ちゅうぐうじ|聖徳宗
中宮寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
法隆寺は僧寺ですが中宮寺は尼寺。こじんまりとしていますが、なんといっても本尊の如意輪観音様(菩薩半跏像)。穏やかな微笑が何とも言えません。
如意輪観音さまの御朱印です。
夢殿の先を回ってこちらへ。
表御殿から本堂へ。
堀に囲まれた本堂。菩薩半跏像がご本尊です。
《聖徳太子ご霊跡巡り その15》
聖徳太子が母のために建てた尼寺、中宮寺です。
現在は法隆寺に隣接していますが、その昔は東へ約500mほど離れて建てられていたそうです(中宮寺跡史跡公園)
ご本尊は国宝の菩薩半跏像。Archaic smileをたたえた黒く光る像は飛鳥時代の最高傑作のひとつとされています。写真はNGなので公式HPで素敵なお姿をご覧ください。50円切手の意匠としても採用されていたため馴染みある仏様かもしれませんね。
優しい微笑みを浮かべたご本尊は、いつまでも眺め続けていたいお姿でした。
その16へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtm/Dktmzg/14325/191338/
その14へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtr/Dgtks/14313/174881/
《ご朱印》
第15番「太子往生天寿国」
《境内》
《本堂》
高松宮妃の発願で建てられた和風の現代建築(Wikipedia)
(-人-)ナムナム
中宮寺は、奈良県生駒市斑鳩町にある聖徳宗の寺院。山号は法興山。本尊は如意輪観音(国宝)。法隆寺に隣接した、聖徳太子が母后のために創建した尼寺とされる。日本最古の刺繍である国宝「天寿国曼荼羅」を有する。
創建は7世紀前半(一説には法隆寺と同じ607年)、開基は聖徳太子か穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ;聖徳太子の母)。現在は法隆寺東院伽藍に隣接しているが、創建当時は500m東にあったとされる(現・中宮寺跡史跡公園)。
当寺は平安時代以降衰微していったが、鎌倉時代に中興の祖とされる信如比丘尼によって復興された。
戦国時代に火災に遭い、現在地にあった法隆寺の子院に寺基を移した。江戸初期の1602年には慈覚院宮を初代門跡に迎え、爾後尼門跡斑鳩御所として現在に至る。
仏教宗派としては、鎌倉時代の信如比丘尼による中興の頃は法相宗であったが、その後真言宗泉涌寺派に改宗し、戦後法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流した。
当寺は、法隆寺の東院伽藍の北東側に隣接している。現代建築の大きな本堂以外には入堂してしっかり拝観する堂宇はなく、境内の草花が綺麗な寺院という印象。拝観は有料だが、法隆寺有料参拝者には割引がある。境内は広くはないので15分ぐらいで拝観できる。
参拝時は週末の午前中、参拝者は自分以外に数人いる程度だった。
東院伽藍の奥にある、中宮寺入口。
拝観受付を通ると、中庭のような場所に出る。
中庭を通り抜け、小さな門をくぐる。
メインのエリアは緑が多く、植栽が整って気持ちが良い。
門をくぐってすぐ左手にある<表御門>。拝観対象外。
さらに進むと、現代的建物の<本堂>。
通路突き当りに、小さな祠。
本堂全景。池の中に浮かんでいて、橋で繋がっている構造。
本堂正面。奥にぼんやり見えるのが、国宝<木造菩薩半跏像>。漆黒のしなやかな仏像で柔和な表情が世界的に評価されているとのこと。この像の左下に、もう一つの国宝<天寿国繡帳残闕(てんじゅこくしゅうちょう ざんけつ);日本最古の刺繍>のレプリカがある。
池に浮かんでいる本堂。清々しい雰囲気。草花がきれい。
最後に入口の拝観案内所。御朱印はこちらで、入場時に先に依頼する。
法隆寺の後、バスで西ノ京エリアに向かう途中で見える<中宮寺跡史跡公園>。中宮寺東口バス停付近。もともと中宮寺があったとされる場所で、現在の中宮寺の500m東にある。
法隆寺の隣にある聖徳太子とその母を弔う寺院です。
法隆寺が僧寺に対して、中宮寺は尼寺の関係でもあります。
山門です。左手が受付窓口で、御朱印もこちらで預かりです。
本堂は現在改修工事で、入って左側すぐのお位牌堂にて、ご本尊の菩薩半跏像(如意輪観音)が特別に公開されていました。
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