しょうれんいんもんぜき|天台宗
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楽しみ方青蓮院門跡へのアクセス・駐車場
アクセス情報
| 住所 | 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1 |
|---|---|
| 行き方 | 京都市営バス5・46・100系統 「神宮道」下車 徒歩3分
|
| 駐車場 | あり |
基本情報
| 近くの駅 | 最寄駅ではなく、直線距離で最も近い駅を目安として表示しています。 Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。 |
|---|---|
| 参拝時間 | 9:00~17:00(16:30受付終了)※春・秋に夜間ライトアップを開催しています。 |
| 電話番号 | 075-561-2345 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.shorenin.com/ |
駐車場に関する投稿(3件)
天台宗三門跡「青蓮院門跡」
地下鉄東山駅より数分、神宮道の坂道を登ってすぐ。お隣が小さな公園か知恩院。
入り口横に駐車場あり
大きな楠を横に見ながら石畳を進み山門。
山門を左手に進めば寺務所。寺務所で受付と御朱印の受付をして建物の中へ。
客殿から小堀遠州作とかのお庭が見える。花はなくても美しいお庭。
客殿から小御所、宸殿と繋がりまた寺務所に戻る。
寺務所横から靴を履いてお庭に降りることができる。結構広い。
お庭、池、日吉社、本堂(工事中)、と進み宸殿前の広い庭にでかい楠に鐘楼を見て、宸殿奥の出口から外に出る。
天台宗最澄の開基で、門跡ってことで天皇家とゆかり深い寺院です。いっぱいいるので割愛。
いつぶりに来たのか全く思い出せないぐらい久しぶりの参拝です。来たことあるような気がするけど覚えてない。
有名でアクセスもそんなに悪くないのにあまり人がおらずおかげでゆっくり参拝できた。宸殿
の中がすごくいい雰囲気。

青蓮院は京都市東山区にある門跡寺院です。
参拝は二度目で 前回は工事中のため外観をしっかり観ることができませんでした。
お庭にも足場などがあって 工事が終わったらまた来ようと思っていました。
ホトカミの投稿で工事が終わったことを知り 待ち望んでいた参拝となりました。
観光バスが停まっていて 団体さんと一緒に参拝となりました。
団体さんには先に行っていただき 妻と二人ゆっくり巡りました。
まずは華頂殿。
ここから眺める相阿弥作の庭は圧巻でした。
お抹茶もいただけるようです。
百人一首のような額絵がありましたが 三十六歌仙のものでした。
蓮の襖絵も美しいです。
次は小御所。
平安時代末は門主の居間でしたが 後櫻町上皇が当院を仮御所としてお使いの際上皇もご使用になった建物だそうです。
明治に焼失し 江戸中期の建物を移築しているそうです。
次は本堂。
階段を上がったところに聖天堂もありました。
本堂の東庫にはレプリカですが国宝の青不動像があります。
内陣は撮影不可でした。
ぐるっとまわると本堂内陣。
ご本尊は逗子の中でした。
次は宸殿。
撮影できる場所が限られていますが 歴史を感じさせるものが多くありました。
徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移転したものだそうです。
歴代の門主様や縁のある天皇の御位牌が祀られていました。
親鸞聖人が得度をした場所で お得度の間とも呼ばれます。
宸殿の前庭は 苔むしたお庭ですが 昔は白砂を敷いていたそうです。
私は苔庭の方が好きです。
一度建物から出て 次はお庭散策です。
廊下の下をくぐり 相阿弥の庭に出ました。
後櫻町上皇の学問所だった好文亭を外から見て 境内社の日吉社で参拝。
本堂や宸殿を外から眺めて 鐘楼を撞いて いやぁ大満足でした。
今回の参拝は 建物の外側を堪能させていただきました。
しかーし また参拝したいです。
ネット情報です。
山号はなし
宗派は天台宗
寺格は京都五ケ室門跡
ご本尊は熾盛光如来
創建年は久安6年(1150年)
開山は最澄
札所は近畿三十六不動尊霊場第19番・神仏霊場巡拝の道第115番(京都第35番)
当院は 梶井(現・三千院) 妙法院と共に 天台宗の三門跡寺院である(天台三門跡)。
「門跡寺院」とは皇族や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり 当院は多くの法親王・入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主(住職)を務め 格式を誇ってきた。
江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。
日本三不動の1つ「青不動」のある寺としても知られる。
梶井 妙法院などと共に 当院も比叡山上にあった房(坊)と呼ばれる小寺院がその起源となっている。
当院は比叡山東塔の南谷(現・延暦寺第三駐車場)にあった最澄が建立した青蓮坊がその起源である。
青蓮坊は慈覚大師円仁 安恵 相応などの僧侶の住居となり 東塔の主流をなす坊であった。
山下に移ったのは平安時代末期 青蓮坊の第12代行玄大僧正の時で 移転先は現在地のやや北西にあたる三条白川の地である。
久安6年(1150年)に鳥羽上皇と皇后美福門院は行玄に帰依して青蓮坊を祈願所とした。
このため この頃から寺格が上がり始めた。
その上 鳥羽上皇は第7皇子の覚快法親王を行玄の弟子として入寺させている。
これ以降 当院は門跡寺院となり皇族や摂家の子弟が門主を務める寺院となった。
青蓮坊は院の御所に準じて都に殿舎を造営し 青蓮院と改称する。
とはいえ 山上には青蓮坊がそのまま残されており 廃絶する室町時代まで寺籍は保たれていた。(後略)
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