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青蓮院門跡ではいただけません
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しょうれんいんもんぜき|天台宗

青蓮院門跡
京都府 東山駅

9:00~17:00(16:30受付終了)※春・秋に夜間ライトアップを開催しています。

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
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御朱印帳
あり
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あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

近畿三十六不動尊第19番札所
神仏霊場巡拝の道第115番(京都第35番)

おすすめの投稿

穏暖
穏暖
2025年05月26日(月)
739投稿

粟田口を歩きます。最後はこちら、青蓮院。

ここはとにかくお庭。新緑の今は活き活きとして大変綺麗です。京都でも指折りと個人的には思います。
屋内からゆっくり眺めるのも、散策するのも大変綺麗。暑くなる前の今がベスト化もしれません。

今回はここまでにします。

青蓮院門跡(京都府)

小さな布袋さま。

青蓮院門跡の御朱印

青不動御朱印。

青蓮院門跡(京都府)

寺号標。

青蓮院門跡(京都府)

山門。

青蓮院門跡(京都府)

いきなり絵になる参道。

青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)

華頂殿から庭園を鑑賞。時が止まります。

青蓮院門跡(京都府)

華頂殿。

青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)

好文亭

青蓮院門跡(京都府)

本堂。こじんまりとしてます。

青蓮院門跡(京都府)

寝殿と右に右近の桜。

青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)

大玄関。

青蓮院門跡(京都府)

鐘楼と新緑の楠。

青蓮院門跡(京都府)

植髪堂。

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みち
みち
2024年05月27日(月)
212投稿

 青蓮院門跡は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(青蓮院、三千院、妙法院)の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡(青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡)の一つに数えられています。日本天台宗の祖最澄が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。平安時代末期に、青蓮坊の第十二代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が御帰依になって第七王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称せしめられたのが門跡寺院としての青蓮院の始まりであり、行玄が第一世の門主であります。
~当該HPより一部抜粋引用~

ご住職?の方が、親切にいろいろと教えていただき、庭もゆっくりと鑑賞することができました。

青蓮院門跡(京都府)

「青蓮院門跡」の石標

青蓮院門跡(京都府)

「薬医門」

青蓮院門跡(京都府)

薬医門を抜けると拝観受付があります

青蓮院門跡(京都府)

「華頂殿」の襖絵①

青蓮院門跡(京都府)

「華頂殿」の襖絵②
鮮やかでした!!

青蓮院門跡(京都府)

「小御所」
後櫻町上皇が当院を仮御所としてお使いの際、上皇もご使用になった建物

青蓮院門跡(京都府)

「相阿弥の庭」①(龍心池と跨龍石)

青蓮院門跡(京都府)

「相阿弥の庭」②(龍心池と跨龍石)

青蓮院門跡(京都府)

「霧島の庭」
五月の連休の頃、霧島つつじが一面を真っ赤に染める。小堀遠州作と伝える庭園

青蓮院門跡(京都府)

「植髪堂」
親鸞聖人の得度の折、剃髪した髪の毛を祀る御堂

青蓮院門跡のその他建物

熾盛光堂

青蓮院門跡(京都府)

「好文亭」
江戸時代の天明8年(1788年)に、天明の大火によって御所が炎上した時、後櫻町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難されました。その際、上皇が御学問所としてお使いになった由緒正しき建築物である。

青蓮院門跡(京都府)

御朱印(直書き)①

青蓮院門跡(京都府)

御朱印(直書き)②

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のぶさん
のぶさん
2022年03月06日(日)
1623投稿

天台宗に属し、三門跡(もんぜき)のひとつで、粟田御所とも呼ばれる。比叡山東塔南谷に伝教大師最澄が僧侶の住居として建てた青蓮坊が起りで、その12代行玄(ぎょうげん)(天台座主)が鳥羽天皇の御帰依を得て、その皇子覚快法親王を托されて、京都の里坊(さとぼう)を拡充して以来、門跡の称号が起り、親王は第2世門主となられた。皇族、摂関家の子弟が入室される例となって、天台宗で最高の寺格をもつ寺となった。  この地は、鎌倉時代に青蓮院に合併された十楽(じゅうらく)院門跡の里坊にあたり、青蓮院は三条白川坊・吉水坊などが老朽化したのちはもっぱらこの坊を維持して今日に至っている。建物は応仁の乱で焼失したが、江戸時代に再建され天明の京都大火にさいし後桜町上皇の仮御所となった。門主には代々名僧が任ぜられ、17世入道尊円親王は能書をもって知られ、青蓮院流(のちの御家(おいえ)流)を開かれた。  現在の建物は、明治26年火災後の再建のものが多いが、江戸時代門跡寺院の格式を再現している。宸殿・小御所は狩野派の優美な襖絵で飾られ、明治の火災をまぬがれた叢華殿は勤王志士が国事を相談した維新史跡である。庭園は粟田山の山すそを利用し、竜心池を中心とした優美な庭で、主庭は相阿弥(そうあみ)作、霧島の庭は小堀遠州作と伝えられている。  他に寺宝は多く、中でも不動明王二童子画像(国宝)は世に「青不動」と呼ばれて有名である。

青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡のその他建物
青蓮院門跡の山門・神門
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡の本殿・本堂
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡の庭園
青蓮院門跡の鳥居
青蓮院門跡の本殿・本堂
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡の庭園
青蓮院門跡の本殿・本堂
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡の本殿・本堂
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡(京都府)
青蓮院門跡の御朱印
青蓮院門跡の山門・神門
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歴史

青蓮院門跡は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(注1)の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡(注2)の一つに数えられています。青蓮院門跡は、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院(注3)とされております。
(注1)天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院
(注2)五箇室…青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡
(注3)門跡寺院…門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のこと。

起源は伝教大師最澄による「青蓮坊」
日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。伝教大師から円仁(えんにん、慈覚大師)、安恵(あんね)、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊でした。

門跡寺としての青蓮院の始まり
平安時代末期に、青蓮坊の第十二代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が御帰依になって第七王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称せしめられたのが門跡寺院としての青蓮院の始まりであり、行玄が第一世の門主であります。
その後明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られていました。

青蓮院の歴代門主
青蓮院が最も隆盛を極めましたのは、平安末期から鎌倉時代に及ぶ、第三代門主慈圓(慈鎮和尚、じちんかしょう、藤原兼実の弟)の時です。慈圓は四度天台座主をつとめ、その宗風は日本仏教界を風靡しました。また、日本人初めての歴史哲学者として不朽の名著「愚管抄」を残し、新古今時代の国民的歌人として「拾玉集」も残しております。
慈圓は、時代の流れにも積極的な理解と対応を示し、当時まだ新興宗教であった浄土宗の祖法然上人や、浄土真宗の祖親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護致しました。それ故、現在でも青蓮院は、浄土真宗との関係は深いのです。浄土真宗の祖親鸞聖人は、上記慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとなっています。親鸞聖人の得度の折、剃髪した髪の毛を祀る植髪堂が、境内北側にございます。
十七代門主の尊円法親王は伏見天皇の第六皇子で、名筆家として知られています。和風唐風を融合した尊円法親王の書風は「青蓮院流」と呼ばれ、江戸時代に広く普及した和様書風「御家流」の源流でもあります。
室町時代には後に室町幕府第六代将軍足利義教となる義圓が門主を務め、また衰微期の本願寺が末寺として属し、後に本願寺の興隆に尽くした蓮如もここで得度を受けています。

粟田御所 仮御所としての青蓮院
江戸時代の天明八年(1788年)に、大火によって御所が炎上しました時に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難されました。庭内の好文亭はその際には御学問所として御使用されたものであります。
また、青蓮院は粟田御所と呼ばれており、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡にも指定されています。

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青蓮院門跡の基本情報

住所京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
行き方

京都市営バス5・46・100系統 「神宮道」下車 徒歩3分
地下鉄東西線 「東山駅」下車 徒歩5分
円山公園から徒歩10分 知恩院北隣

アクセスを詳しく見る
名称青蓮院門跡
読み方しょうれんいんもんぜき
通称粟田御所
参拝時間

9:00~17:00(16:30受付終了)※春・秋に夜間ライトアップを開催しています。

参拝料

大人600円、中高生400円、小学生200円

トイレ境内にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印の郵送対応なし

御朱印帳あり
電話番号075-561-2345
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.shorenin.com/

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

近畿三十六不動尊霊場

詳細情報

ご本尊熾盛光如来
院号青蓮院
宗旨・宗派天台宗
開山・開基傳教大師最澄
ご由緒

青蓮院門跡は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(注1)の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡(注2)の一つに数えられています。青蓮院門跡は、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院(注3)とされております。
(注1)天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院
(注2)五箇室…青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡
(注3)門跡寺院…門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のこと。

起源は伝教大師最澄による「青蓮坊」
日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。伝教大師から円仁(えんにん、慈覚大師)、安恵(あんね)、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊でした。

門跡寺としての青蓮院の始まり
平安時代末期に、青蓮坊の第十二代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が御帰依になって第七王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称せしめられたのが門跡寺院としての青蓮院の始まりであり、行玄が第一世の門主であります。
その後明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られていました。

青蓮院の歴代門主
青蓮院が最も隆盛を極めましたのは、平安末期から鎌倉時代に及ぶ、第三代門主慈圓(慈鎮和尚、じちんかしょう、藤原兼実の弟)の時です。慈圓は四度天台座主をつとめ、その宗風は日本仏教界を風靡しました。また、日本人初めての歴史哲学者として不朽の名著「愚管抄」を残し、新古今時代の国民的歌人として「拾玉集」も残しております。
慈圓は、時代の流れにも積極的な理解と対応を示し、当時まだ新興宗教であった浄土宗の祖法然上人や、浄土真宗の祖親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護致しました。それ故、現在でも青蓮院は、浄土真宗との関係は深いのです。浄土真宗の祖親鸞聖人は、上記慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとなっています。親鸞聖人の得度の折、剃髪した髪の毛を祀る植髪堂が、境内北側にございます。
十七代門主の尊円法親王は伏見天皇の第六皇子で、名筆家として知られています。和風唐風を融合した尊円法親王の書風は「青蓮院流」と呼ばれ、江戸時代に広く普及した和様書風「御家流」の源流でもあります。
室町時代には後に室町幕府第六代将軍足利義教となる義圓が門主を務め、また衰微期の本願寺が末寺として属し、後に本願寺の興隆に尽くした蓮如もここで得度を受けています。

粟田御所 仮御所としての青蓮院
江戸時代の天明八年(1788年)に、大火によって御所が炎上しました時に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難されました。庭内の好文亭はその際には御学問所として御使用されたものであります。
また、青蓮院は粟田御所と呼ばれており、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡にも指定されています。

体験御朱印国宝重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り法話

Wikipediaからの引用

概要
青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)にある天台宗の寺院。山号はなし。本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)。青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。開山は伝教大師最澄、現在の門主(住職)は、東伏見家(旧伯爵家)出身の東伏見慈晃。
歴史
歴史[編集] 梶井、妙法院などと共に、青蓮院も比叡山上にあった房(坊)と呼ばれる小寺院がその起源となっている。青蓮院は比叡山東塔の南谷(現・延暦寺第三駐車場)にあった最澄が建立した青蓮坊がその起源である。青蓮坊は慈覚大師円仁、安恵、相応などの著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊であった。 山下に移ったのは平安時代末期、青蓮坊の第12代行玄大僧正の時で、移転先は現在地のやや北西にあたる三条白川の地である。久安6年(1150年)に鳥羽上皇と皇后美福門院は行玄に帰依して青蓮坊を祈願所とした。このため、この頃から寺格が上がり始めた。その上、鳥羽上皇は第7皇子の覚快法親王を行玄の弟子として入...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] 京都市営地下鉄東西線東山駅下車徒歩6分 京都市営バス5系統・46系統 神宮道バス停下車徒歩3分。 京都市営バス「京都岡崎・都心循環バス(京都岡崎ループ)」青蓮院前バス停下車すぐ(2015年9月19日から運転・2022年3月19日から休止[1])。 京都市営バス・京阪バス、祇園バス停下車。八坂神社と円山公園を通って徒歩15分。 東山山頂の将軍塚大日堂 京阪バス 京都河原町駅・三条京阪駅から将軍塚青龍殿へのバスが運行されていた。 ^ 令和4年3月実施の市バス・地下鉄新ダイヤについて
引用元情報青蓮院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9D%92%E8%93%AE%E9%99%A2&oldid=104312882
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