だいこういん|臨済宗大徳寺派大本山大徳寺塔頭
大光院京都府 北大路駅
通常非公開
大徳寺塔頭めぐり。こちらも二年前の冬の特別公開以来。令和8年の大河ドラマ主人公が羽柴秀長公なので特別公開はその時ですかねぇ・・・🙄山門から見える楓が少し色づいていてとても良きでした🤗
名称 | 大光院 |
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読み方 | だいこういん |
参拝時間 | 通常非公開 |
参拝料 | 通常非公開 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-492-3305 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 釈迦如来 |
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院号 | 大光院 |
宗旨・宗派 | 臨済宗大徳寺派大本山大徳寺塔頭 |
創建時代 | 1592年(文禄元年) |
開山・開基 | 豊臣秀保/古渓宗陳 |
ご由緒 | 文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の実弟秀長の菩提を弔うために秀長の継嗣である秀保が古渓宗陳を開山として招き、所領である大和郡山に建立した。大光院の名称は秀長の戒名からとられている。
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体験 | 御朱印武将・サムライ有名人のお墓 |
概要 | 大光院(だいこういん)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。大本山大徳寺の塔頭。本尊は釈迦如来。 |
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歴史 | 歴史[編集] 文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の実弟秀長の菩提を弔うために秀長の継嗣である秀保が古渓宗陳を開山として招き、所領である大和郡山に建立した。大光院の名称は秀長の戒名からとられている。 しかし、秀保が早世したために家が断絶すると、秀保の家臣・藤堂高虎により慶長4年(1599年)に本山である大徳寺の山内に塔頭として移された。以降、江戸時代を通じて伊勢国津藩藤堂家により援助が行われた。 文化3年(1816年)に焼失するが、文政年間(1818年 - 1830年)に藤堂氏により再興された。 もともとは現在京都市立紫野高等学校のテニスコートがある場所にあったが、紫野高等学校の校地整備が行...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「大光院 (京都市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E5%85%89%E9%99%A2%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=100481708 |
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