とうこうじ|臨済宗興聖寺派|千年山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方全国の神社お寺に毎月お名前奉納します
その他の巡礼の情報
京都府のおすすめ🍁
おすすめの投稿

丹波七福神・福禄寿。そしてこの日の亀岡めぐり最終。薬師堂の薬師如来は智証大師円珍作と言われ、元金仙寺の御本尊であり秘仏。(東光寺の御本尊は釈迦如来)。なぜか薬師如来の御前立ちに福禄寿が鎮座しています。本堂にも福禄寿が鎮座しておりそちらは撫で仏なんだそう…ちょっと撫でてみたかった😅ご不在でしたので書置きの御朱印を拝受。ご在寺なら直書きしてもらえるそうです。薬師如来と釈迦如来の御朱印ないか今度聞いてみよ😊

案内寺号石標

由緒

山門前

福禄寿石像

寺号標

稲荷さん


本堂?

薬師堂

本堂にあった福禄寿


明智光秀丹波攻略と東光寺薬師如来

福禄寿が秘仏・薬師如来の御前立ちのようです。

御前立ちの福禄寿
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
東光寺は、その昔、平安時代の仁和年間(885~889)に滋賀県大津三井寺(園城寺)の開基、比叡山延暦寺第五世天台座主智証大師圓珍が、千年山の麓に金仙寺というお寺を創建し、大師自らの一刀三礼の薬師如来像をお祀りされたのが始まりです。 しかし、その後度重なる騒乱等の火災により伽藍は荒廃し、観応の擾乱以後再建されませんでした。 室町時代の明徳年間(1390~1394)に恵門和尚が、金仙寺の旧跡に禅寺として岩鍋山岩平寺を建て、七堂伽藍を整備しました。 ところが永正年中(1504~1521)に再び戦国時代の騒乱の中で灰燼に帰しました。 そこで伏見宮第7代邦輔親王の子で臣籍降下されてこの地にあった邦茂王の次子、僧祖渓(浄泉和尚・大中和尚)が智証大師作の金仙寺薬師如来を自坊である浄泉庵にお祀りされました。 これが東光寺の始まりです。
江戸時代中期の寛延年間(1748~1751)には、京都洛北興聖寺の第13世月中和尚により、現在地へ移され、その後も特潭祖達、一源宗和尚が布教に努め、東光寺を中興しました。 その後明和・天明年代を境にして少しづつ寺運も衰微してきましたが、文化・文政の頃に復興され、明治39年に飛騨国の名刹本覚寺から智瑛道和尚を迎え、中興されました
| 名称 | 東光寺 |
|---|---|
| 読み方 | とうこうじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0771-22-7719 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦如来 |
|---|---|
| 山号 | 千年山 |
| 宗旨・宗派 | 臨済宗興聖寺派 |
| 創建時代 | 金仙寺:仁和年間(885〜889) 岩平寺:明徳年間(1390〜1394) 浄泉庵、東林寺:永正年中(1504〜1521)以降 |
| 開山・開基 | 金仙寺:智証大師円珍(天台宗) 岩鍋山岩平寺:恵門和尚(禅宗) 浄泉庵、東林寺:浄泉和尚(臨済宗) |
| ご由緒 | 東光寺は、その昔、平安時代の仁和年間(885~889)に滋賀県大津三井寺(園城寺)の開基、比叡山延暦寺第五世天台座主智証大師圓珍が、千年山の麓に金仙寺というお寺を創建し、大師自らの一刀三礼の薬師如来像をお祀りされたのが始まりです。 しかし、その後度重なる騒乱等の火災により伽藍は荒廃し、観応の擾乱以後再建されませんでした。 室町時代の明徳年間(1390~1394)に恵門和尚が、金仙寺の旧跡に禅寺として岩鍋山岩平寺を建て、七堂伽藍を整備しました。 ところが永正年中(1504~1521)に再び戦国時代の騒乱の中で灰燼に帰しました。 そこで伏見宮第7代邦輔親王の子で臣籍降下されてこの地にあった邦茂王の次子、僧祖渓(浄泉和尚・大中和尚)が智証大師作の金仙寺薬師如来を自坊である浄泉庵にお祀りされました。 これが東光寺の始まりです。
|
| 体験 | 札所・七福神巡り |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ

















































14
0