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六波羅蜜寺ではいただけません
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ろくはらみつじ|真言宗智山派補陀洛山

六波羅蜜寺
京都府 清水五条駅

8:00〜17:00
宝物館8:30〜17:00 (受付終了16:30)

御朱印について御朱印
あり

通常は6種類の御朱印をいただくことができます。 ご本尊の御朱印には、西国三十三所の1つである「西国…

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六波羅蜜寺について

平清盛や空也上人の有名な像がある


西国三十三カ所第十七番札所

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歴史

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。
上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。
源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。
現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。
なお、解体修理の際、創建当時のものと思われる梵字、三鈷、独鈷模様の瓦をはじめ、今昔物語、山槐記等に記載されている泥塔8,000基が出土した。重要文化財の質、量において文字どおり藤原、鎌倉期の宝庫と謂われる所以である。 

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六波羅蜜寺の基本情報

住所京都府京都市東山区五条大和大路上ル東入2丁目轆轤町81-1
行き方

京阪「清水五条駅」から徒歩8分
阪急「京都河原町駅」から徒歩15分。
JR京都駅から市バス約10分、清水道下車、徒歩約10分。

アクセスを詳しく見る
名称六波羅蜜寺
読み方ろくはらみつじ
参拝時間

8:00〜17:00
宝物館8:30〜17:00 (受付終了16:30)

参拝料

本堂無料、宝物館600円、大学高中学生500円、小学生400円

御朱印あり

通常は6種類の御朱印をいただくことができます。
ご本尊の御朱印には、西国三十三所の1つである「西国十七番」の印など、4つの印が押されます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-561-6980
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://rokuhara.or.jp/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

洛陽三十三所観音霊場

都七福神

数珠巡礼

第14番

詳細情報

ご本尊十一面観音立像
山号補陀洛山
院号普門院
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代天暦五年(951)
開山・開基空也上人
文化財

十一面観音立像(国宝)
空也上人立像、平清盛坐像、薬師如来坐像、地蔵菩薩立像、多聞天立像、広目天立像、持国天立像(重要文化財)

ご由緒

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。
上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。
源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。
現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。
なお、解体修理の際、創建当時のものと思われる梵字、三鈷、独鈷模様の瓦をはじめ、今昔物語、山槐記等に記載されている泥塔8,000基が出土した。重要文化財の質、量において文字どおり藤原、鎌倉期の宝庫と謂われる所以である。 

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