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ちおんいん|浄土宗華頂山

知恩院のお参りの記録一覧
京都府 東山駅

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惣一郎
惣一郎
2021年04月10日(土)1269投稿

知恩院は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山、寺号は大谷寺。本尊は法然上人像(本堂)と阿弥陀如来(阿弥陀堂)。浄土宗の宗祖・法然上人の布教活動の拠点を起源とし、徳川家康が母・傳通院の菩提寺と決め壮大な伽藍を整備した。敷地は7万3千坪(東京ドーム5個分)に及ぶ。

当院は、鎌倉時代前夜の1175年、浄土宗の宗祖・法然上人が、東山吉水(現在の知恩院勢至堂付近)に結んだ草庵を起源としている。法然は1133年に美作国(岡山県)に生まれ、13歳で比叡山に登り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)、18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の僧・叡空に師事し、源光と叡空から1字ずつ取って法然房源空と改名した。その後、唐の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼、1175年、43歳の時に浄土宗の開宗を決意し比叡山を下りた。それ以降、80歳で入滅するまでの後半生を当地で過ごしたことから、草庵は「吉水御房」、「大谷禅房」とも呼ばれた。
開宗当初は困難の連続で、旧仏教側から激しく糾弾され、法然自身も75歳であった1207年から4年間、讃岐国(香川県)に流罪となっている。法然入滅後も、1227年に延暦寺の宗徒によって法然廟が破壊された(嘉禄の法難)。ただ、1234年に法然の弟子・源智が再興し、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。
現在のように壮大な伽藍が整備されたのは江戸時代に入ってからで、浄土宗徒であった徳川家康が母・傳通院の菩提寺と決め、寺地の拡大、諸堂の造営を行い、2代将軍秀忠、3代将軍家光もこれに続いて、伽藍を完成させた。

当院は、JR京都駅からバスで北東へ4km、祇園バス停の100m北に入口(新門)がある。新門から三門までは400mほどの登り坂の太い参道があり、日本最大の三門、巨大な御影堂(本堂)と合わせて徳川将軍家の権力の強大さに圧倒される。境内は三段構成になっていて、下段に三門、中段に本堂(御影堂)・阿弥陀堂、上段に勢至堂・御廟となっている。非常に大きな境内に、個々の建物も大型サイズ。豪壮な伽藍。

参拝時は週末の午後で、天気は大雨。午前中小雨だったため観光客は引き続き多くいた。自分は下調べが不十分で境内に<上段>があることを知らず、また当寺の梵鐘が日本三大梵鐘であることも知らず、また大雨で足が鈍って、ささっと廻って終わってしまったため、見どころの半分ぐらいしか廻っておらず、不完全な参拝となってしまった。要再参拝...涙。

※未拝観の主要な建物;大鐘楼、大方丈、小方丈、勢至堂、集会堂、唐門(以上、国指定の重要文化財)、権現堂、山亭庭園、法然上人御廟、濡髪大明神、方丈庭園、友禅苑。

知恩院の山門・神門

東山観光の主要道路・府道143号線沿いにある入口<知恩院新門>。右側には巨大な寺号標。

知恩院の山門・神門

新門をくぐると、なだらかに登る太い参道が400m続き、日本最大の楼門<三門>が現れる。五間三戸、重層入母屋造、本瓦葺。<京の三大門>の一つに数えられる(ほか2つは仁和寺、南禅寺)。

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ジュン
ジュン
2021年01月02日(土)462投稿

祇園四条にあるレストランで晩ご飯を食べた後、せっかく四条まで来たのだから・・・と
知恩院の秋のライトアップ2020(夜間特別拝観)を観に行くことに。
徒歩で10分ちょっと。
国宝三門下周辺・友禅苑・女坂・国宝御影堂等、境内各所がライトアップされていて、とても素敵でした。

知恩院の御朱印

ライトアップの期間中は、書置きの御朱印のみかと思っていたら、通常の御朱印は
手書きしてもらえます。
通常御朱印は何種類かあり、今回は御詠歌の御朱印を頂きました。
「草も木も枯れたる 野辺にただひとり 松のみ残る弥陀の本願」

知恩院の御朱印

期間限定 国宝御影堂落慶法要参拝記念「法爾大師」
2020年7月17日~ 無くなり次第終了

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