿
喜多埜稲荷神社
JR大阪駅から徒歩15分ほどのところに鎮座。
大阪の真ん中にありながらどこか下町の風情があり、境内にいると騒音も感じないほど静かでした。
ちょうど境内では地元の方が空手?の稽古をはじめようとしているところでした。
なのでお邪魔をしないようにささっと参拝、そして写真を撮って失礼させていただきました。
昔、この地はほぼ海だったようで、川も多く低地だったため治水に悩まされていたとか。
ただ梅や松林があり、風光明媚で皇族などがよく訪れたそうです。
弘仁13年(822年)、第52代天皇の嵯峨天皇もこの地を御行幸され、仮殿を設けて一泊されました。
承和9年(842年)に嵯峨天皇御崩御され、その翌年、嵯峨天皇の皇子である源融公が嵯峨天皇御追悼のため太融寺に七堂伽藍を建立。
そして当地に嵯峨天皇の御名「神野」をとって神野大神宮を創建されました。
その後昌泰4年(901年)、菅原道眞公の九州大宰府までの左遷の際にこの地の紅梅に目を留められて、船の艫綱を円座状にして即席の座としその上に座られて梅を鑑賞されました。
それが「綱敷」の由来となっているようです。
御朱印は阪急電鉄「大阪駅」の北側・茶屋町にある綱敷天神社御旅社にていただけるようです。
詳しくは綱敷天神社HPにてご確認ください。
拝殿
拝殿前にある立派な燈籠
神牛
手水舎
喜多埜稲荷神社
境内東側の入り口
東側の入り口付近にある由緒書き
文字が小さいっ!
参拝を終えて大阪駅方向へ
HEP FIVEの観覧車と、ダイキンエアコンのぴちょんくん
第五十二代嵯峨天皇は、弘仁十三年(822)津の国難波兎我野町に行幸され、この地で一夜をすごされた。
天皇死去後、皇子の左大臣源融公は、追悼のあまり承和十三年(843)この神山の地に神野神社として奉祀された。
菅原道真公は、延喜元年(901)太宰府権師に左遷の時、この北野の地に着船、神野神社に参拝され、紅梅樹が美しく咲いていたので、船綱をといて御座とし賞翫された。
今、御神宝とされている綱から綱敷天神社といわれ学問の神様として御進行があり、守り伝えられています。
名称 | 綱敷天神社 |
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読み方 | つなしきてんじんじゃ |
通称 | 喜多埜綱敷天神社 |
参拝時間 | 参拝:6:00〜日暮
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参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 06-6361-2887 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | tunashiki@jinja.jp |
ホームページ | http://tunashiki.com |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主》嵯峨天皇,《配》菅原道真 |
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創建時代 | 承和十三年(843) |
ご由緒 | 第五十二代嵯峨天皇は、弘仁十三年(822)津の国難波兎我野町に行幸され、この地で一夜をすごされた。
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体験 | 祈祷御朱印 |
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