ほんのうじ|法華宗本門流大本山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方本能寺のお参りの記録一覧(5ページ目)

京都で行きたかったお寺です町中にありました。秀吉により今の場所に移ったとの事ですが信長ファンには欠かせないところです

入口です


大宝殿

本堂です

信長公廟

妙法。欲しかった御朱印です。直書きにて頂きました

法華宗本門流の大本山で、応永22年(1415)、日隆上人によって創建された。 当初は本応寺と称していたが、永享5年(1433)、六角大宮に移転した際、本能寺と名を改め、更に天文14年(1545)、油小路蛸薬師一帯に広大な寺域を得て大伽藍を復興した。 本寺は、天正10年(1582)、織田信長が明智光秀によって襲撃(本能寺の変)され、自刃したところとして世に名高いが、その折、30余りの宿坊を構えた大伽藍は灰燼に帰した。その後、豊臣秀吉の都市計画により、天正17年(1589)、現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、堂宇は悉く焼失し、現在の本堂は昭和3年(1928)に再建されたものである。 寺宝には、花園天皇宸翰、伝藤原行成筆の書巻等の貴重な逸品を蔵し、境内には、織田信長及びその側近達の供養塔、並びに江戸時代後期の南画家浦上玉堂父子の墓などがある。中京区寺町通御池下る本能寺前町










織田信長が明智光秀によって襲撃され自刃した「本能寺の変」の舞台として有名な、法華宗の大本山寺院です。
豊臣秀吉の命により移転したため、実際に「本能寺の変」が起きた場所は別にあります。
堀川四条の近くに本能寺跡として石碑が残してあります。


表門

本堂

本堂前

本堂

信長公廟

信長公廟

信長公廟について

戦没者のお墓
森蘭丸も眠っています

宗祖日蓮大聖人のお墓

浦上玉堂、春琴廟のお墓

浦上玉堂、春琴廟について

寺務所

御首題

御朱印帳
御首題帳として使います

はさみ紙おもて

はさみ紙裏

京都 寺町商店街北に位置しています。
人も少なく、ゆっくり参拝できました。
境内東には、立派な信長公廟があり、宝物館では、信長と光秀の宝物の展示がされていました。
今は、双方交流があるようですね。

門前

由緒立札

本堂
法華宗の講習会が開催されていました。

信長公廟

信長公廟立札



織田信長公が愛したとされる、唐銅香炉「三足の蛙(みつあしのかえる)」
(写真撮ってよろしいとのことでした)

由緒沿革
京都府のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ


























































































































































6
0