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やくしじ|浄土宗龍蟠山

薬師寺
京都府 トロッコ嵐山駅

通常非公開。
8月24日の地蔵盆のみ10時~15時の地蔵盆法要まで拝観可。

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駐車場
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御朱印について御朱印
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ありません

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年02月27日(金)3231投稿

薬師寺 (嵯峨薬師寺)は京都市右京区にあるお寺です。
清凉寺 (嵯峨釈迦堂)の境内にあり 塔頭寺院です。
清凉寺の鐘楼のすぐそばにこちら薬師寺はあります。
山門前に「三地蔵」の石柱がありました。
境内に入ると 正面に三地蔵尊 「生六道地蔵菩薩の分身」「夕霧地蔵菩薩像」「瑠璃光地蔵菩薩像」がいらっしゃいました。
正面に見える建物が本堂かと思ったのですが どうやら庫裡のようでした。
本堂は 清凉寺の本堂から薬師寺の山門までの間にありました。
本堂が山門の外にあるんです。
変わってますね。
本堂の中は 中にあるフィルム(?)が反射するようになっていて 見えにくいようになっていました。
境内のお庭はとても美しいです。
季節柄苔の色は茶色っぽいですが 植栽の背丈は調和を思わせる高さで整えられ 苔の中に石畳が敷かれ 砂利で動きを表し 岩でアクセントをつける。
これも枯山水庭園になるのかな?
本当に美しいです。
非公開寺院で 公開されるのは年に一回 8月24日だそうです。
こういうスケジュールは覚えておきたいと思いつつ 忘れてしまうんです。困った困った。

ネット情報です。
嵯峨薬師寺は 清凉寺境内北西にある清凉寺の境内塔頭になる。
「療病院」とも称された。
山号は竜蟠山 浄土宗知恩院派 本尊は心経秘鍵薬師如来像である。
平安初期の818年(弘仁9) 世に蔓延する悪病を憂慮した嵯峨天皇が 弘法大師に薬師如来の彫刻を命じた。
薬師如来像を彫り開眼供養をすると 疫病が鎮まったという。
この像が本尊の薬師如来坐像である。
嵯峨天皇勅願の寺として大覚寺に属していたが 明治時代以降 浄土宗から改宗し浄土宗知恩院派に属し 清凉寺の境内塔頭となっている。
寺宝に嵯峨天皇像 阿弥陀三尊像などを伝えている。
1880年 この寺の付近にあった六道の辻の福生寺を合併し 地蔵菩薩像・仏像・小野篁像が当寺に遷されている。

薬師寺(京都府)

山門は開いていました

薬師寺(京都府)

三地蔵の石柱

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soo_cyan
soo_cyan
2025年08月25日(月)4985投稿

薬師寺地蔵盆特別拝観へ。8月24日10時~15時のみでの本堂御開帳。11時ごろの到着で、本堂では御開帳の法要が営まれておりました。撮影ご自由にとの有難い張り紙があったので法要終わってから各仏様を撮らせていただきました🤗本尊薬師如来は弘法大師作とのこと。小さいので肉眼では厳しいですが本堂上に写真が飾られておりました。そしてこの日メインの生六道地蔵菩薩。小野篁作と伝わる地蔵様で六波羅六道珍皇寺から冥土へ出かけた小野篁卿がこの世に戻ってくる出口の井戸があった福正寺のお地蔵様。廃仏毀釈で福正寺は廃寺、薬師寺と合併になり仏像もこちらへ遷されたとのこと。本堂右手にはこれまた変わった阿弥陀三尊。こちらは恵心僧都源信作とのことで生身の阿弥陀仏を拝みたいと清凉寺に籠った恵心僧都が七日目の暁に高貴な尼僧に導かれ、紫雲の中より船に乗った阿弥陀三尊が現れて観音勢至菩薩が櫓(ろ)や櫂(かい)で雲の波を漕いで西の空へと去って行かれるのをた拝することができたそう。この感動を後世に伝えようと、その阿弥陀三尊のお姿を彫刻され、当山に残されたのだとか。弘法大師、小野篁、恵心僧都源信作の仏像が一堂に会し、それが一度に拝めるというありがたい時間を過ごさせていただきました🤗

薬師寺(京都府)

薬師堂。本堂

薬師寺(京都府)

生六道地蔵菩薩。左には閻魔像と小野篁像。右は聖徳大師像。

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薬師寺の情報

住所京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
行き方

京都バス61・62・71・72・81「嵯峨釈迦堂前」下車、徒歩5分
京福電鉄「嵐山」駅徒歩10分
JR山陰本線「嵯峨嵐山」駅徒歩10分 

薬師寺の基本情報

名称薬師寺
読み方やくしじ
通称嵯峨薬師寺
参拝時間

通常非公開。
8月24日の地蔵盆のみ10時~15時の地蔵盆法要まで拝観可。

参拝料

なし

トイレ釈迦堂清凉寺境内にあり
電話番号075-861-2868

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttps://saga.yakusiji.net

詳細情報

ご本尊心経秘鍵薬師如来像
山号龍蟠山
宗旨・宗派浄土宗
創建時代弘仁9年(819年)
開山・開基嵯峨天皇
ご由緒

 平安時代初期の弘仁9年(819年)、世の中には悪病が蔓延し、庶民の苦しみは言語に絶するものでした。
 これを憂慮された嵯峨天皇は、弘法大師(空海)に薬師如来像の彫刻を直々にお命じになり、また、自らも般若心経を写経して病魔の退散と招福を祈念されました。
 そこで弘法大師は、高尾・神護寺において、一刀三礼して薬師如来像をお刻みになられ、その開眼供養を営まれたところ、たちまち霊験が顕れて万民は病の苦しみから救われたと言われています。(『薬師堂縁起』より)
 この像こそが、当山の御本尊である「心経秘鍵薬師如来像」です。
 当山は嵯峨天皇勅願の寺として大覚寺(嵯峨御所)の保護を受け、勅封の秘仏である薬師如来像をお祀りしてきました。勅封とは勅命(天皇の命令)によって封印されることをいい、御厨子の開閉は大覚寺の手で行われ、当山の住職は開くことも許されなかったと言われています。
  当山の第二代住職・真如親王の代には火災に遭いましたが、鎌倉時代に北条時頼の帰依によって復興し、時の高僧顕意上人を住職にお迎えしました。
 また、江戸時代初期の寛永年間にも再び火災に見舞われましたが、大覚寺の宮尊性親王によって再建されました。それが現在も残る当山の本堂です。
 明治時代に入るまでは大覚寺の下にあり、嵯峨御所御寺務所が置かれていましたが、明治時代以後は大覚寺を離れ、現在は浄土宗知恩院派に属しています。

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