つきよみのみや
月讀宮(皇大神宮別宮)のお参りの記録一覧
伊勢の旅⑧内宮の別宮『月讀宮』
小雨の中、内宮から少し歩いて月の神様へ参拝🌙
⽉読尊は『月を読む』~月の満ち欠けを教え暦を司る神。
四宮が並んで御鎮座され、ご両親に当たる伊弉諾尊と伊弉冉尊が⽉読尊と一緒に祀られていました (*´μ`*)
並びは右から~ ②『月読荒御魂宮』 ①『月読宮』 ③『伊佐奈岐宮』 ④『伊佐奈弥宮』ですが、①から④の順にお参りされるのが一般的だそうです。先に参拝していた方に続いてお参りしたので間違えないで済みました💦
別宮は五つ。二つは伊勢神宮から距離があるので今回は難しいと断念。
次は『倭姫宮』🌿倭姫文化の森へ!徒歩だと意外と遠くて大変でした、、
外宮から内宮へと賑やかでしたが、こちらは静寂な境内😌
またまたシンプルな御朱印✨
真っ直ぐな参道には参拝順の立札!
傘をさして歩いていたので写真が曲がっている😆
先には御社が四つ並びます♪
①『⽉読宮』
御祭神~⽉読尊
②『⽉読荒御魂宮』
御祭神~⽉読尊荒御魂
③『伊佐奈岐宮』
御祭神~伊弉諾尊
④『伊佐奈弥宮』
御祭神~伊弉冉尊
社務所も素敵😊
新しく綺麗なのですが、周囲になじむ趣のある雰囲気。
裏参道の入口近くに静かに鎮座する内宮の末社へ
『葭原神社』
田や畑を守護する五穀豊穣の神様🌾
こちらも参拝🙏
側に美しい梅が咲いていました😄
疲れていたのでエネルギーチャージ💓
伊勢国度会郡の式内社「月読宮 二座」であり、皇大神宮別宮です。
日本神話において太陽神の天照大御神さまのご兄弟である月神の月読尊さまを祀ります。そういった関係性から皇大神宮の別宮の中でも荒祭宮に次ぐ第3位という待遇を受けています。もう何度か参拝してますが投稿してなかったので改めて。
《鳥居と社号碑》
近鉄五十鈴川駅から徒歩5分くらいです。
《葭原神社》
伊勢国度会郡「荻原神社」に比定されるじんじゃで、皇大神宮末社第3位もあります。
基本的に『延喜式』神名帳に記載されている神宮125社は摂社となるのですが、当社は末社に数えられています。
御祭神の3柱はすべて豊穣の神様です。
《手水舎》
水は流れています。
《宿衛屋》
御朱印いただきました。
《祓殿》
《社殿前》
4つの社殿が横並びになっています。
《月読宮》
👁チェックポイント‼️
月読宮ないし月読尊さまの神格が高いのは天照大御神さまの兄弟というだけではなく、かつては太陰暦、いわゆる月齢で暦を組んでいたこともあり、月読尊さまは月の神と共に暦を象徴していたとされています。
暦は特に昔稲作のサイクルにおいて田を起こす、種を巻くなどの時期を図るものとして特に大事にされていたので、かなり重要な立ち位置に置かれていたのも納得できますね。
《月読荒御魂宮》
月読尊さまはあまり説話が残っていませんが、大宜津比売神さまを叩き切ったりしてるので実は荒ぶる面もあるのかもしれません。
《伊佐奈岐宮》
《伊佐奈彌宮》
2社とも伊勢国度会郡の式内社「伊佐奈岐宮 二座」です。古くから月読宮の境内に同じく祀られていたとされています。
この場所で天照大御神さまの血縁者をまとめている感じでしょうか。
伊雑宮の次は、内宮近くに御鎮座する月読宮に参拝に行ってきました。
御祭神は月讀命で天照大御神の弟神になります。
月讀宮も落ち着いた静かな所で落ち着いてお詣りが出来ました。
入り口
鳥居
葭原神社
手水社
月読宮
月読荒御魂宮
伊佐奈岐宮
伊佐奈彌宮
皇大神新宮別宮月読宮に参拝しました。
御祭神 月讀命
由緒は不詳ですが第五十代桓武天皇の延歴二十三年(八〇四年)の大神宮儀式帳に「月讀宮一院、正殿四区」で、一囲の瑞垣内に祀られていたと記されており、別宮四社合わせて「月讀宮」と呼ばれていた。第五十六代清和天皇の貞観九年(八六七年)八月に「伊佐奈岐宮」と「伊佐奈弥宮」の宮号が与えられた。第六十代醍醐天皇の延長五年(九二七年)の延喜式によれば、この時代には「伊佐奈岐宮」と「伊佐奈弥宮」に瑞垣をめぐらし一院とし、「月讀宮」、「月讀荒御魂宮」が同様に一院となっているとされている。明治六年(一八七三年)より、四社とも個別の瑞垣を持つ現在の形になった。
皇大神宮別宮の月讀宮に御礼参りしてきました⛩
人も少なく、じっくりと御参りできました。
また来れますように♪
入口
四つの別宮があり、参拝順序が決まっています。良く観察させてもらうと、宮の大きさ順になっています。
木製の四別宮
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