そうのみあがたにいますじんじゃ
添御縣坐神社奈良県 富雄駅
社務所:9:00〜16:00
節分に参拝しようと行きましたが、狭い道が大渋滞で諦めて、改めて参拝しました、摂社の福神宮、九之明神を南側へ遷座する工事が始まっていました、境内も1年前に来た時よりも手が加えられてとても綺麗にされていました、社務所に何方もいらっしゃらなかったので、お賽銭箱に御志納させて頂きました。
創始年代は明らかではないが、恐らく添御縣の国魂神を添縣主が祀っていたものでありまた、当社鎮座地付近は古代豪族である小野氏が治める村里であったとされ、小野氏の氏神として祭祀されたものとのことです。大和国に6つある御縣神社の1つです。
読み方が、とっても難しい(そうのみあがたにますじんじゃ)で、何回読んでも覚えられません。汗
隣接する根聖院https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtk/Dzkym/13202/1745/
は、こちらの神宮寺だとのこと。
境内摂社には、福神宮(小野福麿公を祀る)、英霊殿、恵比須神社、天之香具山神社、竜王神社がいらっしゃいました。
竜王様は、山の奥に鎮座しています。
参道
重要文化財の看板
手水舎
由緒
恵比寿神社
英霊殿
拝殿
本殿(重文)
福神宮
九乃明神社
遥拝所
竜王社への道
天香久山神社
竜王神社
境内図
御由緒 当神社の名称は、「大和の国の添郡に設置された御県に鎮坐する神社」を意味する。
創建の年代は不詳ながら、古墳時代の遡ると考えられる。古老の口伝によると、三柱の祭神の内、武乳速之命は実は大和の先住民の首長・長髄彦で、神武天皇による大和平定の際に、捲土重来を期して蜂起を図る先住民を説き伏せた上自害し、これを惜しんだ遺民が当地にその霊を祀ったのが鎮座の起源という。しかし明治時代以降、神武天皇敬仰の風潮の中で本名を表出することを憚り、改称したという。
現本殿は南北朝時代末期の永徳3年(1383)の建立で国指定重要文化財。例大祭は10月第3日曜日、市内随一の児童数最多地域として多くの子供で賑わう。
名称 | 添御縣坐神社 |
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読み方 | そうのみあがたにいますじんじゃ |
通称 | 三碓神社 |
参拝時間 | 社務所:9:00〜16:00 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0742-43-1428 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 建速須佐之男命 武乳速之命 櫛稲田姫之命 |
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本殿 | 五間社流造 |
ご由緒 |
御由緒 当神社の名称は、「大和の国の添郡に設置された御県に鎮坐する神社」を意味する。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り七五三傾聴御朱印お守り重要文化財祭り札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)は、奈良県奈良市三碓(みつがらす)三丁目にある神社である。式内大社論社。大和国に6つある御縣神社の1つである。 |
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歴史 | 歴史[編集] 概史[編集] 創始年代は明らかではないが、恐らく添御縣の国魂神を添縣主(姓氏録・旧事本紀に津速魂命男武乳遺命の裔)が祀っていたものであるとされる。また、当社鎮座地付近は古代豪族である小野氏が治める村里であったとされ、小野氏の氏神として祭祀されたものともされる。史料での初見は、天平2年(730年)の『大和国正税帳』で「添御県 神戸 稲152束8把、租20束、合172束8把」と記載されている。『延喜式神名帳』では大社に列しており、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸期は牛頭天王社と称されていた。 古老の口伝には、武乳速之命は大和の先住民の首長・長髄彦で、神武東征による大和...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「添御県坐神社 (奈良市三碓町)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B7%BB%E5%BE%A1%E7%9C%8C%E5%9D%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E4%B8%89%E7%A2%93%E7%94%BA%29&oldid=95561936 |
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