よどじんじゃ
與杼神社京都府 淀駅
社務所:09:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
社伝等によると応和年間(961年 - 964年)に、愛宕念仏寺などを再興した千観内供が肥前国佐賀郡河上村の與止日女神社から淀大明神を勧請して山城国乙訓郡水垂村に建立したとされる。しかしながら、日本三代実録には貞観元年(859年)に従五位下の神位を賜ったという記述があり、延長5年(927年)に成立した延喜式神名帳では山城国乙訓郡の小社として列していることから応和年間以前には存在したと考えられる。桂川の水上運輸の守護神とされ、淀姫社や水垂社とも呼ばれていた。
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼によって片桐且元を奉行として本殿と拝殿が再建された。しかし、本殿は慶安2年(1649年)頃には建て替えられたという。明治35年、淀城本丸跡に移転。
山城国乙訓郡の式内社です。肥前国一宮の與止日女神社から勧請された神社で、明治四年に廃城になった淀城本丸に遷座して現在に至ります。ちなみに元鎮座地は桂川の対岸で、御旅所になっています。
《鳥居》
周辺は有料駐車場となっています。
《社号碑と由緒書き》
👁チェックポイント‼️
佐賀の與止日女神社が川の氾濫を防ぐ神様として嘉瀬川の辺りに分社があるのと同じように、当社も海運交通として使っていた桂川を守護する神様として勧請されたようです。桂川はかなり暴れ川だったとも聞きますし、かなり頼りにされていたのでしょうね。
《社務所》
御朱印や御守りが戴けます。
《表参道》
両側とも駐車場となっています。京都競馬場もありますし、人の通りは多いのでしょうね。
《銀杏の注連縄》
2本の銀杏の木が石柱門のようになってます。
《手水舎》
柄杓が復活しています。
《神輿庫》
《外拝殿》
洛中の大きな神社は朱色の建物が多いですが、こちらの方まで来ると真っ黒の建物が多いイメージです。
《末社群》
左から川上社、豊丸社、長姫弁財天社となっています。
《本殿》
拝殿が前にあるのかと思いきや、本殿の屋根の先に壁が設けられて祈祷所になっていました。
《本殿内部》🙏
《日大臣社》
神明造なので神明社なのかなぁと思いきや、まさかの外宮にある由貴御倉の御用材を譲り受けて、本殿焼失後の仮本殿としていたものらしいです。
《御神木》
《淀本町商店街》
隣にこじんまりと商店街があります。淀神社のお祭りはかなり盛大と聞きますし、ここの方々の地力がかなり強いのでしょうね。
與杼神社は、淀・納所・水垂・大下津の産土神として鎮座しています。
この神社は、僧の千観内供が応和年間(961-963)に肥前国(佐賀県)佐賀郡河上村に鎮座の與止日女神社より、淀大明神として勧請したのに始まるとある。しかし、延喜式(901~)第九巻「山城国乙訓郡」中に、與杼神社の名前があるところから見て、、応和年間より以前に鎮座していたと考えられています。
元の鎮座地は、今の宮前橋付近の桂川右岸の川原になっているあたりで、古来よりこの辺りを「大荒木の杜」と呼ばれていた。(当時ここは乙訓郡水垂村と称した)
桂川堤防敷の拡幅工事に伴い、本殿以下の建物は、明治三十三年5月24日付の神社移転許可により、明治三十四年7月移転工事に着工、翌五年完成、明治三十五年6月21日、神社すべてが現在の淀城址内に遷座されました。中でも本殿、拝殿は明治年間に移築・遷座されたにも拘らず、よく当初の建築様式を保存していたので、昭和四十六年6月22日に本殿(本殿内の木造狛犬一対も含む)と拝殿の二棟が国の重要文化財に指定されました。
名称 | 與杼神社 |
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読み方 | よどじんじゃ |
通称 | 淀神社 |
参拝時間 | 社務所:09:00〜16:00 |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 075-631-2061 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.yodojinja.com/ |
SNS |
ご祭神 | 豊玉姫命 高皇産霊神 速秋津姫命 |
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創建時代 | 不詳 |
創始者 | 千観内供 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 與杼神社は、淀・納所・水垂・大下津の産土神として鎮座しています。
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体験 | 祈祷おみくじお宮参り七五三御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ伝説 |
概要 | 與杼神社(よどじんじゃ)は、京都市伏見区淀本町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。淀城の本丸跡に建てられている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝等によると応和年間(961年 - 964年)に、愛宕念仏寺などを再興した千観内供が肥前国佐賀郡河上村(現・佐賀県佐賀市大和町大字川上)の與止日女神社から淀大明神を勧請して山城国乙訓郡水垂村(現・伏見区淀大下津町)に建立したとされる。しかしながら、日本三代実録には貞観元年(859年)に従五位下の神位を賜ったという記述があり、延長5年(927年)に成立した延喜式神名帳では山城国乙訓郡の小社として列していることから応和年間以前には存在したと考えられる[1]。桂川の水上運輸の守護神とされ、淀姫社や水垂(みずたれ)社とも呼ばれていた。 慶長12年(1607年)に豊臣秀頼によって片...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「與杼神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%87%E6%9D%BC%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98135968 |
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