つなしきてんじんじゃ
綱敷天神社のお参りの記録一覧
梅田辺りを走り、以前からお詣りしたかった綱敷天神さんにお詣りしました。五十二代嵯峨天皇と菅原道真公をお祀りされています。梅田の氏神さまで梅田の梅の字の由来ともご縁のある社とのことです!
梅田のど真ん中にある天神社です。
御祭神は菅原道真様と嵯峨天皇です。
嵯峨天皇祀ってるのは珍しいかも。
近くには嵯峨天皇の皇子の源融が建立した太融寺もあり、融の子は有名な渡辺綱。そしてこのあたりは渡辺津という湊があったとされ、渡辺家が管轄していたようで、代々縁がある土地ですね。
近くには太融寺もありますが、露天神(お初天神)もあり、それらに比べると静かな飲食です。
周りは梅田でも特に有名な繁華街の東通りがあるんですがね。
摂社末社には喜多埜稲荷神社と、白龍社と猿田彦社があります。
喜多埜稲荷神社でお参り中に合掌したら、いつものように、そよ風吹いてくれました!
正門
御由緒
喜多埜稲荷神社
大阪の神社めぐり⛩
露天神社から歩いて10分ちょっとで綱敷天神社さんに到着です。
綱敷天神社さんは御本社の他にあと二社あり
ここから少し離れた場所に歯神社、綱敷天神社御旅社があります。
こちらは御本社ですが神職さんは常駐されていないようで「御朱印は御旅社の方で」との張り紙がありました。
実は私は「歯神社」がとても気になっており🦷
そちらの御朱印も御旅社の方で頂けるとの事でしたので
参拝後は歯神社、御旅社、と順に巡ろう!と瞬時に計画しました。
が、リサーチ不足でした(´ω`;)
しかもこの後盛大に道に迷ってしまいました笑
社殿の裏側のこちらに到着しました
正面へまわります
撫で牛さん
「幸せを手にいれるんじゃない
幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ」甲本ヒロト。
拝殿前に書かれた文に思わず頷きながらの参拝です。
喜多埜稲荷神社
白龍大神さまと猿田彦大神さま
家から徒歩20分もかからないため、いつでも行けると思って後回しにしていた綱敷天神社さん。
時間ができたので散歩がてらに行ってきました。
最初に到着したのが裏手側だったようで、門が閉まっていたので一瞬焦りました。
すぐに気づいたので半周回って正面に到着。
お店や建物が密集した地域にあり、小ぢんまりとしていますが存在感はあります。
鳥居をくぐり真正面に拝殿が。お賽銭箱が見当たらなくて左右を確認。ない。なんで?
近づいて見ると、扉に隙間がありその奥にお賽銭箱がありました。なるほど。
お参りを済ませて、境内の蕾がたくさんついてる梅の木を拝見してホッコリしました。
御朱印は御旅社でいただけるとのことなので、後日御旅社へ参拝した時にいただこうと思います。
JR大阪駅から徒歩15分ほどのところに鎮座。
大阪の真ん中にありながらどこか下町の風情があり、境内にいると騒音も感じないほど静かでした。
ちょうど境内では地元の方が空手?の稽古をはじめようとしているところでした。
なのでお邪魔をしないようにささっと参拝、そして写真を撮って失礼させていただきました。
昔、この地はほぼ海だったようで、川も多く低地だったため治水に悩まされていたとか。
ただ梅や松林があり、風光明媚で皇族などがよく訪れたそうです。
弘仁13年(822年)、第52代天皇の嵯峨天皇もこの地を御行幸され、仮殿を設けて一泊されました。
承和9年(842年)に嵯峨天皇御崩御され、その翌年、嵯峨天皇の皇子である源融公が嵯峨天皇御追悼のため太融寺に七堂伽藍を建立。
そして当地に嵯峨天皇の御名「神野」をとって神野大神宮を創建されました。
その後昌泰4年(901年)、菅原道眞公の九州大宰府までの左遷の際にこの地の紅梅に目を留められて、船の艫綱を円座状にして即席の座としその上に座られて梅を鑑賞されました。
それが「綱敷」の由来となっているようです。
御朱印は阪急電鉄「大阪駅」の北側・茶屋町にある綱敷天神社御旅社にていただけるようです。
詳しくは綱敷天神社HPにてご確認ください。
拝殿
拝殿前にある立派な燈籠
神牛
手水舎
喜多埜稲荷神社
境内東側の入り口
東側の入り口付近にある由緒書き
文字が小さいっ!
参拝を終えて大阪駅方向へ
HEP FIVEの観覧車と、ダイキンエアコンのぴちょんくん
阪急東中通商店街の中にある住宅街に建つ天満宮で、元々は第45代嵯峨天皇さまがこの地まで行幸していたときの頓宮になっていた場所で、皇子の源融公がその縁で嵯峨天皇さまを祀って創建した神野太神宮が起源となります。
《鳥居と社号碑》
《由緒書き》
嵯峨天皇さまの諱が「神野」であったため社名に使われました。また、皇子皇女が多かったため、財政維持のため一部皇族の臣籍降下が始まったのもこの方からです。
《白龍社》
白龍大神さまと猿田彦大神さまを祀ります。
《手水舎》
コロナ禍で使えなくなっています。
《喜多埜稲荷神社》
創建は旧記が焼失したため不詳ですが、修験道の行者さんによって御火焚祭が行われているので篤い信仰があったようです。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
この神社の近くの太融寺に参拝していた道真さんの前に見事に咲き誇る紅梅の木があったそうです。目を奪われた道真さんは近くにあった艫綱を即席の円座にして花見をしたそうで、これが社名の由来となっています。
《社務所》
普段は無人で、茶屋町の御旅社に神主さんはおられます。
《干支絵馬》
しかし絵馬やおみくじは社頭に並んでいるので受けることができます。
《黄櫨染御袍の絵馬》
天皇陛下が大嘗祭のときのみお召しになる装束で、最近大嘗祭がありましたから記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。
ちなみに重儀の際にこの御袍を着るようになったのは嵯峨天皇さまからだと言われています。
《送軍紀念碑》
日清戦争に従軍した氏子さんたちの無事を祈って作られました。のちに太平洋戦争後に軍国時代の遺跡として廃棄される予定でしたが、崇敬者たちによって地中に埋められて隠され難を逃れたんだそうです。
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