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ちゅうぐうじ|聖徳宗

中宮寺

奈良県 法隆寺駅

10/1~3/20: 9時~16時(受付~15時45分) 3/21~9/30: 9時~16時30分(受付~16時15分)

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0745-75-2106

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御朱印について
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巡礼

中宮寺について

国宝・菩薩半跏像がある尼寺


法隆寺の隣にある、聖徳太子の母・穴穂部間人皇女を弔うため、皇女が住んでいた宮を寺としたという

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惣一郎
2021年04月28日(水)
913投稿

中宮寺は、奈良県生駒市斑鳩町にある聖徳宗の寺院。山号は法興山。本尊は如意輪観音(国宝)。法隆寺に隣接した、聖徳太子が母后のために創建した尼寺とされる。日本最古の刺繍である国宝「天寿国曼荼羅」を有する。

創建は7世紀前半(一説には法隆寺と同じ607年)、開基は聖徳太子か穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ;聖徳太子の母)。現在は法隆寺東院伽藍に隣接しているが、創建当時は500m東にあったとされる(現・中宮寺跡史跡公園)。
当寺は平安時代以降衰微していったが、鎌倉時代に中興の祖とされる信如比丘尼によって復興された。
戦国時代に火災に遭い、現在地にあった法隆寺の子院に寺基を移した。江戸初期の1602年には慈覚院宮を初代門跡に迎え、爾後尼門跡斑鳩御所として現在に至る。
仏教宗派としては、鎌倉時代の信如比丘尼による中興の頃は法相宗であったが、その後真言宗泉涌寺派に改宗し、戦後法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流した。

当寺は、法隆寺の東院伽藍の北東側に隣接している。現代建築の大きな本堂以外には入堂してしっかり拝観する堂宇はなく、境内の草花が綺麗な寺院という印象。拝観は有料だが、法隆寺有料参拝者には割引がある。境内は広くはないので15分ぐらいで拝観できる。

参拝時は週末の午前中、参拝者は自分以外に数人いる程度だった。

中宮寺の山門

東院伽藍の奥にある、中宮寺入口。

中宮寺の建物その他

拝観受付を通ると、中庭のような場所に出る。

中宮寺の山門

中庭を通り抜け、小さな門をくぐる。

中宮寺の建物その他

メインのエリアは緑が多く、植栽が整って気持ちが良い。

中宮寺の建物その他

門をくぐってすぐ左手にある<表御門>。拝観対象外。

中宮寺の本殿

さらに進むと、現代的建物の<本堂>。

中宮寺(奈良県)

通路突き当りに、小さな祠。

中宮寺の本殿

本堂全景。池の中に浮かんでいて、橋で繋がっている構造。

中宮寺の本殿

本堂正面。奥にぼんやり見えるのが、国宝<木造菩薩半跏像>。漆黒のしなやかな仏像で柔和な表情が世界的に評価されているとのこと。この像の左下に、もう一つの国宝<天寿国繡帳残闕(てんじゅこくしゅうちょう ざんけつ);日本最古の刺繍>のレプリカがある。

中宮寺の庭園

池に浮かんでいる本堂。清々しい雰囲気。草花がきれい。

中宮寺の建物その他

最後に入口の拝観案内所。御朱印はこちらで、入場時に先に依頼する。

中宮寺(奈良県)

法隆寺の後、バスで西ノ京エリアに向かう途中で見える<中宮寺跡史跡公園>。中宮寺東口バス停付近。もともと中宮寺があったとされる場所で、現在の中宮寺の500m東にある。

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歴史

中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。
平安時代の『聖徳太子伝暦』は、中宮寺は聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を寺としたと伝え、後には間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれる。鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』の裏書には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との説が記載されている。
中宮寺は平安時代以降衰微し、鎌倉時代には中興の祖とされる信如によって復興が図られた。信如は文永11年(1274年)、法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの「天寿国繍帳」を再発見したことで知られる。
江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺として今日に至っている(門跡寺院とは、代々皇族、貴族などが住持する格式の高い寺のこと)。

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中宮寺の基本情報

住所奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
行き方

JR法隆寺駅から法隆寺門前行きバス終点下車徒歩8分
近鉄筒井駅から王寺駅行きバス「中宮寺前」下車徒歩5分

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名称中宮寺
読み方ちゅうぐうじ
参拝時間

10/1~3/20: 9時~16時(受付~15時45分) 3/21~9/30: 9時~16時30分(受付~16時15分)

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0745-75-2106
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.chuguji.jp/index.html

詳細情報

ご本尊如意輪観世音菩薩
宗旨・宗派聖徳宗
ご由緒

中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。
平安時代の『聖徳太子伝暦』は、中宮寺は聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を寺としたと伝え、後には間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれる。鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』の裏書には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との説が記載されている。
中宮寺は平安時代以降衰微し、鎌倉時代には中興の祖とされる信如によって復興が図られた。信如は文永11年(1274年)、法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの「天寿国繍帳」を再発見したことで知られる。
江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺として今日に至っている(門跡寺院とは、代々皇族、貴族などが住持する格式の高い寺のこと)。

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