かつてじんじゃ
勝手神社のお参りの記録一覧
メインの参道に戻り如意輪寺様へ向かう道と宿坊エリアへ向かう道の分岐に勝手神社様が鎮座されています。
勝手神社全国二十八社の総本山で、主祭神は天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)をお祀りされていす。
かつては「吉野山口神社」「勝手明神」とも称し、吉野八社明神の一つとして信仰されてきました。
残念ながら社殿は2001年の不審火で焼失していて現在は再建中といった感じでした。
また、勝手神社様の境内は源義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞った場所といわれています。
寺社巡りをしていると不審火での焼失というのをたまに見掛けます…文化財への落書きといい、表現しがたい怒りが湧いてきます。
残念なことに、勝手神社は平成13年(2001年)、不審火で社殿が焼失してしまいました。 鳥居だけが残されており、かつて本殿があったであろう場所は野草が生い茂り、再建復興の寄付を募る看板が物寂しく映ります。 創建年代は不詳なるも地元の記録文献「日雄寺継統記」では、孝安天皇6年(紀元前386年)との記述があり、大海人皇子/天武天皇(おおあまのみこ)が社殿で琴を奏でたところ、天女が舞い降りて五度袖を振りつつ舞ったと伝えられ、雅楽「五節の舞(ごせちのまい)」の発祥地とされています。 また、文治元年(1185年)雪の吉野山で涙ながらに源義経と別れた静御前が、追手に捕えられた際に社前で雅な法楽の舞を舞ったという伝説があり、境内にはその「舞塚」が残されています。 御祭神は、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・大山祇命(おおやまづみのみこと)・久久能智命(くくのちのみこと)・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・苔虫命(こけむしのみこと)・葉野姫命(はのひめのみこと)の六神で、現在は𠮷水神社に仮遷座されていて、御朱印もそちらで対応いただけます。
勝手神社・鳥居と神社名碑
勝手神社・社殿跡
勝手神社・再建復興の寄付を募る看板
御朱印
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