こうげんいん|臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭|万年山
光源院京都府 今出川駅
通常非公開
足利義輝菩提寺
相国寺塔頭。室町幕府第13代、剣豪将軍として名高い足利義輝公菩提寺。大河ドラマ「麒麟がくる」で向井理さんが演じられたのが記憶に新しいかな?山門は開いていたので中のお堂にお参りしてきました。
京都市上京区にある相国寺の塔頭です。
「京の冬の旅」で特別公開だったのでお参りしました。
以前お参りした際は 境内には入れたので雰囲気を味わうことはできたのですが 本堂には入れなかったので とても楽しみにしていました。
本堂のご本尊釈迦如来様より 掛け軸や襖絵の方が私の目を引きました。
伊藤若冲から学んだ維明周奎の掛け軸 加藤晋筆の襖絵 ともに美しかったです。
襖絵には 七福神や西遊記一行が隠れるように描かれていて 探すのが楽しかったです。
書院ではお茶がいただけました。
小学生ぐらいの女の子が接待してくださって ほほえましかったです。
行者堂にもお参りできたのですが こちらは修験道の開祖「役行者」像・弘法大師像・不動明王像が祀られていました。
特に役行者像は鮮やかな彩色が残っており 写真に収めたかったです。
ガイドブック買いました。
由緒については
光源院は室町時代中期の1421年(応永28年)に 相国寺28世・元容周頒の塔所として創建されました。
当初は広徳軒(こうとくけん)と称していました。
戦国時代の1565年(永禄8年)に 室町幕府13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の菩提寺になり 足利義輝の院号「光源院融山道円」に因んで 寺号が光源院に改められました。
その後1885年(明治18年)に建物を壊し 1896年(明治29年)に善應院(ぜんおういん)と合寺し 善應院を光源院に改めました。
なお善應院は 江戸時代初期の1604年(慶長9年)に 播磨姫路藩初代藩主・池田輝政(いけだてるまさ)が母・善應院殿の香火所として創建しました。
とありました。
山門 少し新しい
京の冬の旅の看板
客殿(?)入り口
本堂南庭
本堂南庭の説明 十二支が隠れています
お茶をいただきました 菓子を食べちゃってからの撮影
足利将軍・義輝直筆の和歌あり
行者堂
名称 | 光源院 |
---|---|
読み方 | こうげんいん |
参拝時間 | 通常非公開 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-231-7849 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 釈迦如来 |
---|---|
山号 | 万年山 |
院号 | 光源院 |
宗旨・宗派 | 臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭 |
創建時代 | 応永二十八年(1421) |
開山・開基 | 元容和尚 |
ご由緒 | 光源院は相国寺二十八世元容和尚の塔所で、応永二十八年(1421)に創建され、広徳軒と称しました。師は二世普明国師に法を嗣ぎ、同年八月十二日入寺、同三十二年(1425)三月十七日示寂。永禄八年(1565)足利義輝が死去してその菩提寺となり、義輝の院号により光源院と改称します。もとの光源院は現今の東にあり、天明の火災を免れますが、明治十八年(1885)その建物を毀ち、同二十九年(1896)善應院に合併し、善應院を廃して光源院と改めました。
|
体験 | 御朱印武将・サムライ有名人のお墓 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
4
0