よきてんまんじんじゃ
與喜天満神社奈良県 長谷寺駅
参拝自由
国の天然記念物に指定されている與喜山の中腹に鎮座されています。與喜山は古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山としてあがめられました。菅原道真公をご祭神とされています、境内には三つの磐座があり、古事記に記載されている「天の岩戸」の様子を再現しているようです。徳川家光寄進の手水石もあります。この山には三社の神社があります。大倉姫神、玉鬘姫命、天照大神、と女神をお祀りされています。
幾度か長谷寺にお参りさせていただいておりますが、参詣道傍にある神社等には申し訳ないが時間的にスルーしておりました。
長谷寺周辺部を参拝させていただきました。
「長谷寺霊験記」によると、天慶九年(946)天満天神の化身神殿太夫武麿が長谷の滝蔵社観音堂などに参詣したところ、滝蔵権現が伽藍の守護を天満天神に譲り、東の因曼荼羅の峰は断惑修繕に良き地なのでその峰に住むよう命じたため、天神は雷神となって峰に降臨、与喜明神と称したといい、新地主神と称した。とされています。
長谷山口坐神社 初瀬川に架かるかみかわばし
元伊勢の石碑、第十一代垂仁天皇の皇女・倭姫命が約八年間天照大神をお祀りしたと。
日本書紀には倭姫命が近江・美濃を巡り伊勢に入ったとの記載もあり、初瀬は出てこないが、一伝なのでしょうか。
長谷山口坐神社へ続く石段
長谷山口坐神社 拝殿
長谷山口坐神社 本殿
與喜天満神社 切石御旅所
肝心な切石の写真を撮り忘れ。
法起院
西国三十三所開基 徳道上人御廟所 番外札所
この世の寿命を終わりあの世へ赴いたが、閻魔大王から西国三十三所巡拝の功徳を語られ、再び娑婆へ戻り民衆に霊場巡拝を勧めよとして、観音有縁の地・三十三を示され、あの世から追い帰されたと、死後七日の上人が元の身に蘇り今日の札所を開くに至ったと、有名なお話。
與喜天神宮 石標
與喜天満神社 泊瀬稲荷社
與喜天満神社 石段
ちょっと、しんどい石段が続きますが昇る価値はあります。
與喜天満神社 廃寺與喜寺
與喜寺本堂は、長谷寺境内の本長谷寺が明治9年に浮浪者の焚火が原因で焼失しているため移築されています。
與喜天満神社 手水鉢
慶安三年(1650)九月吉日 徳川三代将軍家光より長谷寺本堂の大改修の時に寄進される。
與喜天満神社 狛犬
與喜天満神社 狛犬
與喜天満神社 狛犬
ここまで苔むした狛犬さんも、なかなか見かけません。
與喜天満神社 磐座 鵞形石
與喜山は古代には大泊瀬山と呼ばれ、大和の国に最初に太陽が昇ってくる聖なる山であり、伊勢信仰はこの初瀬の地が地理的にも出発点なのです。
第十代崇神天皇御代、豊鍬入姫命より第三番目の斎宮・伊豆加志本宮で皇大神宮が奉祀された斎宮も與喜山にあったと考えられています。
原初より女性は太陽神であり、神として敬れています。女性の皆様の守護神として御参詣ください。
と、説明文に有りました。良い雰囲気の神社ですよ。
與喜天満神社 拝殿
與喜天満神社 本殿
上屋が掛かっていますが、すばらしい神社です。
與喜天満神社 本殿横右三座
瀧蔵権現社の速玉命・伊弉諾尊・伊弉冉尊
與喜天満神社 本殿左二座
櫻葉社・白太夫社
階段途中にある與喜天満神社・社務所前の男女石
「この石を撫でて縁結び良縁・夫婦円満を御祈願ください」
御朱印が頂けるかどうかは確認しておりません。過去には拝受した記載も見受けましたが。
與喜天満神社 中之橋天満神社と中之橋詰御旅所
素戔雄神社
明治の神仏分離令により「牛頭天王寺」が廃止され改称しています。
明治以前の姿は不明ですが、「茅の輪めぐり」の行事が受け継がれ、お札には「牛頭天王」の文字が見られ、辛うじて偲ばれます。
素戔雄神社境内のイチョウ巨樹
樹高40mで県下最大といわれています。
素戔雄神社 本殿
素戔雄神社 十三重の塔
藤原家隆の供養塔と云われています。
素戔雄神社境内より長谷寺を望みます。
玉鬘神社
「源氏物語」第二十二帖の玉鬘の姫君に由緒をもちます。
長谷寺の信仰に取り入れられ、玉鬘観音がおかれ、初瀬山麓の玉鬘庵で女僧によって長く祀られてきました。
本居宣長は小説ごとだと言っているようです。
玉葛庵 尼のお墓
白髭神社
寺垣外、上之森、下乃森、与喜浦の四地域の氏神と書いてあります。
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