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二柱神社ではいただけません
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ふたはしらじんじゃ

二柱神社
宮城県 泉中央駅

社務所 午前9時から午後5時

御朱印・御朱印帳

御朱印(3種類)

ホトカミに投稿されたものの中から「二柱神社の御朱印」と「二柱神社の見開き御朱印」、「月替りの御朱印」3種類の御朱印をご紹介いたします。

二柱神社御朱印

300円

真ん中に二柱神社、右下に仙台市泉区市名坂鎮座と書かれ、真ん中に三つ巴紋、えんむすびの印、神璽の印が押されています。
二柱神社の御祭神は、イザナギノミコトとイザナミノミコトの二柱です。

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御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり 4台分

二柱神社について

縁結びの神社ですが、心のケアもしてくれる神社です。
お礼参りの絶えない神社で有名です。

宮城県のおすすめ2選🌸

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おすすめの投稿

からあげくま
2024年04月06日(土)
15投稿

昔から神様を一人二人と云わず一柱二柱といいました。当社はイザナギノミコト・イザナミノミコトの2人の神様をお祀りしている為、二柱神社と申します。
当社は万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇(現在の七北田字東裏付近旧社 殿地現存)にお祀り(神社の記録)されました。その後、天正年間(1573年~)には 地域豪族国分氏の荘園三十三ヶ村の内 市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈 古内・松森・鶴谷の8つの村の総鎮守 (氏神様)として祀られるようになりました。
国分氏が滅亡してから伊達氏の時代に、万治年中(1658年~)七北田・市名坂に宿場町が開かれるようになり神社も、市名坂冠川(七北田川)の付近に霊地を占い、寛文2年(1662年)4月に現在の場所に遷られました。また明治5年9月七北田村社となり村挙げてのお祭りが行われ、神社境内地の整備等の事業を推し進める中、昭和4年8月31日未明、原因不明の怪火により社殿全焼という悲劇に見舞われました。
現在の社殿は満洲事変以後の極めて物資の確保が困難な時に役員・氏子の十余年に亘る努力のもと、昭和16年5月に完成したものです。 別名を「仁和多利大権現(ニワタリダイゴンゲン)」と申しまして、特に子どもたちの無病息災をお守り下さる「おぼつ子(子ども)神様」として霊験あらたかな神様と云われています。
現在では、良縁祈願の若い女性や子どもに恵まれない夫婦や登校拒否などで悩む方々の参拝が多い神社です。

二柱神社(宮城県)
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御朱印です

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歴史

万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇(現七北田東裏)に創祀(社蔵記録)される。その後、天正年間(1573年~)には国分氏の荘園33村の内市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈・古内・松森・鶴が谷8村の総鎮守として祀られるに至る。国分氏が没落して後伊達氏の時代、万治年中(1658年~)七北田・市名坂に宿場が開設されるやうになり神社も亦市名坂冠川の沿岸清浄な岩壁上に霊地を卜占し、寛文2年(1662年)4月現在地に御遷座した。別名を「仁和多利大権現(ニワタリダイゴンゲン)」と申し、特に子供の無病息災をお守り下さる「おぼつ子(子ども)神様」として霊験あらたかにましますと伝へられてをる。また明治5年9月、七北田村村社に列せられ神社境内地の整備等の事業を推し進めるなか、昭和4年8月31日未明、原因不明の怪火により社殿は全焼す。現在の社殿は満洲事変以後の極めて困難な時世に役員・氏子の10年に亘る赤誠溢れる努力のもと、昭和16年竣工したものである。現在では、良縁を願う若者たちの参拝が途切れることがありません。

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二柱神社の基本情報

住所宮城県仙台市泉区市名坂字西裏61
行き方

地下鉄南北線 泉中央駅から徒歩10分ほど
東北自動車道 泉ICから車で約10分

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名称二柱神社
読み方ふたはしらじんじゃ
通称仁和多利大権現(にわたりだいごんげん)
参拝時間

社務所 午前9時から午後5時

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号022-372-3474
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスfutahashira@f-shrine.com
ホームページhttp://f-shrine.com
おみくじあり
絵馬あり
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詳細情報

ご祭神伊邪那岐命、伊邪那美命
創建時代1026年(万壽2年)
ご由緒

万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇(現七北田東裏)に創祀(社蔵記録)される。その後、天正年間(1573年~)には国分氏の荘園33村の内市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈・古内・松森・鶴が谷8村の総鎮守として祀られるに至る。国分氏が没落して後伊達氏の時代、万治年中(1658年~)七北田・市名坂に宿場が開設されるやうになり神社も亦市名坂冠川の沿岸清浄な岩壁上に霊地を卜占し、寛文2年(1662年)4月現在地に御遷座した。別名を「仁和多利大権現(ニワタリダイゴンゲン)」と申し、特に子供の無病息災をお守り下さる「おぼつ子(子ども)神様」として霊験あらたかにましますと伝へられてをる。また明治5年9月、七北田村村社に列せられ神社境内地の整備等の事業を推し進めるなか、昭和4年8月31日未明、原因不明の怪火により社殿は全焼す。現在の社殿は満洲事変以後の極めて困難な時世に役員・氏子の10年に亘る赤誠溢れる努力のもと、昭和16年竣工したものである。現在では、良縁を願う若者たちの参拝が途切れることがありません。

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