ほうりゅうじ|聖徳宗
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楽しみ方法隆寺のお参りの記録一覧

奈良県の法隆寺にご参拝しました。広く静かな境内に立つと、心が穏やかになり、「和(調和)」の心を自然と感じました。仏像の存在にはとても力があり、その場の空気に深く感動しました。聖徳太子さまの声が少し聞こえたような気持ちになり、本当にありがたく思いました。
西院伽藍(五重塔 金堂 大講堂)
木造建築の味わい
古い木造の建物には、言葉では表せないような雰囲気(オーラ)がありました。夢中になって時間を忘れるほど、参拝に集中できました。
「以和為貴」の教え
ご朱印でいただいた「以和為貴」(和をもって貴しとなす)は、聖徳太子さまの十七条憲法の言葉です。争わず、互いに協力し合って生きることの大切さを教えてくださっています。書き手の方が丁寧に説明してくださり、心に深く響きました。
これからも日々を大切に過ごし、またご参拝できるよう精進していきたいです。






































ちをあらう
みたひめくれる
かいふをと
ひとのこころ
たてるこの
たふとし
人の心は、汚れを洗い清めることで、まっすぐに立ち上がり、尊いものになる。
神聖な力がその浄化を助け、心に新しい命や響きを与えてくれる。
だから、清らかな心を育むことは、とても大切で尊いことなんだよ。
自然や仏の力に見守られながら、人としての心のあり方を整える、そんなメッセージが、静かに石碑から伝わってくるようで素敵ですね☺️












聖霊院
こちらでご朱印をいただきます

聖霊院のご本尊
中央厨子 聖徳太子坐像(国宝)
左厨子 山背大兄王像(太子の長男)と殖栗王像(兄弟)(国宝)
右厨子 卒末呂王像(兄弟)と恵慈法師像(太子の仏教の師)(国宝)
通常非公開
毎年3月22日の「お会式(聖霊会)」に特別公開

鏡池



羅漢堂
東伽藍に向かう石畳の参道脇にあります
(S.識子さんが最も重視した場所)





いつも見守っていただいて🐉ほんとうにありがとうございます☺️

修学旅行以来、15年ぶりの参拝でした。
法隆寺駅から徒歩20分くらいかかります。
中門を入ると、修学旅行らしき学生さんたちがやってきました。わいわいしながらバスガイドさんの説明を聞いていて、自分もこんな頃があったなと懐かしかったです。賑やかな様子を眺めつつ、自分のペースでゆっくり拝観しました。
境内で開催されている特別展が今日までらしく、見ていくことに。重文・国宝級の品々をたっぷり堪能でき大満足しました。
以前撮影したものと同じ画角にて撮影するという目的も達成できました。





今回撮影:iPhone16

比較用:2010年5月 デジタルカメラ撮影











小学校の社会のテストで 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と答える所で
柿食えば鐘が鳴るなり定光寺(地元のお寺で朝と夕方に毎日鳴る鐘を聴いて育ちました)
と書いて担任から親に電話があった事を50年もたってるのにいまだに言われてまして(笑)
正解の所に行ってきました(笑)
私には 柔らかい空気に包まれて心地よい場所でした

以和為貴(和を以って貴しと為す)聖徳太子のお言葉

門の手前の鯛石の所で 外国も方が滑って転んでました しっかり踏みしめました(笑)

五重塔

夢殿

奈良お寺巡り🏯15法隆寺へお参り🙏飛鳥時代に聖徳太子が建立した世界最古の木造建築のお寺です☺️来てみたいと思っていたので来れて良かったです。JR法隆寺駅からバス出てます🚌💨

法隆寺

参道

由来

山門

法隆寺

拝殿

五重塔

金堂

五重塔と金堂と大講堂

大講堂

御朱印直書500円

法隆寺様の創建は607年です。
これはイスラム教の成立が612年とされている事と比較しても歴史の深さを感じられます。
法隆寺様の僧侶は創建から暫くは東室、西室、北室で止住されていました。しかし、11世紀末から12世紀初頭に掛けて落雷や火災や倒壊でこの三つを失います。東室は規模を縮小して再建されましたが残りは このタイミングでは再建されていません。
それに替わる坊舎として塔頭が建てられます。
瓦坊という塔頭が別当の生活の場とされていたのですが、瓦葺きいうことで それが院名になるほど当時は特別な仕様でした。その他の塔頭には築地もなく仕切りは曖昧で、屋根は茅葺きの簡素な造りのものだったようです。
法隆寺様の僧侶には当時の南都の大寺院と同じく身分制度がありました。
☆学衆
貴族の子弟など身分の高い人が取り立てられる。
学究に取り組み研鑽を重ねる僧侶。
☆堂衆
家柄などは問われない。
行事や法要を執り行い、夏は安居禅行を修する僧侶。
☆承仕
若年者で学衆に仕える僧侶。
上の二つの階級は確執が深く、1435年には争いから堂衆により南大門が焼き払われます。
学衆は主に西院の塔頭に、堂衆は主に東院の塔頭にと別れて止住していたことで、憂慮した織田信長により一時は西寺と東寺に分割されたりした時期もあります。
羽柴秀長が大和に入国すると法隆寺様の寺領は一気に召し上げられます。
このような流れの中、江戸初期に向けて塔頭は全盛期を迎え68院を数えました。また、封建制度が定着したこともあり、学衆と堂衆は「学衆上位」として歩みよりをみせます。
しかし、徐々に経済的に困窮し早くから瓦葺きなど寺院の手入れをされていない塔頭は次々に荒廃していきます。
ここに更に追い討ちをかけたのが明治維新の廃仏毀釈です。役所に廃院願いを提出する塔頭が続出します。
もはや法隆寺様自体の維持も困難を極める状態となり、寺宝を皇室に献納することで困窮を抜け出したりもしましたが、その時の同意文書の署名は残った12の塔頭の御住職だけでした。
現在は山門や表札のみが残り、往時の面影だけを観ることが出来る塔頭寺院が多数ありました。
お参りしている最中も不思議に思っていたのですが調べていく内に納得がいきました。









旧遍照院

境内には石像だけがポツンと残されています。

旧蓮光院
東院の夢殿に向かって右側

旧中道院等との境内の仕切りが取り払われ聖徳会館が建てられています。


施福寺さんへ登る前日に立ち寄りました。
2度目のお参り。初めて参拝したのは22年も前です。

南大門から遥かに中門と五重塔

20数年前のお参りの記憶があんまりないんです。
スタイルの良い仏様がいたことくらい💦
こんなに参道、長かったかなァ。

とにかく広くて、デカっ‼️

さすが世界最古の木造建築
風格がチガウ💨

あっ、平山郁夫画伯の揮毫
法隆寺の五重塔、たくさん描いてはるもんね。

法隆寺のシンボル❗️

金堂
釈迦三尊 薬師如来など、飛鳥時代の仏様の微笑みは魅力的ですね〜


大講堂

こちらには薬師三尊様がおられます。

聖霊院
御朱印はこちらでいただきました。

なんか、ちいさくてかわいいヤツ。
手水舎の鳳…かな?

絵殿

夢殿
聖徳太子の聖地だなぁ
久しぶりに「日出処の天子」を読み返したくなった。

甍の上の宝珠

凍える寒さの午後
やはり、おぜんざいでしょう❗️
門前の茶屋にて

今回いただいた御朱印
書置きを渡されることの多い昨今、このように素晴らしいお手蹟を書き入れていただけるのはうれしいです🙏

こちらは平成15年にいただいた御朱印
今回この1400年余の歴史を持つお寺に来て、歳を経るごとに神社仏閣に対する見方・感じ方というものは違ってくるんだなぁと思い至りました。
物心つく前と14歳前後のいわゆる多感な年頃、感性の豊かな時期はそれで終わりかと思ってましたが😞ソンナコトは無い。まだあった❣️
ウマク表現できませんが、深く深く心にしみとおって来る感動を受け取ることができる年齢。ソレが高齢者に差し掛かった今なんですねー☺️

法隆寺と言えば聖徳太子。義務教育の年齢で教えられてきた。
自分が下調べもせずに何とかなるだろう、と軽い気持ちで行ったものだからいけないのだが、広すぎた。
入館受付女性の関西弁が全く何を言っているかわからないのだ。
え?どういう順路なの?結局、御朱印所はどこなのよ?
もう、行き当たりばったり、突っ切るしかない。
で、ある場所で、あ!御朱印所の入口に傘を忘れた!と気づき、戻ろうとすると、
「何やってんねん。順路ちゃうやろ」
と、男性、女性、両方のスタッフから言われたのだ。
え?傘を忘れてしまったので。。。
と説明しようにも、そんなキツイ言い方をしなくてもと泣きそうになった。
受付でも、
「順序ちゃうねん。何してんねん」
と言われたもので、
「すみません。そこの御朱印所の入口に傘を忘れてしまいまして。雨が降りそうなのに、駅までコンビニもないですし」
と説明する。
そんなこんなで泣きそうになりながら傘を取り戻したところに、空から雨が降り出した。
高齢女性の涙を誤魔化す雨やあ♪
最後の夢殿のスタッフの対応がとてもよく救われた。
教えてもらわなければ、Googleマップの案内に従い、中宮寺まで遠回りの猫が通るような道を通ったであろう。斑鳩神社も教えていただいた。感謝で終わったのであった。
























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