とうだいじ しゅんじょうどう|華厳宗大本山東大寺境内御堂
東大寺 俊乗堂奈良県 近鉄奈良駅
通常非公開
俊乗上人のご命日「俊乗忌」である7月5日と、開山良弁僧正のご命日「良弁忌」である12月16日のみ公開
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楽しみ方とうだいじ しゅんじょうどう|華厳宗大本山東大寺境内御堂
通常非公開
俊乗上人のご命日「俊乗忌」である7月5日と、開山良弁僧正のご命日「良弁忌」である12月16日のみ公開

東大寺 俊乗堂さんへ、、、🚶
御本尊 俊乗坊重源上人
宗旨・宗派 華厳宗大本山東大寺境内御堂
創建時代 不詳(1180~1206年・浄土堂)、1704年(元禄17年・俊乗堂)
開山・開基 重源上人(浄土堂)、公慶上人(俊乗堂)
お参りして御朱印(直書き)を頂きました🙏
令和七年 御朱印(直書き)を頂きました🙏

東大寺大仏殿から東へ、二月堂参道の途中で鐘楼と御堂がいくつか並ぶエリアに。鐘楼の丘と呼ばれるらしく、鐘楼と俊乗堂、行基堂、念仏堂があります。三堂のメインはこちらの俊乗堂で東大寺中興の俊乗坊重源上人ゆかりの場所。もとは重源上人によって建てられた浄土堂があった場所で、松永久秀による東大寺焼き討ちで類焼。元禄17年に公慶上人が重源上人像を本尊としたお堂を建立したそうです。重源上人は浄土教にも造詣が深く法然上人に師事した縁で指図堂が法然上人の霊場となっている。また入宋時代には臨済宗の栄西と天台山に登るなど交流があり、東大寺大勧進職は重源上人のあとに栄西が継いでいる。また東大寺の復興のため西行に奥州の砂金勧進を依頼するなど調べれば調べるほど当時のビックネームとのつながりの広さに驚かされる。
そんな重源上人が祀られる俊乗堂ですが公開は俊乗上人のご命日「俊乗忌」である7月5日と、開山良弁僧正のご命日「良弁忌」である12月16日の年2回のみ。タイミングが難しい・・・7月5日は・・・土曜日か😭
御堂
由緒
扁額
入母屋造のこのお堂のあるところは、もと重源上人によって建てられた浄土堂のあったところで、永禄10年(1567)の兵火で類焼したが、元禄年間に公慶上人が重源上人の偉大な功績をたたえ、菩提を弔うためにここにお堂を建て、そこに重源上人像(国宝)を移し本尊とした。肖像彫刻の白眉といわれるこのお像は、仏師快慶作ともされているが、確かなことは不明である。なお堂内には快慶作の阿弥陀如来像(重要文化財)、平安末期の愛染明王像(重要文化財)が安置されている。
堂内は毎年、俊乗上人のご命日「俊乗忌」である7月5日と、開山良弁僧正のご命日「良弁忌」である12月16日に公開される。
| 名称 | 東大寺 俊乗堂 |
|---|---|
| 読み方 | とうだいじ しゅんじょうどう |
| 参拝時間 | 通常非公開
|
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0742-22-5511(東大寺寺務所) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご本尊 | 俊乗坊重源上人 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 華厳宗大本山東大寺境内御堂 |
| 創建時代 | 不詳(1180~1206年・浄土堂)、1704年(元禄17年・俊乗堂) |
| 開山・開基 | 重源上人(浄土堂)、公慶上人(俊乗堂) |
| 本堂 | 入母屋造 |
| 文化財 | 国宝
|
| ご由緒 | 入母屋造のこのお堂のあるところは、もと重源上人によって建てられた浄土堂のあったところで、永禄10年(1567)の兵火で類焼したが、元禄年間に公慶上人が重源上人の偉大な功績をたたえ、菩提を弔うためにここにお堂を建て、そこに重源上人像(国宝)を移し本尊とした。肖像彫刻の白眉といわれるこのお像は、仏師快慶作ともされているが、確かなことは不明である。なお堂内には快慶作の阿弥陀如来像(重要文化財)、平安末期の愛染明王像(重要文化財)が安置されている。
|
| 体験 | 仏像御朱印国宝重要文化財 |
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