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とうこうじ|臨済宗興聖寺派千年山

東光寺の御由緒・歴史
京都府 千代川駅

ご本尊釈迦如来
創建時代金仙寺:仁和年間(885〜889) 岩平寺:明徳年間(1390〜1394) 浄泉庵、東林寺:永正年中(1504〜1521)以降
開山・開基金仙寺:智証大師円珍(天台宗) 岩鍋山岩平寺:恵門和尚(禅宗) 浄泉庵、東林寺:浄泉和尚(臨済宗)
ご由緒

東光寺は、その昔、平安時代の仁和年間(885~889)に滋賀県大津三井寺(園城寺)の開基、比叡山延暦寺第五世天台座主智証大師圓珍が、千年山の麓に金仙寺というお寺を創建し、大師自らの一刀三礼の薬師如来像をお祀りされたのが始まりです。 しかし、その後度重なる騒乱等の火災により伽藍は荒廃し、観応の擾乱以後再建されませんでした。 室町時代の明徳年間(1390~1394)に恵門和尚が、金仙寺の旧跡に禅寺として岩鍋山岩平寺を建て、七堂伽藍を整備しました。 ところが永正年中(1504~1521)に再び戦国時代の騒乱の中で灰燼に帰しました。 そこで伏見宮第7代邦輔親王の子で臣籍降下されてこの地にあった邦茂王の次子、僧祖渓(浄泉和尚・大中和尚)が智証大師作の金仙寺薬師如来を自坊である浄泉庵にお祀りされました。 これが東光寺の始まりです。
江戸時代中期の寛延年間(1748~1751)には、京都洛北興聖寺の第13世月中和尚により、現在地へ移され、その後も特潭祖達、一源宗和尚が布教に努め、東光寺を中興しました。 その後明和・天明年代を境にして少しづつ寺運も衰微してきましたが、文化・文政の頃に復興され、明治39年に飛騨国の名刹本覚寺から智瑛道和尚を迎え、中興されました

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