かもわけいかずちじんじゃ(かみがもじんじゃ)
賀茂別雷神社(上賀茂神社)のお参りの記録一覧(5ページ目)
ただただ癒やしを求めてお詣りしてきました
立砂(清めの砂や盛り塩の起源とも)と
細殿
楼門
片山御子神社(通称 片岡社)
縁結びの社で源氏物語の作者 紫式部も参拝されていました
須波神社
癒しの神様😊
楼門と玉橋
紫式部歌碑
ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし
涉渓園
願い石
願い石を両手で触れて力を頂き 直ぐ近くに在る加茂山口神社にお詣りします
加茂山口神社
子供の成長を見守る神様です
京都五社巡り 最後の神社で訪れた⛩
北山から加茂川沿いを歩いてると
本当に新緑が素晴らしい💚
葵祭がこの時期に行われるはずだわ🤔
冬の平安神宮から始まって❄️
城南宮では満開の梅💖
八坂神社も満開の桜🌸
松尾大社も満開のヤマブキ🌼
そして新緑の上賀茂神社💚
振り返ると こんなステキな感動させていただいたことに感謝しないと🙏
本当に 素晴らしい経験でした❗️
そして満願って最高🎉🎊😍‼️
さすが世界文化遺産⛩
重厚さが違う😃
二ノ鳥居を入った正面の立砂は「神山」を象ったもので、頂に三本と二本の松の葉が立てられ、陰と陽の一対になっている🗻🗻
花手水もマリが浮かんでて かわいい💕
楼門がまた鮮やかで 素晴らしい🤩
いただいたご朱印
花手水の横で🌸
京都神社巡り15 下鴨神社を堪能しバスで更に北上。もう一つの楽しみにしていた神社です。北北西の神山の山頂にある最も大きな岩(磐座)を御祭神とした神社です。下鴨神社と異なり開放的な神社でした。ゆっくりと参拝して御朱印を書き入れて戴き、授与所で八咫烏のおみくじも戴きました。
社号標
一の鳥居
二の鳥居
参道
斎王桜
馬出しの桜
むち打ちの桜
御所桜
嘉永五年(1628年)造替の外幣殿(重要文化財)
風流桜
神馬舎
平日はお休み
三の鳥居
境内案内図
寛永5年(1628年)造替の楽屋(重要文化財)
境内を流れる奈良の小川
寛永五年(1628年)造替の土屋(重要文化財)
文久三年(1863年)造替の舞殿(橋殿)
寛永五年(1628)造替の細殿(重要文化財)
立砂
手水舎
名水「神山湧水」
境内社 橋本神社
樟橋(長寿橋)
由緒書
拝殿
境内社 棚尾神社(重要文化財)
楼門
境内社 川尾神社
伊勢神宮遥拝所
境内社 新宮神社 山尾神社
境内社 須波神社(重要文化財)
境内社 片山御子神社(片山社)境内24社ある摂末社の中で第一摂社とされる
片岡橋(重要文化財)
岩上
境内社 岩本神社
願い石
境内社 賀茂山口神社拝殿
境内社 賀茂山口神社本殿
渉渓園
境内社 奈良神社本殿
嘉永五年(1628年)造替の北神餞所(庁屋)(重要文化財)
境内社 山森神社
境内社 梶田神社
八咫烏のおみくじ
この他にも賀茂なす、勝馬と変わったおみくじがありました。それは次回のお楽しみにします。
念願の上賀茂神社をお参りしてきました!
正式名称は「賀茂別雷(わけいかづち)神社」と言うんですね!
ホトカミは勉強になります。
賀茂別雷神社の御朱印です。
拝殿前の立派な楼門です。
国宝の拝殿です。
3月の連休を利用して久しぶりに京都へ訪れました。 朝からどんよりとしてすっきりとしない空模様でしたが、予て参拝したかった賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)に向かいます。 賀茂別雷神社~通称は「上賀茂神社」、「上社」とも呼ばれる山城国一宮です。 京都最古の歴史を有する一社でもありユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の一つとして登録されています。 特別参拝の申し込みをし、暫し境内を散策します。 二の鳥居をくぐると現れる細殿前の円錐形に砂が盛られた「立砂」は、御神体である神山(神体山)を象ったもので神が降臨する場所と謂われています。 細殿に向かって右側の砂山が「陰」で二本の松葉、左側の砂山が「陽」で三本の松葉が頂に立てられており、これは陰陽思想において奇数と偶数が合わさることで神の出現を願う意がある為とのことです。 その他、朱が映えてとても綺麗な楼門や「ならの小川」をまたいでかかる舞殿(橋殿)、土屋など重文の建物を拝見し通常参拝を終えると、申し込んだ特別参拝の時間となりました。 多くの神社では実際に神様をお祀りしている場所~本殿はとても神聖な場所であるが故、特別な場合や一部の神職の方を除いて立ち入りが禁じられていることが多いのですが、ここ賀茂別雷神社では受付にて初穂料500円を納めれば国宝である本殿と権殿をまじかに見られる特別参拝に参加することができます。(…意外とリーズナブルだと思いました。) 渡された浄掛(きよかけ)を首から掛けてまずは待合室(直会殿)に通されます。 直会殿の鴨居には賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母である賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)の物語が描かれた数枚の絵が飾られており、その絵物語に沿って神職の方から賀茂神社の由緒についての説明を頂きます。 ~太古の昔山城国鴨川の地(現在の京都北山)に移り住んだ賀茂一族の姫・賀茂玉依比売命はある時、賀茂川で禊を行っていたときに雷鳴とともに川上から流れてきた赤い矢を拾われます。 丹塗矢(にぬりのや)と呼ばれるこの矢を持ち帰り、床に祀り休まれた賀茂玉依比売命は御霊神の力を享け御子を授かります。 御子が元服となった時、祖父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は多くの神々を招き祝宴を催します。 その席で賀茂建角身命は、「汝の父と思う神にこの盃を捧げよ」と申され盃を渡したところ御子は、すっくと立ち上がり天を仰ぎ見て「我が父は天津神(あまつかみ)なり」と答えて盃を天上に向けて投げ、甍(いらか)を破って雷鳴とともにそのまま天に昇られました。 この御子こそが賀茂別雷大神(かもわけみかづちのおおかみ)だったのです。 残された賀茂建角身命と賀茂玉依比売命が御子に再び会いたいと願っていると、ある夜、賀茂玉依比売命は御子からの神託を授かります。 それは「吾れに逢はんとには、馬に鈴を掛けて走らせ、葵楓の蘰を造り、厳しく飾りて吾れを待たば来む」というもので、その言葉に従い神迎の祭をしたところ賀茂別雷大神が天より神山(現在の賀茂別雷神社の北方)の頂上にある磐座に降臨されたと伝えられています。例祭である賀茂祭(葵祭)と前儀の賀茂競馬(かもくらべうま)はやはりこの神迎の祭と関係があるのでしょうか? 興味深いお話でした。
さて、由緒について説明を受けた後、神前に出るため不浄を落とすお祓いを受け、いよいよ内庭と称される中門より内側(拝殿の向こう側)に案内して頂きます。 式年遷宮の形式を執る賀茂別雷神社の権殿の前にて、檜皮葺の流造の神社建築の形式や金銀色の狛犬、所謂「影狛」と謂われる本殿・権殿の扉の脇に描かれた狛犬の絵についての説明を受け、主祭神である賀茂別雷大神をお詣りいたします。 最後に高倉殿なる宝物館で当社に伝わる御神宝などを拝見し、特別拝観は終了となります。
帰りには、朝姿の見えなかった神馬「神山(こうやま)号」も神馬舎に出社しており、人参を振舞うことができました。
賀茂別雷神社・一の鳥居
賀茂別雷神社・二の鳥居
賀茂別雷神社・楽屋
賀茂別雷神社・土屋
賀茂別雷神社・細殿と立砂
賀茂別雷神社・手水舎
賀茂別雷神社・舞殿(橋殿)
賀茂別雷神社・桜門と玉橋
賀茂別雷神社・四脚中門
賀茂別雷神社・幣殿
賀茂別雷神社・庁屋(北神饌所)
賀茂別雷神社・摂社/片山御子神社(片岡社)
上賀茂神社の第一摂社であり、祭神の「玉依比売命」は賀茂別雷大神の母親です。
賀茂別雷神社・紫式部歌碑
賀茂別雷神社・渉渓園/ならの小川
賀茂別雷神社・渉渓園/睦の木
賀茂別雷神社・摂社/賀茂山口神社(沢田社)
賀茂別雷神社・渉渓園/願い石
賀茂別雷神社・渉渓園/ならの小川
賀茂別雷神社・馬場殿(神馬舎)
神馬「神山(こうやま)号」も出社してました。
御朱印
御神籤・八咫烏
御神籤・賀茂茄子
御神籤・神馬
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。上賀茂神社は下鴨神社(しもがもじんじゃ・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ))とともに古代氏族・賀茂氏(かもうじ)の氏神を祀り、下鴨神社と合わせて賀茂神社(賀茂社(かもしゃ))と言われました。上賀茂神社は上賀茂社・上社とも言われたそうです。なお上賀茂神社と下鴨神社の祭礼で、京都三大祭である葵祭は正式には賀茂祭と言われています。
鳥居⛩です
参道です。
神馬がいらっしゃいました。
こちらを向いてくれました😄
境内案内板です。
手水舎です。
楼門です。
本殿です。
摂社の河合神社です。
金の狛犬です。
銀の狛犬です。
やってきました。
山城国一宮賀茂別雷神社様
初めての参拝ですが
特別参拝もさせて頂き
神職の方からお話と本殿近くで参拝することが出来ました。
特別参拝控え室内は撮影禁止ですが
控え室から外を撮ってみました。
京都府のおすすめ❄️
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