ずいがんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
瑞巌寺ではいただけません
広告
瑞巌寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月04日(金)
参拝:2022年12月吉日
宮城県松島町、日本三景松島内に境内を構える瑞巌寺、歴史的建造物の寺院は見応えが在り、四季の景色と寺院との景色は絶景です、どの様な寺院かを引用を用いて調べて見ました、山号は松島青龍山、寺号は瑞巌円福禅寺、宗派は現在臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院、ご本尊は聖観音(蜂屋観音)各種霊場の札所にもなってます、奥州三十三観音霊場、第六番札所、みちのく巡礼、宮城第二十番札所、円仁が開山した四寺を巡る、四寺廻廊、東北三十六不動尊他、円仁によって開創したのと日本でも有数の歴史的建造物位しか解りませんでしたが、仏閣、神社巡る様になり気になりましたので調べて見たら、
9世紀初頭、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身と言い伝えられ、13世紀中頃、鎌倉幕府執権・北条時頼公が法身性西禅師を開山として臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と変わりました、関ヶ原の戦い後、仙台に治府を定めた伊達政宗公は、仙台城の築城と併せて、領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営を行いました。中でも戦国時代を経て衰退していた円福寺の復興には特に力を注いでおり、事業開始にあたり自ら縄張りを行い、平安の昔から「浄土の地」とみなされてきた紀州熊野に用材を求め、畿内から名工130名を招き寄せる等だったそうです、慶長13年(1608)に鋳造された大鐘には、「山を号して松島と曰い、寺を名づけて瑞岩(巌)と曰う」という一文を見ることができます。これが「瑞巌寺」という呼称の始まりで正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」となり翌慶長14年(1609)、5年の歳月を経て工事が完了し、以後江戸時代を通じて伊達家の菩提寺として領内随一の規模と格式を誇りました。と在ります納得の偉大さであります、その景観、庭、内装どれをとっても見応えがあります、仏閣、神社巡り、景観、絶景撮影、日本庭園、散歩、宮城県松島観光、癒し処、東日本大震災慰霊、みちのく巡礼、奥州三十三観音霊場巡り、御朱印集め等好きな方々には是非訪れて見て下さい。受付にて各種御守り、お札、オリジナル御朱印帳等扱ってます、、御朱印は直書きで書いて頂けます、
9世紀初頭、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身と言い伝えられ、13世紀中頃、鎌倉幕府執権・北条時頼公が法身性西禅師を開山として臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と変わりました、関ヶ原の戦い後、仙台に治府を定めた伊達政宗公は、仙台城の築城と併せて、領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営を行いました。中でも戦国時代を経て衰退していた円福寺の復興には特に力を注いでおり、事業開始にあたり自ら縄張りを行い、平安の昔から「浄土の地」とみなされてきた紀州熊野に用材を求め、畿内から名工130名を招き寄せる等だったそうです、慶長13年(1608)に鋳造された大鐘には、「山を号して松島と曰い、寺を名づけて瑞岩(巌)と曰う」という一文を見ることができます。これが「瑞巌寺」という呼称の始まりで正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」となり翌慶長14年(1609)、5年の歳月を経て工事が完了し、以後江戸時代を通じて伊達家の菩提寺として領内随一の規模と格式を誇りました。と在ります納得の偉大さであります、その景観、庭、内装どれをとっても見応えがあります、仏閣、神社巡り、景観、絶景撮影、日本庭園、散歩、宮城県松島観光、癒し処、東日本大震災慰霊、みちのく巡礼、奥州三十三観音霊場巡り、御朱印集め等好きな方々には是非訪れて見て下さい。受付にて各種御守り、お札、オリジナル御朱印帳等扱ってます、、御朱印は直書きで書いて頂けます、
すてき
投稿者のプロフィール
japan-wel…413投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。