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大神神社ではいただけません
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おおみわじんじゃ

大神神社のお参りの記録(2回目)
奈良県桜井駅

投稿日:2021年08月18日(水)
参拝:2021年6月吉日
本社周辺部を周ってみました。
大直禰子神社の本堂として残り、かっては大神寺あるいは三輪寺と呼ばれた大御輪寺、寺院は完全に消え去り、鎮守社だけが残った尼寺の浄願寺、一旦は消滅しながらも住職や近在有志の努力により復興再建した平等寺。
明治の廃仏毀釈の嵐の中で、大神神社の三つの神宮寺は同時に廃寺となりながらも、まさに三者三様の道をたどっています。
廃仏毀釈の嵐の中で、本当に周囲から必要とされ支えられた寺院であったのか、厳しい選別をされた時代であったのかも。
現在も形を変えた同様の時代が訪れているように思えてなりません。
大神神社の建物その他
磐座神社 摂社 
三輪山周辺点在する神が鎮まる岩、辺津磐座の中心でご神体は磐座そのもの。
薬の神様、少彦名命を祀り御殿がありません。
磐座を神座とする原始の神道の姿を伝えます。
大神神社の末社
市杵島姫神社
九州の宗像や安芸の宮島と同じ海の神・水の神である市杵島姫を祀ります。
七福神の中で、芸能や財宝を司る弁天さんとして親しまれます。
この神社は桜井市茅原鎮座の末社・厳島社から勧請。
大神神社の末社
狭井神社 摂社 狭井坐大神荒魂神社
本社の荒魂を祀る。病気平癒の神として信仰が篤い。万民の無病息災を祈る鎮花祭は古く国家の祭祀として行われていました。
祭では多くの医薬業者が参列する「薬まつり」として有名です。
大神神社の建物その他
三輪山登拝口
登拝はご確認ください、参考までに通常時の受付時間は午前9時から正午までで下山報告は午後4時までに。禁止日があります。
大神神社の建物その他
狭井神社 薬井戸
拝殿脇にあり神水が湧き出ており、遠方からも多くの人が薬効を求めて訪れます。
近代的に定水量自動弁が設置されています。
大神神社の末社
貴船神社
檜原神社へ向かう途中、山の辺の道沿いに。
大神神社の本殿
玄賓庵
平安時代の高僧・玄賓僧都が修行した場所と言われ、元々三輪山の檜原谷にあり、廃仏毀釈により現在の地に遷る。真言宗・醍醐派。
大神神社の末社
檜原神社 摂社
伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神を祀る元伊勢のひとつ。
崇神天皇の時代に皇居の外で祀られるようになった天照大御神が、最初に遷られたのがこの地と言われています。
ご神体は三輪山の磐座であるため、本殿は無く大神神社同様に三ツ鳥居から拝む形式。
大神神社(奈良県)
豊鍬入姫宮
三ツ鳥居の左側にあります。
大神神社の景色
大美和の社展望台
周囲の樹木の生長により展望がききにくく、大和三山の眺望が難しくなっています。。
大神神社の自然
展望台より久延彦神社への道沿いのささゆり
大神神社の建物その他
久延彦神社
久延毘古命は智恵は世に類いなく優れ「古事記」に「足は行かねど天下の事を尽く知れる神」と記されています。
それゆえに智恵・学問の神様として信仰を集め知識・智力の向上に御力を授けてくれると。
その正体は案山子とされています。
大神神社の鳥居
久延彦神社よりの大鳥居を望みます。
大神神社の鳥居
若宮社 大直禰子神社 
祭神が大物主大神の子孫であることから若宮社と呼ばれる。
明治以前は大御輪寺と呼ばれ歴史は古い。寺名は鎌倉時代の叡尊による中興以降のものである。
ニノ鳥居を前にして左に折れる道を行くと、大御輪寺の旧境内でありその本堂だけが残って社殿に転用された。寺門は鳥居に替わり、他の堂宇も廃絶するも、門前の地蔵堂(庵室)は健在である。
聖林寺安置の十一面観音(国宝)は、大御輪寺の本尊で本地仏であったと。
フェノロサが寺の縁の下に捨ててあったのを聖林寺に移したという話しもあるが、台座も含めて大きな欠損が無いので逸話であろう。
本堂が破壊を免れたのは、本堂内陣の脇の間に若宮を祭祀していたため神殿と見做された、あるいは本堂まで破壊すると若宮を祭祀する社殿が無くなって不都合であるとの事情があったのかも。
廃仏毀釈の際に、境内の池畔や初瀬川堤で焼き払われ、それが何日も続いたと古老の話しも伝わり、川向うの極楽寺の小堂に仏像が無造作に担ぎ込まれたとの話しです。
大神神社の自然
若宮社の鳥居前 おだまき杉
大神神社の山門
現在の平等寺
明治元年、鐘楼堂・護摩堂などが取り壊される。明治2年仏像・経典・仏具類は近隣の寺院・民家に散逸。
三輪流神道は密教と神道が習合した両部神道の一派である。
昭和52年平等寺の寺号に復しています。
大神神社の本殿
現在の平等寺本堂
近郊の檀家さんと思われる方もお参り訪れ、地域に支えられた寺であることがわかります。
平等寺と戦国武将島津義弘との話しも温まる話。
大神神社の仏像
金屋の石仏
山の辺の道沿いの喜多美術館の近くにある収蔵庫に2体の石仏が安置され、ともに凝灰岩製の石板に浮彫されたもの、向かって右が釈迦如来・左が弥勒菩薩といわれる。
大神神社の末社
成願稲荷神社
神宮寺の一つで尼寺であった浄願寺の鎮守祠として鎌倉時代に創祀
御祭神は稲荷の神様で、全ての食物を司ると共に商売繁盛・開運招福・念願成就の霊験あらたか。
廃仏後は地元で祭祀され、1966年(昭和41年)大神神社の末社となる。
大神神社の建物その他
成願稲荷神社横の土塀
浄願寺跡なのかは確認できておりません。
大神神社の建物その他
率川神社 摂社
奈良市内にあります。推古天皇の時代に建立。
古くから安産の神様として信仰されています。
明治維新までは興福寺の管理下に。
大神神社の末社
率川神社 本殿

すてき

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