ちゅうぐうじ|聖徳宗
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方中宮寺のお参りの記録一覧

大和三門跡の一つ中宮寺様に向かいました。
中宮寺様は聖徳宗のお寺様で、御本尊は如意輪観音をお祀りされています。
開基は聖徳太子とも聖徳太子の母である穴穂部間人皇女とも伝わっています。
創建はと同時期で七世紀初頭と伝わっています。創建当時は現在の場所から東へ500mほど離れた場所で、現在は中宮寺跡として遺されています。
現在地は元は法隆寺の子院の一つで、戦国時代の戦火に追われ こちらに避難することで法灯を守り続けられたそうです。
前回は如意輪観音像をお参り出来たことで感激してしまい、それ以外はあまり覚えていないです(^^;)

















法隆寺のお隣り、うるわしの如意輪観音様に会いたくて。
こちらも20年ぶりの参拝です。

法隆寺の夢殿の裏側から行かれます。

入口はコチラ

入山受付
大人1人600円

さらに門をくぐり

表御殿を過ぎ

御本堂
聖徳太子のお母様ゆかりの尼寺です。

お濠のような池に囲まれて

この奥に御本尊の国宝・菩薩半跏像(如意輪観音様)がおられます。

もちろん撮影禁止なので、パンフレットのお写真です。
優美な微笑みと指先が魅力的。
この日は参拝客も少なく、みんな観音様の前に座って、長いこと見入っていました。

観音様とたくさんお話しできたので、また元の場所に戻ってきました。
正面の建物で御朱印をいただきます。

隣に売店もあります。
観音様グッズいろいろあるヨ。

平成15年のお参りでいただいた御朱印

20余年ぶりにいただいた御朱印

【法興山(ほうこうざん)中宮寺(ちゅうぐうじ)】
本尊:如意輪観音
宗派:聖徳宗
開基:聖徳太子
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第7番~
中宮寺は、聖徳太子が母である穴穂部間人太后(あなほべのはしひとたいこう)の菩提を弔うために、寺を造営したと伝えられている。創建されたときは、現在地から東に500メートル離れた位置にあり、当初は、約30メートルの高さの五重塔がそびえ、七堂伽藍を有した大寺院だったといわれている。しかし、平安時代には荒廃し、鎌倉時代に再興されたが、ふたたび火災で伽藍を失ったという。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃と推定される。現在の本堂は、高松宮妃殿下の御発願によるもので、1968(昭和43)年に完成している。
~『百寺巡礼 第一巻 奈良』五木寛之(講談社、2003)~
法隆寺の隣に位置する中宮寺、「考える像」として有名な御本尊に会いたくて足を延ばしました。

【本堂】


【山門】


【表御殿】


【表御殿】

【本堂】
本堂には、穏やかなほほえみを浮かべた有名な半跏思惟像(はんかしゆいぞう)(国宝)が安置されています。
~この像は、寺伝では「如意輪観音」として伝えられている。しかし、美術史的に見ると「弥勒菩薩」だという。特徴的なのはそのポーズで、片足を他の足の上に組んで座った状態を示している。この「半跏」というのは「半跏踏下(はんかふみさげ)」のことで、腰かけて左足を下げ、右足を組んだ形である。(中略)私がこの像の前でいちばん素直に感じたのは、自分が許されているという気持ちかもしれない。自分はいま許されているのだ、と。幼児が母親に甘えるような感情が、体のなかにひろがってくる。~

【會津八一歌碑】
「みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の あさ の ひかり の ともしきろ かも」
奈良を愛した越後の人 會津八一、自筆歌碑が奈良の地で多くみられます。

【會津八一歌碑】

【御朱印】
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ




























































































2
0