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とうふくぜんじ(とうふくじ)|臨済宗東福寺派大本山慧日山

東福禅寺(東福寺)
京都府 鳥羽街道駅

4月〜10月:9:00~16:00(16:30閉門)/11月~12月初旬まで:8:30~16:00(16:30閉門)/12月初旬~3月末:9:00~15:30(16:00閉門)

歴史

摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。

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東福禅寺(東福寺)の基本情報

住所京都府京都市東山区本町15-778
行き方

JR奈良線・京阪本線「東福寺駅」下車、南東へ徒歩10分。
市バス202,207,208系統「東福寺バス停」下車。

アクセスを詳しく見る
名称東福禅寺(東福寺)
読み方とうふくぜんじ(とうふくじ)
参拝時間

4月〜10月:9:00~16:00(16:30閉門)/11月~12月初旬まで:8:30~16:00(16:30閉門)/12月初旬~3月末:9:00~15:30(16:00閉門)

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-561-0087
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.tofukuji.jp/index.html

巡礼の詳細情報

数珠巡礼

第21番

詳細情報

ご本尊釈迦如来
山号慧日山
宗旨・宗派臨済宗東福寺派大本山
創建時代1236年(嘉禎2年)
開山・開基聖一国師円爾 ・九条道家
ご由緒

摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。

体験御朱印国宝重要文化財

Wikipediaからの引用

概要
東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派の大本山の寺院。山号は慧日山(えにちさん)。本尊は釈迦如来。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。近代に入って規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院である。かつては身の丈五丈の釈迦如来座像を有し、山城国(現在の京都府の一部)では雲居寺大仏・方広寺大仏(京の大仏)に次ぐ高さを有する大仏として、威容を誇っていた。中世においては「南都(東大寺)の半仏雲居(雲居寺)、雲居の半仏東福(東福寺)」「南都の四半仏」と謳われるなど、身の丈十六丈の東大寺大仏・身の丈八丈の雲居寺大仏と並び称されていた(公称高寸法が実寸の高さでないことは後述)。 東福寺は宗派の雲水たちが修行する専門道場である一方で、紅葉の名所として著名な観光スポットであり、秋には数十万もの観光客が訪れる。域内には多くの国宝、重要文化財に指定された名建築を有し「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とも呼ばれる。
歴史
歴史[編集] 東福寺は京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにあり、東には泉涌寺がある。この地には延長2年(924年)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・法性寺の巨大な伽藍があった(法性寺は、JR・京阪東福寺駅近くに小寺院として存続している)。嘉禎2年(1236年)、摂政九条道家は、九条家の菩提寺として、この地に身の丈五丈(約15メートル)の釈迦如来像を安置する大寺院を建立することを発願し、寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」とした。建長元年(1249年)に完成した身の丈五丈の釈迦如来像を安置する仏殿の建設工事は延応元年(1239年)から始めて、完...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] 奈良線(JR西日本)・京阪本線「東福寺駅」下車、徒歩10分。 京阪本線「鳥羽街道駅」下車、徒歩8分。伽藍の中心部(国宝三門等)へは東福寺駅からよりも近く、紅葉の時期も東福寺駅ほど混雑しない。 京都市営バス 88・202・207・208系統「東福寺」下車、徒歩10分。 京阪バス 山科急行・6A号経路「十条相深町」下車、徒歩15分。
引用元情報東福寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E7%A6%8F%E5%AF%BA&oldid=102616807
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