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おおみわじんじゃ

大神神社のお参りの記録一覧(8ページ目)
奈良県 桜井駅

マタピコ
マタピコ
2021年07月04日(日)
153投稿

三輪山自体が神様。茅の輪くぐりありました。参道に入ると木々に囲まれ涼しくなります

大神神社の建物その他

参道から入口

大神神社の鳥居

鳥居にも重厚さがあります

大神神社の本殿

三つの茅の輪くぐりです。くぐる順番確認して入りました

大神神社の御朱印

今日はまた、書置でしたが頂けました

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湯守りと妖怪
湯守りと妖怪
2021年08月14日(土)
41投稿

大神神社には本殿がありません。三輪山そのものがご神体であり、拝殿から神体山を拝するという自然崇拝に基づく上代の信仰形態を伝えています。
「日本書紀」による創祀のことは、疫病が流行した際、古代大和政権を確立した人物との見方が強い崇神天皇が神託にもとづき、大田田根子を神主として大物主大神を祀り、国に平穏を取り戻したのが大神祭の始まりとされています。

大神神社について記紀の中にも多くの物語があり、神仏習合や廃仏毀釈の時代を強固たる祭祀により乗り切り未来へと続きます。
多くの祭りにも一般の参列が認められるものがあり、機会にあわせて立ち寄ってみてはいかがでしょうか。古代の風が感じられるかも。

本社部分と周辺部に分けて投稿したいと思います。

大神神社の鳥居

大鳥居
昭和59年の昭和天皇ご親拝と在位60年を記念して建立。昭和61年完成、高さ32.2m柱間23mで国内屈指の大きさ、車道をまたぐ鳥居としては日本一。

大神神社の末社

綱越神社 延喜式内社 摂社
大鳥居の右 国道169号桜井より。
祓戸の大神を祀り往昔から夏越しの祓えが例祭として行われます。社名の綱越は「夏越し」が訛ったとされ、例祭「御祓祭おんぱらさい」の名から神社は通称「おんぱらさん」と親しまれます。
本社の最も大切な「卯の日神事」つまり大神祭の奉仕に先立ち、その前日に神主以下奉仕員が初瀬川で禊の儀を受けて、初めて本社の神事に携わる事が出来ました。

大神神社の鳥居

一の鳥居
大鳥居が一の鳥居と思われがちですが、綱越神社近くの少し分かりずらい所にあります。

大神神社の建物その他

一の鳥居から続く本来の参道です。
大鳥居より続く広い車道の脇にあります。

大神神社の鳥居

二の鳥居

大神神社の鳥居

石標 大神神社

大神神社の建物その他

ニノ鳥居の扁額
「三輪明神」となっています。

大神神社(奈良県)

御手洗橋
御祓川(大宮川)に架かります。

大神神社(奈良県)

祓戸神社
祓戸四神をまつります。
瀬織津姫神・速秋津姫神・気吹戸主神・速佐須良姫神。
ニノ鳥居から参道を進むと最初に鎮座している神社で、諸々の罪・穢れを祓う四柱の神を祀ります。

大神神社(奈良県)

夫婦岩
二つの岩が仲よさげに寄り添う岩。古くは信仰の対象である磐座とおもわれます。
赤い土が付いた糸が大切な人の元へ導いてくれる、ということから「運命の赤い糸」と言われるようになったとか、ロマンチックなお話し。

大神神社(奈良県)

しるしの杉
手水舎の奥にあります。大物主大神が座した御神木。「しるし」とは、神の霊験のことで、御祭神が現れたとされる神杉。
三輪の七杉は衣掛杉・門杉(しるしの杉)・おだまき杉・燈明杉・二本杉・飯杉・伐掛杉と言われるが、根株が残るのは前の三つの杉だけで残りは現存しない。

大神神社(奈良県)

手水舎
酒樽と蛇の彫像、大物主大神の別の姿といわれる蛇神を思わせる蛇の彫像があります。手水舎にある酒樽には大神神社の社紋である三つ杉も。
古代では水を司る神様は蛇の姿をしているものと考えられていた。

大神神社の自然

衣掛杉
「古今和歌集」でも詠まれて周囲10mに及ぶ巨大な古株。
能の演目「三輪」に出てくる玄賓僧都が、三輪の神様の化身の里女に与えた衣が掛かっていた杉と伝わる。

大神神社の自然

巳の神杉
江戸時代より雨乞いの杉としてお参りされています。
いつしか根本に蛇が棲みだしたので、巳の神杉と呼ばれるように。

大神神社の建物その他

巳の神杉前のお供え 卵とお酒

大神神社の鳥居

注連縄
注連縄は蛇の濃厚な交尾を表していると言われるが、大神神社は逆の締め方(左綯え)、これ和出雲大社などと同じ。
「尻くめ縄」と表現されるが、「日本書記」によれば「左綯いの端出すという」と記していて、注連縄には左綯いの縄を用い、しめ子という藁の端を出すものとされる。

大神神社の本殿

拝殿
徳川四代将軍家綱の再建造営。
三輪山を背に西向きに立つ。屋根は檜皮葺きの切妻造り。
1317年(文保1)には造営されており修繕を繰り返しています。
拝殿奥の三輪山の禁足地との境界にある三つ鳥居、起源は不詳で古文書にも「古来一社の神秘なり」と記されています。
中央部分の床が一段低く、割拝殿形式になっている。

大神神社の本殿

拝殿の唐破風
江戸時代の建築様式を伝えます。唐破風には蛙股が見られます。

大神神社の建物その他

拝殿右側の勅使殿
朝廷からの勅使が控えた場所。

大神神社の建物その他

拝殿左の到着殿

大神神社の建物その他

参集殿
なでうさぎを観ることはできませんでした。
御祈祷を始め各種総合受付所である。受付にてご祈祷・お神楽祈祷を申し出、木綿襷を受け控え所で待ちます。

大神神社の建物その他

祈祷殿
平成の大造営で1997年竣工。大部分に台湾檜が使用されています。お正月にはこの前に、なでうさぎが置かれるようですが確認しておりません。

大神神社の建物その他

宝物収納庫
コロナ休館中です。

大神神社(奈良県)

ささゆり園
休園中です。大神神社の御神花。大神神社の摂社・率川神社が行う三枝祭では神饌として捧げる酒樽を笹百合で飾ります。

大神神社の建物その他

くすり道
病気平癒の御利益で知られる狭井神社へと続き、製薬会社が奉納した燈籠が立ち並んでいる。歩道には多くの植物が育ちます。

大神神社の末社

神宝神社
熊野三山の神々を祀ります。古くよりお宝・財物を守護する神として信仰されます。

大神神社の末社

天皇社
三輪山の麓に都をおいた第十代崇神天皇を祀りまs。日本の姿を整えた天皇と言われています。

大神神社の末社

活日神社
崇神天皇の時代に大神神社の掌酒を務めた名人・高橋活日命を祀ります。
記録に残る日本初の杜氏であり酒の神として知られます。

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湯守りと妖怪
湯守りと妖怪
2021年08月18日(水)
41投稿

本社周辺部を周ってみました。
大直禰子神社の本堂として残り、かっては大神寺あるいは三輪寺と呼ばれた大御輪寺、寺院は完全に消え去り、鎮守社だけが残った尼寺の浄願寺、一旦は消滅しながらも住職や近在有志の努力により復興再建した平等寺。
明治の廃仏毀釈の嵐の中で、大神神社の三つの神宮寺は同時に廃寺となりながらも、まさに三者三様の道をたどっています。
廃仏毀釈の嵐の中で、本当に周囲から必要とされ支えられた寺院であったのか、厳しい選別をされた時代であったのかも。
現在も形を変えた同様の時代が訪れているように思えてなりません。

大神神社の建物その他

磐座神社 摂社 
三輪山周辺点在する神が鎮まる岩、辺津磐座の中心でご神体は磐座そのもの。
薬の神様、少彦名命を祀り御殿がありません。
磐座を神座とする原始の神道の姿を伝えます。

大神神社の末社

市杵島姫神社
九州の宗像や安芸の宮島と同じ海の神・水の神である市杵島姫を祀ります。
七福神の中で、芸能や財宝を司る弁天さんとして親しまれます。
この神社は桜井市茅原鎮座の末社・厳島社から勧請。

大神神社の末社

狭井神社 摂社 狭井坐大神荒魂神社
本社の荒魂を祀る。病気平癒の神として信仰が篤い。万民の無病息災を祈る鎮花祭は古く国家の祭祀として行われていました。
祭では多くの医薬業者が参列する「薬まつり」として有名です。

大神神社の建物その他

三輪山登拝口
登拝はご確認ください、参考までに通常時の受付時間は午前9時から正午までで下山報告は午後4時までに。禁止日があります。

大神神社の建物その他

狭井神社 薬井戸
拝殿脇にあり神水が湧き出ており、遠方からも多くの人が薬効を求めて訪れます。
近代的に定水量自動弁が設置されています。

大神神社の末社

貴船神社
檜原神社へ向かう途中、山の辺の道沿いに。

大神神社の本殿

玄賓庵
平安時代の高僧・玄賓僧都が修行した場所と言われ、元々三輪山の檜原谷にあり、廃仏毀釈により現在の地に遷る。真言宗・醍醐派。

大神神社の末社

檜原神社 摂社
伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神を祀る元伊勢のひとつ。
崇神天皇の時代に皇居の外で祀られるようになった天照大御神が、最初に遷られたのがこの地と言われています。
ご神体は三輪山の磐座であるため、本殿は無く大神神社同様に三ツ鳥居から拝む形式。

大神神社(奈良県)

豊鍬入姫宮
三ツ鳥居の左側にあります。

大神神社の景色

大美和の社展望台
周囲の樹木の生長により展望がききにくく、大和三山の眺望が難しくなっています。。

大神神社の自然

展望台より久延彦神社への道沿いのささゆり

大神神社の建物その他

久延彦神社
久延毘古命は智恵は世に類いなく優れ「古事記」に「足は行かねど天下の事を尽く知れる神」と記されています。
それゆえに智恵・学問の神様として信仰を集め知識・智力の向上に御力を授けてくれると。
その正体は案山子とされています。

大神神社の鳥居

久延彦神社よりの大鳥居を望みます。

大神神社の鳥居

若宮社 大直禰子神社 
祭神が大物主大神の子孫であることから若宮社と呼ばれる。
明治以前は大御輪寺と呼ばれ歴史は古い。寺名は鎌倉時代の叡尊による中興以降のものである。
ニノ鳥居を前にして左に折れる道を行くと、大御輪寺の旧境内でありその本堂だけが残って社殿に転用された。寺門は鳥居に替わり、他の堂宇も廃絶するも、門前の地蔵堂(庵室)は健在である。
聖林寺安置の十一面観音(国宝)は、大御輪寺の本尊で本地仏であったと。
フェノロサが寺の縁の下に捨ててあったのを聖林寺に移したという話しもあるが、台座も含めて大きな欠損が無いので逸話であろう。
本堂が破壊を免れたのは、本堂内陣の脇の間に若宮を祭祀していたため神殿と見做された、あるいは本堂まで破壊すると若宮を祭祀する社殿が無くなって不都合であるとの事情があったのかも。
廃仏毀釈の際に、境内の池畔や初瀬川堤で焼き払われ、それが何日も続いたと古老の話しも伝わり、川向うの極楽寺の小堂に仏像が無造作に担ぎ込まれたとの話しです。

大神神社の自然

若宮社の鳥居前 おだまき杉

大神神社の山門

現在の平等寺
明治元年、鐘楼堂・護摩堂などが取り壊される。明治2年仏像・経典・仏具類は近隣の寺院・民家に散逸。
三輪流神道は密教と神道が習合した両部神道の一派である。
昭和52年平等寺の寺号に復しています。

大神神社の本殿

現在の平等寺本堂
近郊の檀家さんと思われる方もお参り訪れ、地域に支えられた寺であることがわかります。
平等寺と戦国武将島津義弘との話しも温まる話。

大神神社の仏像

金屋の石仏
山の辺の道沿いの喜多美術館の近くにある収蔵庫に2体の石仏が安置され、ともに凝灰岩製の石板に浮彫されたもの、向かって右が釈迦如来・左が弥勒菩薩といわれる。

大神神社の末社

成願稲荷神社
神宮寺の一つで尼寺であった浄願寺の鎮守祠として鎌倉時代に創祀
御祭神は稲荷の神様で、全ての食物を司ると共に商売繁盛・開運招福・念願成就の霊験あらたか。
廃仏後は地元で祭祀され、1966年(昭和41年)大神神社の末社となる。

大神神社の建物その他

成願稲荷神社横の土塀
浄願寺跡なのかは確認できておりません。

大神神社の建物その他

率川神社 摂社
奈良市内にあります。推古天皇の時代に建立。
古くから安産の神様として信仰されています。
明治維新までは興福寺の管理下に。

大神神社の末社

率川神社 本殿

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惣一郎
惣一郎
2021年04月20日(火)
1269投稿

大神神社(おおみわ~)は、奈良県桜井市にある神社。式内社(名神大)、大和国一之宮、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。平安時代の延喜式神名帳では「大神大物主神社(おほむわのおほものぬしの~)」、中世以降は「三輪明神」と呼ばれ、明治時代に「大神神社」と改称。社殿は拝殿のみで本殿を持たず、拝殿背後の三輪山自体を御神体として、三ツ鳥居を通して仰ぎ見る古神道の形態を持つ。なお、大神神社境内は国の史跡に指定されている。

『古事記』や『日本書紀』にも記載がある古社。創建は不詳だが、有史以前。国史にも当社の奉幣や神階昇進に関する記事が多数あり、朝廷から篤く信仰されていたことが分かる。859年には御祭神の大物主大神の神階が最高位の正一位となった。927年の延喜式神名帳では、「大和国城上郡 大神大物主神社 名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。
中世以降は神仏習合が色濃く、平等寺、大御輪寺、浄願寺という3つの大きな神宮寺のもと、「三輪明神」として信仰を集めた。
明治時代になると、神仏分離令により「大神神社」と改称。神宮寺はすべて廃仏毀釈で廃寺となった。

当社は、JR桜井線(万葉まほろば線)・三輪駅の東側300mの場所に神域入口の二の鳥居がある。さらに200m東に拝殿があり、その東側1kmに三輪山(標高467m)があって、そこまでが神域となっている。主要境内地はちょっとしたアップダウンがある傾斜地になっていて、平野が見渡せる場所もある。

参拝時は週末の朝早くで、大雨が降っていたが、その割には参拝者がけっこういた。

★(祝)奈良県の神社の初参拝は、あこがれの<大神神社>。『古事記』や『日本書紀』に書いてあるって、由緒がスゴイ。
 降り止まない大雨が熱烈歓迎...涙  でも、おかげで写真は古社特有のしっとり感が抜群...汗

大神神社の鳥居

境内入口にあたる<二の鳥居>と<社号標>。

大神神社の鳥居

二の鳥居。その奥に木々にすっぽり覆われた長い参道が続く。扁額には<三輪乃神>の文字。

大神神社の建物その他

参道の終わり近くで<神橋>を渡る。

大神神社の末社

神橋を渡ってすぐ左手にある、末社<祓戸神社>。

大神神社の鳥居

参道を進み左手にある<夫婦岩>。鳥居奥の木の囲いの中に大岩が2つある。隣に<縁結び・夫婦円満 祈願絵馬掛け所>。

大神神社の手水

さらに参道を進んで左手にある大きな<手水舎>。藁葺屋根が苔むした本格仕様。

大神神社の建物その他

拝殿への階段の右側、大きな立看板に完全に隠れたところに<衣掛杉>。周囲10mの神木。

大神神社の建物その他

拝殿への階段。期待が高まる。

大神神社の本殿

階段上の縄の鳥居をくぐると<拝殿>。江戸時代前期1664年の造営。

大神神社の本殿

拝殿正面。この日は雨のため、参拝用のテントが設置されている。この時点での神社幕は白色。

大神神社の自然

拝殿に向かって右手にある、御神木の<巳の神杉(みのかみすぎ)>。三輪の大物主大神の化身の白蛇がその名の由来。白蛇の好物、卵が参拝者によりお供えされるとのこと。

大神神社の建物その他

実際に、当社では賽銭箱のある建物には供物置場が設置されていて、卵と日本酒が供えられていた。

大神神社の鳥居

ここで拝殿向かって右側から拝殿前敷地から出る。出てすぐの正面にある<天皇社>の鳥居。ここから小山を登る。

大神神社の末社

小山の上にある<天皇社>。三輪山麓に都を置いた、第十代崇神天皇を祀る。

大神神社の鳥居

拝殿前敷地を出て左手にある<神宝神社>の鳥居。

大神神社の末社

まっすぐ進むと<神宝神社>の社殿。熊野三山の神々を祀る。この左側が拝殿裏にあたるが、もちろん本殿は存在しない。(かと言って、国指定の重要文化財の<三ツ鳥居>も見えない...涙)

大神神社の自然

<神宝神社>の参道脇にあった<銀竜草(ぎんりょうそう)>。ツツジ科ギンリョウソウ属の多年草。腐生植物。白く儚げで美しい。

大神神社の建物その他

拝殿に向かって左後ろにある<授与所>。御朱印はこちら。
(ただし、この時点で8:30で絶賛準備中。オープンは9:00から。三輪山中の摂末社をたっぷり廻ってから御朱印を拝受。)

大神神社の本殿

授与所から拝殿を望む。

大神神社の本殿

授与所脇から階段を下り、拝殿に向かって左方向にある大きな<祈祷所>。この時点で神社幕は白色。後で戻って来ると色に変化が。

大神神社の建物その他

祈祷殿左脇の建物は<儀式殿>。その左脇に<くすり道>の石碑がある。

大神神社の鳥居

くすり道を登って、突き当りを右に行く(拝殿方向に戻る)と現れる<活日神社(いくひじんじゃ)>の鳥居。ちょうど、さっきの<祈祷殿>の裏あたり。

大神神社の末社

ちょっとした小山の階段を登ると<活日神社>の社殿。崇神天皇に召され、三輪大神に供える酒を造った高橋活日命(杜氏の祖先神)を祀る。

大神神社の鳥居

拝殿から離れる方向に進むと<盤座神社(いわくらじんじゃ)>。社殿はなく、岩(磐座)を御神座として少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀る。薬の神。鳥居奥の木の囲いの中に大きな岩が一つある。

大神神社の鳥居

さらに進むと、摂社<狭井神社(さいじんじゃ)>の鳥居と社号標。

大神神社の鳥居

鳥居くぐってすぐ左側に、<市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)>の鳥居とその奥の社殿。九州の宗像大社の市杵島姫命を祀る。神池(鎮女池;しずめいけ)に浮かぶ出島の上に建つ。

大神神社の鳥居

参道を進むと階段の上に<狭井神社>の社殿。三輪の大神の荒魂(あらみたま)を祀る。社殿前が三輪山登拝口になっているため、雨用のテントが2つ張ってあり、残念ながら社殿は見えず。<狭井神社>の御朱印はこちら。

大神神社の建物その他

狭井神社から東に数百m、上ったり下りたりして進んだ高台にある<久延彦神社(くえひこじんじゃ)>。久延毘古神は『古事記』に記載される智慧の神様。社殿右側には大量の絵馬。<久延彦神社>の御朱印はこちら。

大神神社の本殿

三輪山の主要な摂末社を廻って、<祈祷殿>に戻ると神社幕の色が紺色に。

大神神社の本殿

拝殿に戻って、こちらでも神社幕が白色から紺色に変更。神職の方に話を聞くと、翌日例祭日の準備で、例祭日用の紺色に変更しているとのこと。なるほど。

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