東寺鎮守八幡宮・東寺境内社八島殿京都府 東寺駅
午前5時〜午後5時
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楽しみ方
東寺鎮守八幡宮・東寺境内社八島殿さんへ、、、🚶🏻
御祭神 八幡神
お詣りし、御朱印(直書き)を頂きました🙏
八島殿
八嶋殿
八幡社殿
八幡社殿
令和七年 御朱印(直書き)を頂きました🙏

こちらが別登録されているのを初めて知りました。
御朱印ある?のでしょうね。
登録されていたら投稿したくなります。
八幡社は南大門入って左手に 八島社は南大門入って右手に鎮座されています。
どちらも玉垣で囲まれた境内が広くて さすが東寺の境内社だと思います。
八幡社殿の説明書きには
796年創建。平安京と東寺を守護する為まつられたが 明治元年(1868年)焼失 平成3年に123年ぶりに再建。本尊は檜材の一木造りで 一本の巨木から弘法大師作と伝えられる 僧形八幡神座像と女神座像二躯が安置されている。足利尊氏が東寺を本陣としていた時 鎮守八幡宮の神殿から流鏑が新田勢に向かって飛び 勝利を収めた故事は余りにも有名である。
八幡宮の駒札には
鎮守八幡宮は弘仁元年(810)の薬子の変にさいして 弘法大師空海が八幡神をまつり 社を建立したことにはじまるとされています。
本尊の八幡三神像は 一本の霊木から三躯を造りだした貴重なもので 秘仏として早くから大切に伝えられてきました。
南北朝時代に東寺の内外で戦闘が行われた時 鎮守八幡宮から神矢が飛んで 東寺に陣をおいた足利尊氏が勝利しました。この戦勝にちなんで 以後 足利幕府は東寺を保護し 鎮守八幡宮はたいへん栄えました。
明治元年(1868)には 南大門や八島社とともに焼失するなどの憂き目をみましたが 平成四年(1992)に再建されました。
八島社殿の説明書きには
祭神は当時の地主神とも 大己貴神(おおなぬちのかみ)とも言われる。八島社と言うのはわが国を大八州瑞穂国(おおやしまみづほのくに)と言うところから起こった社号である。それゆえこの社は東寺以前より鎮座されており 弘法大師はこの神の夢想を被ってここに伽藍建立に先立ち この神へ寺門造立成就 方位安全 法道繁盛の祈願をされ 地主神とあがめられたと伝えられる。
八幡社
社殿は西向きに
本殿
由緒書
五重塔を背景に
八島社
祭神について
社殿は西向きに
本殿
弘仁元年(810年)の薬子の変(平城太上天皇の変)のとき、弘法大師空海が八幡神を祀り社を建立したことに始まるとのことです。南北朝時代に東寺の内外で戦いが行われたとみ、この八幡宮から神矢が放たれ、東寺に陣をおいていた足利尊氏が勝利したため、足利幕府が東寺を保護し八幡宮が栄えたとのことです。
歴史をもっと見る|| 名称 | 東寺鎮守八幡宮・東寺境内社八島殿 |
|---|---|
| 参拝時間 | 午前5時〜午後5時 |
| トイレ | 東寺寺務所隣 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-691-3325 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://toji.or.jp/smp/guide/dainichido/ |
| ご祭神 | 八幡神 |
|---|---|
| 創建時代 | 810年(弘仁元年) |
| 本殿 | 入母屋造 |
| ご由緒 | 弘仁元年(810年)の薬子の変(平城太上天皇の変)のとき、弘法大師空海が八幡神を祀り社を建立したことに始まるとのことです。南北朝時代に東寺の内外で戦いが行われたとみ、この八幡宮から神矢が放たれ、東寺に陣をおいていた足利尊氏が勝利したため、足利幕府が東寺を保護し八幡宮が栄えたとのことです。 |
| 体験 | 御朱印武将・サムライ |
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