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ひろせたいしゃ

廣瀬大社のお参りの記録一覧
奈良県 法隆寺駅

sasaki3
2024年02月26日(月)
523投稿

廣瀬大社 神仏霊場巡礼

廣瀬大社の御朱印

廣瀬大社 神仏霊場巡礼

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まるこびっち
2023年10月23日(月)
227投稿

二十二社の巡礼もあと2つとなりました。
今日は早起きしたので、思い切って電車で廣瀬大社に向かうことにしました。
JR法隆寺駅から、約3キロほどあるようですので、駅前からタクシーに乗車。二の鳥居前
で降ろしてもらいました。すぐご拝殿が見える場所です。
参拝者は私達夫婦のみでした。今まであがらせていただきました二十二社の中でもっとも
人がいなくって、閑静な場所でした。
この地は「廣瀬の川合」と言って、三方四方から川が集まって、大和川になる合流地点
で、廣瀬神社は「水の守り神」として鎮座されています。また法隆寺を挟んで反対側に
「龍田大社」(風の神さま)が鎮座されており、風と水で法隆寺をお守りされているような
形になっていることが興味深く感じられました。

廣瀬大社の御朱印

水が流れているような「水神」の文字が印象的な御朱印でした。

廣瀬大社(奈良県)

タクシーは参道の玉砂利道を走って二の鳥居前まで行ってくれました。

廣瀬大社(奈良県)

ご由緒書。主祭神さまは「若宇加能売命」(豊宇気比売大神)でいらっしゃいます。

廣瀬大社(奈良県)

境内にある「ご神馬」さま。

廣瀬大社(奈良県)

橘の木。この地は橘の木の産地だそうです。

廣瀬大社(奈良県)

ご拝殿後ろのご本殿。春日大社の造りですね。

廣瀬大社(奈良県)

ご拝殿正面。鈴が普通より大きいと感じました。

廣瀬大社(奈良県)

ご拝殿です。

廣瀬大社(奈良県)

参道の狛犬さま。こちらは「うん」でしょうか。

廣瀬大社の狛犬

参道の狛犬さま。「阿吽」の表情。こちらは「あ」でしょうか?

廣瀬大社(奈良県)

参道に置かれていた日露戦争時の戦利品。むかしはこのような物を神社に
寄進されていたのですね。

廣瀬大社(奈良県)

戦利品の大砲の砲弾?

廣瀬大社(奈良県)

3キロだし、行きのタクシーの感じでは、山道はなさそうなので、帰りは法隆寺駅まで徒歩
でチャレンジ。約30分片道だけで10千歩近くあるきました。駅前でレンタサイクルを借りて
行くのもいいかも知れません。写真は大和川を渡る橋から撮影。

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AKI
2023年04月30日(日)
766投稿

畿内二十二社大和神社の次は、同じく畿内二十二社の一つ廣瀬大社に参拝に行って来ました。この日は途中から雨がたくさん降ってきたので、濡れてしまいながら拝殿にてお参りをしました。境内はキレイにされていました。
御祭神
主神 若宇加能売命
相殿 櫛玉命、穂雷命
創建は崇神天皇九年(紀元前八十九年)廣瀬の河合の里長に御神託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えた事が天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになった。
場所は大和盆地の佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、葛城川、高田川等の河川が一点に合流する地に祀られている事から御主神は水の守り神で水神であります。
主神若宇加能売命は別名を豊宇気比売大神(伊勢神宮外宮)、宇加之御魂神(稲荷神社)、廣瀬大忌神とも呼ばれ、総て同神である。龍田風神(龍田大社)と深いご縁があります。

廣瀬大社(奈良県)

参道入り口の鳥居

廣瀬大社の手水

手水社

廣瀬大社の鳥居

二番目の鳥居

廣瀬大社(奈良県)
廣瀬大社(奈良県)

拝殿

廣瀬大社の本殿

拝殿の奥の本殿

廣瀬大社の建物その他

日露戦争の戦利品

廣瀬大社(奈良県)

日露戦争の戦利品。ロシア軍の大砲みたいです。

廣瀬大社(奈良県)
廣瀬大社(奈良県)

祓戸社

廣瀬大社の狛犬

狛犬

廣瀬大社(奈良県)

狛犬

廣瀬大社(奈良県)

祖霊社

廣瀬大社の末社

祖霊社

廣瀬大社(奈良県)
廣瀬大社の本殿

日の丸大明神

廣瀬大社(奈良県)

日の丸稲荷神社。文化二年(一八〇五年)山城国伏見稲荷神社より分霊鎮座されました。

廣瀬大社(奈良県)

日吉社由来書き

廣瀬大社の末社

日吉社

廣瀬大社(奈良県)

廣瀬神社由来書き

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ひぐらし
2023年04月13日(木)
351投稿

全国の廣瀬姓発祥の地
廣瀬大社で行われる「廣瀬講」三年ぶりの開催!

毎年手紙でのお知らせがあり参加・不参加を出してましたが、この三年間は見送りのお知らせばかりでした。
久しぶりに全国の〝廣瀬さん“にお会い出来るかと楽しみにしてた。

11時すぎに拝殿にて宮司さんが祝詞奏上された後一人一人が本殿まで赴いて玉串献上。
廣瀬の神様に久しぶりにお参り出来た事を感謝。ほんまに嬉しい。

直会の時に「廣瀬講」の由来を伺う。
宮司さんにSNSに出す事の許可をお願いしたら快諾して頂いたので宣伝兼ねて書いてく。

始まりは不明だが戦前迄は四月四日例大祭の後の日を選んで行われた。
例大祭の日の謂れは
天武天皇の時代から南北朝まで続いた
廣瀬大忌祭の日が四月四日と七月四日。
しばらく断絶した後明治四年に
四月四日を例大祭として復活したとの事。

戦後途絶えてたが昭和50年位に復活し、当時は戦前に入ってらした方もいらして結構盛んになったが、一時期揉め事があり下火になったとか。
今はあまり宣伝等しておらず、大社のお名前から自分の「廣瀬」姓の由来を尋ねられた方がいたらお知らせしてる、との事。

現在は四月の第二日曜日に開催されてます。今回は四組だけでしたが懐かしいお顔を拝見できて良かった。
ご興味のある方は来年お会いしましょう。

※〝ひろせ“の漢字は色々ですが今回は〝廣瀬“で書いてます。

廣瀬大社(奈良県)

時期に寄っては桜が残ってる。

廣瀬大社(奈良県)

退殿した後の拝殿。

廣瀬大社(奈良県)

参集殿横のトラックは蜂蜜業者の方。

廣瀬大社(奈良県)

参集殿の裏にある巣箱

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