ひむろじんじゃ
氷室神社奈良県 近鉄奈良駅
《開門時間》
4月 - 10月 6:00 - 18:00
11月 - 3月 6:30 - 17:30
正倉院展を鑑賞した後に、以前東大寺を訪問した時に御朱印をいただいていなかった手向山八幡宮に向かっていたところ、通りに面した鳥居に気づき参拝しました。
名前の通り、氷に縁のある神社ということで、氷に当てると字が浮かぶおみくじでした。
元明天皇の御世、和銅3年7月22日、勅命により平城新都の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯水を起こし冷の応用を教えられた。これが平城七朝の氷室で、世に平城氷室とも御蓋氷室とも春日の氷室とも言われた。翌和銅4年6月1日初めて献氷の勅祭を興され、毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を献上せられた。奈良朝七代七十余年間は継続せられたが、平安遷都後はこの制度も廃止せられ、遂に150年を経て、清和天皇の御世、貞観2年2月1日現在の地に奉遷せられ、左右二神を増して三座とせられた。以来、現在の春日大社の別宮に属し式年に営繕費、年中の祭礼等は、興福寺、春日社の朱印高二万石の内と社頭所禄三方楽所料二千石の一部によって行われたが、明治維新後はこの制度も廃せられ、専ら氏子と冷凍氷業界の奉賛によって維持せられて今日に及んでいる。また、本殿東側には末社として、南都舞楽の楽祖なる狛光高公を祀った舞光社がある。
奈良氷室神社の献氷祭
奈良時代、この春日野に氷池(新公会堂のあたり)や氷室(荒池・鷺池を望む浅茅ヶ原一帯を推定)を設け、氷の神を祀り、春迎えの祭りを行い、順調な気候の推移と豊作を祈願する重要な祭りが営まれたようです。また、氷の朔日ということがあり、古来より旧暦6月1日に、宮中では氷の節会・氷室の節会があり、また民間ではこの日、歯固めと称して寒餅、凍餅を焼き、神仏に供えて食べるなどの風習があります。寒餅とは小寒から節分までのおよそ三十日の間に作られ、冷凍乾燥した餅のことで、寒さが厳しい年ほど保存度が良いといわれます。また、正月元日の節会に宮廷では氷様という行事がありました。前年(十二月)の各地氷室の氷の厚薄を奏上し、石や瓦でそのひな形を作ったといいます。その蔵氷の厚薄をもって今年の豊凶(厚きを豊年、薄きを凶年)を占ったのです。自然現象に兆しを見ようとする慣習から派生している農耕文化の一端と見ることができます。今日、献氷祭は全国各地から製氷・販売業者が参列し今年の業績成就を祈願する祭りとなり、業界繁忙な6月を避けて5月1日に行われています。夏期の天候が勝負という業界の人々の願いは、日本の稲作成就の条件とも同じであります。今日ほど、冷蔵冷凍技術の恩恵にあずかっている暮らしもかつてありません。食品、冷暖房、超伝導リニヤモーターカーなど日常生活から最先端技術に至るまで、あらゆるところに発達した冷の技術があます。氷など珍しくもないこの頃ですが、しかし人間は今も順調な天候の推移に恵まれなければなりません。この祭りの続く所以でもあります。当日は鯛(海の幸の代表)や鯉(里の幸の代表)を封じ込めた二基の大型氷柱や花氷の奉納をはじめ、かち割り氷の頒布、舞楽奉納などの神賑行事が行われます。
氷室神社と南都流舞楽
明治三年に廃止されるまで、氷室神社に置かれた旧南都楽所を中心に奈良における舞楽が受け継がれてきました。明治維新により三方楽人(奈良・大阪・京都)が国に召され、曲や舞が一本化されていったのが、現在の宮内庁楽部です。しかし、上京せず地方に残った楽人や舞があり、独自の伝承が見られるのです。南都晃耀会は奈良流を重んじる有志により戦後間もなく結成されました。このたび結成五十周年記念事業として後継者養成のため南都流舞楽伝承教室を企画し、伝承活動に励んでおります。今年も氷室神社の献氷祭、例祭、舞楽初めの他、唐招提寺、東大寺、薬師寺などの諸行事に奉仕の予定です。
元明天皇の御世、和銅3年、 勅命により平城新都の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯水を起こし冷の応用を教えられました。
これが平城七朝の氷室で、世に平城氷室とも御蓋氷室とも春日の氷室とも言われます。
翌年初めて献氷の勅祭を興され、毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を献上されました。
奈良朝七代七十余年間は継続されましたが、平安遷都後はこの制度も廃止され、遂に150年を経て、清和天皇の御世、貞観2年に現在の地に奉遷され、左右二神を増して三座となりました。
以来、現在の春日大社の別宮に属し式年に営繕費、年中の祭礼等は、興福寺、春日社の朱印高二万石の内と社頭所禄三方楽所料二千石の一部によって行われましたが、明治維新後はこの制度も廃され、専ら氏子と冷凍氷業界の奉賛によって維持せられて今日に及んでいます。
また、本殿東側には末社として、南都舞楽の楽祖なる狛光高宿禰の霊祀なる舞光社があります。
名称 | 氷室神社 |
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読み方 | ひむろじんじゃ |
参拝時間 | 《開門時間》
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御朱印 | あり 右上の「東山鎮守」の上に「奉拝」書かれ、真ん中に「氷室大神」の墨書きされた下に「平城氷室」の印が押されています。日付に「氷室社務處印」重ねられています。 |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0742-23-7297 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.himurojinja.jp/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 闘鶏稲置大山主命 大鷦鷯命 額田大仲彦命 |
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創建時代 | 和銅三年(710年) |
創始者 | 元明天皇(勅命) |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 元明天皇の御世、和銅3年、 勅命により平城新都の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯水を起こし冷の応用を教えられました。
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体験 | 祈祷おみくじ御朱印お守り祭り |
Youtube | |
概要 | 氷室神社(ひむろじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社。式内小社(論社)、旧社格は村社。かつては南都楽所の拠点であった。 |
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歴史 | 歴史[編集] 由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される[1]。和銅3年(710年)7月22日、元明天皇の勅命により、吉城川上流の春日山にある月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社[2][脚注 1])たのに始まるという。 春日野にある氷池(現・奈良春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜一帯)で厳寒に結氷させた氷を氷室(荒池・鷺池を望む浅茅ヶ原一帯にあり、春日氷室、平城氷室、御蓋氷室などと呼ばれた)[脚注 2]に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された[1][3]。和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が行われると、以降毎年4月1日より...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 神事[編集] 献氷祭[編集] 奈良時代、春日野に氷池[脚注 1]や氷室[脚注 2]を設け、氷の神を祀り、春迎えとして順調な気候と豊作を祈願する祭りが営まれていた[1][脚注 3]。現在は全国各地より、製氷・販売業者が参列し、業績成就を祈願する祭りとなっており、業界繁忙な6月を避けて5月1日に行われている[1]。神前に花氷や鯛の結氷などの花氷3基、氷柱6基を捧げ、舞殿では舞楽4曲が奉じられる[2]。 例祭[編集] 永久5年(1117年)9月1日、鳥羽天皇の時代に悪疫鎮止のため始められたという[1][3]。源平の騒乱の後一時絶えたが、建保5年(1217年)、順徳天皇によって南都楽所の氏神...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「氷室神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B7%E5%AE%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98161874 |
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