あんらくじ|単立|住蓮山
安楽寺のお参りの記録一覧
左京区鹿ヶ谷の住蓮山安楽寺卍
一般公開日が春や秋と、7月のカボチャ供養の日などに限定されてます。
法然上人の弟子・住蓮と安楽が開いた「鹿ヶ谷草庵」跡地に、流罪地から帰京した法然上人が両人の菩提を弔うために草庵を復興し、住蓮山安楽寺と名付けたとあります。
後鳥羽上皇の女官・松虫姫と鈴虫姫が2人のもとで内密に出家したため、激怒した上皇により住蓮と安楽は死罪となりました。
境内には住蓮・安楽両上人供養塔と、松虫・鈴虫両姫供養塔があります🙏
入ってすぐの受付に預けて、御朱印を書いていただきました🖌️
茅葺き山門
くさの地蔵
供養塔
京都🍁の旅②
住蓮山安楽寺
こちらのお寺は先輩ユーザーさんの投稿で知りました。
鈴虫姫、松虫姫という美しい女官の出家を巡る「建永の法難」はかなり悲しくショッキング💔機会があったら行ってみたいと思っていたら、今回公開日と重なり、お参りすることができました😌
流刑地から帰京した法然上人が、安樂、住蓮両上人の供養のため草庵を復興
哲学の道から少し奥の山の方へ
お堂には法然上人や両上人、両姫の像が
仏画はカフェの方が描いたものだそう
素敵なカフェ
ほっとひと息☕
ひっそりした良い風情
こういう京都もよいですね
素敵な御朱印帳があります
東山鹿ヶ谷、秋の特別公開ちうの安楽寺さんにお参りしました。
あと2ヶ所の都七福神に行く途中なんだけどね、あるミーハーな理由で立ち寄ったのでアリマス😅
四条京阪前からバスに乗り、錦林車庫前で下車。
スグに有名な「哲学の道」に出会います。
せっかくなのですこし歩いてみましたが、ワタクシの脳みそに哲学的思考は湧き起こりません😓
てか、そもそも哲学ってナニ?ってレベルだからねぇ💨
まあ、いいや。橋を渡ろう。
水はソコソコきれいだよ。
ゆるい坂道をいくと、お寺さんの入り口に。
紅葉には、ちょい早いね。
美しい茅葺門!
受付を済ませ、中に入ります。
清々しい御手水。
つくばいのとこにかぼちゃのカミサマ?が。
かぼちゃ供養やってるお寺さんだからね。
お地蔵さま
庭園を見ながら、ご住職のお話を聴きました。お寺の歴史など、とてもわかりやすかったです。
美女が2人揃って後宮の優雅な暮らしを捨てて出家してしまうほどの御説法って、どんなんだろう?
きいてみたかったな〜〜
ワタクシも商売やめてアタマ丸めたくなっちゃうのかな😅
磨きこまれた廊下をゆくと
素敵なカフェがありました。
美味しいコーシーをいただいて休憩。
法然上人の御朱印と
お地蔵様の御朱印をいただきました。
これがね、欲しかったの!
ノエビア化粧品のイラストで有名な美人画家・鶴田一郎さんの御朱印帳です。
松虫姫と鈴虫姫🥰
気になってたお寺に行って来ました!
閑静な町の中にあり、秋の特別公開初日にお邪魔しました。
写真はないですが、こじんまりとした本堂や庭、書院を見てまわりました。
住職さんによる、安楽寺の由来についての説明があり聞きました。
マイナーなところなので、人が少なくゆっくりと有意義な時間が過ごせました。
山門
特別公開時以外は、閉鎖されてます。
御朱印
書院の方でいただきました。
書院の写真はないですが、心が落ち着く場所です。ぜひ期間中に自分の目で確かめてください。
御朱印帳
安楽寺に伝わる松虫姫、鈴虫姫が描かれた御朱印帳になります。俗世から離れたお二人がとても美しいです。
松虫姫・鈴虫姫ゆかりの「安楽寺」
通常非公開のお寺で、公開日ではないので山門だけ。
冷泉天皇陵の裏、(ちょっと距離あるけど)お隣は霊鑑寺門跡。
駐車場なし。
情緒のある石の階段に茅葺き屋根の山門。周囲の木は紅葉で紅葉の名所です。
山門入ってすぐに「拝観謝絶」の看板。中は広そうなお庭が覗ける。
石柱に「浄土禮讃根元地」と「圓光大師霊場」の文字。どういう意味だろ...。
松虫姫・鈴虫姫は、後鳥羽上皇の寵愛を受けた女官。美女。
姫二人は住蓮上人と安楽上人って僧の説法が忘れられなくて、ある日、後鳥羽上皇の留守中に押し掛けて剃髪出家します。
帰ってビックリの上皇は激怒。住蓮・安楽上人を死刑、師匠の法然や親鸞を流刑にした。
下って室町時代に住蓮・安楽上人を弔うために再興されたお寺。
「松虫姫・鈴虫姫の悲話〜」とか紹介されてたけど、本当に悲話はこの二人やろ。
円光大師京都二十五ヶ所霊場の一つです。
山門。紅葉だったら雰囲気良いだろうな〜
拝観謝絶
春と秋の特別公開と7月にある京野菜・鹿ケ谷南京で行われるかぼちゃ供養以外は非公開のお寺です。
松虫鈴虫寺と呼ばれる理由は
「両上人(住蓮上人と安楽上人)が称える礼讃は誠にすばらしく、両上人の前で出家を希望する人もありました。
その中に、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられました。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞います。最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘されます。
19歳の松虫姫は、住蓮上人から剃髪を受け「妙智法尼」と法名を授かります。また17歳の鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かります。
この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵(まぶち)(現在の滋賀県近江八幡市)で、同日安楽上人は京都六条河原(東本願寺近く)で斬首されました。この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。
その後、両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。
また、両上人の亡き後、「鹿ヶ谷草庵」は荒廃しましたが、流罪地から帰京された法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命ぜられ「住蓮山安楽寺」と名付けられました。その後、天文年間(1532〜55)に現在地に本堂が再建され、今日にいたっています」
草庵というにはふさわしいたたずまいです。
この日は雨だったので余計にそう思ったのかもしれませんが、静寂の中に無念さもあり、それでいて厳か。
そんな相反する感想を抱きました。
住蓮上人と安楽上人のお墓
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