ろくどうちんのうじ|臨済宗建仁寺派|大椿山
六道珍皇寺京都府 祇園四条駅
9:30~16:00
御朱印(2種類)
六道珍皇寺では、「薬師如来」と「醫王殿」の2種類の御朱印をいただけます。
季節や行事に合わせた御朱印が頒布されています。
薬師如来の御朱印
山号 大椿山
御本尊 薬師如来
清水五条駅から徒歩15~20分
六波羅蜜寺の近く。
小野篁が、閻魔王の裁判の補佐をする為に冥界の行き来に使ったとされる井戸や閻魔王像などがあります。
特別公開期間以外の御本尊や井戸の拝観は予約が必要らしい。
京都に近い方はお参りください。特別拝観の六道珍皇寺。
11月2日~4日と11月23日~24日です。短いです。秋の特別公開で本堂薬師如来坐像だけでなく冥途通いの井戸と黄泉がえりの井戸も覗き込めます。
特別拝観であっても 本来写真を撮れない場所や仏像や掛け軸など 「せっかくですから撮ってもいいですよ」との優しいお言葉をいただき 遠慮なく撮ってきました。
この六堂珍皇寺さん 小野篁に縁のあるお寺です。
小野篁と言えば 昼は朝廷勤め夜は冥界勤めと言われた御仁。冥界への道として2つの井戸を通ったとされています。それが冥途通いの井戸と黄泉がえりの井戸なんです。
また六道の名は町の名前にもなっています。
由緒などについては割愛させていただきます。
本堂に入ると ご住職による少々楽しい小野篁のお話を聞かせていただけます。それからご本尊や掛け軸などの説明を聞かせていただきます。最後に冥途通いの井戸と黄泉がえりの井戸を見るためにお庭に下りることもできます。
本来写真はだめなんですよ。でも今日は「どうぞ」だったんです。きっとこの特別拝観では許されると思うのです。チャンスなんです。
山門
由緒書
薬師堂
右手:小野篁木立像 左手:閻魔像
由緒書
鐘楼堂
奥が本堂
ポスターチェック
ご住職のお話が終わって
冥界の図
珍皇寺参詣曼荼羅図
ご本尊扁額
ご本尊は鎌倉時代作
地蔵菩薩
ご本尊と脇仏
欄間に仏様
熊野観心十界図
地獄絵
小野篁がかかれています
水琴窟
さてお庭に下ります
竹林大明神
黄泉がえりの井戸
電気がついていますが奥は深すぎて見えません
説明
小野愛宕権現
冥途通いの井戸
水が湧いています
篁卿六道遊行絵図屏風 左半分
篁卿六道遊行絵図屏風 右半分
京都では、「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎え(しょうりょうむかえ)に参詣する寺として世に名高い当寺は、山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。
当寺の開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)で、平安前期の延暦年間(782年〜805年)の開創である。当寺は、古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれた。
しかし当寺の建立には、諸説があり空海説(「叡山記録」ほか)や小野篁説(伊呂波字類抄・今昔物語集)をはじめ、一説には宝皇寺(ほうこうじ)の後身説もある。
宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)(鳥辺山)山麓一帯に住んでいた鳥部氏が建立した寺で鳥部寺とも呼ばれていたが、今はその遺址(いし)も明らかでない。
またさらには、承和3年(836年)の平安前期に当地の豪族であった山代淡海(やましろのおおえ)等が国家鎮護の道場として建立した(「東寺百合文書」)など、当寺の起源には多くの説がある。
この珍皇寺はもと真言宗で、平安・鎌倉期には東寺を本寺として多くの寺領と伽藍を有していたが、中世の兵乱にまきこまれ荒廃することとなり、南北朝期の貞治3年(1364年)建仁寺の住持であった聞溪良聰(もんけいりょうそう)により再興・改宗され、現在に至っている。
本堂には薬師三尊像(京仏師中西祥雲作)が安置されているほか、境内には閻魔堂(篁堂)(えんまどう:たかむらどう)、地蔵堂、鐘楼等がある。また重要文化財の永久保存のために収蔵庫(薬師堂)には重文の本尊薬師如来坐像(平安時代)が安置されている。
名称 | 六道珍皇寺 |
---|---|
読み方 | ろくどうちんのうじ |
参拝時間 | 9:30~16:00 |
参拝料 | 通常無料(特別拝観:大人600円、中学生400円、小学生300円) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-561-4129 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.rokudou.jp/ |
おみくじ | あり |
数珠巡礼 第13番 |
---|
ご本尊 | 薬師如来 |
---|---|
山号 | 大椿山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗建仁寺派 |
創建時代 | 延暦年間(782年~805年) |
開山・開基 | 慶俊僧都 |
ご由緒 | 京都では、「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎え(しょうりょうむかえ)に参詣する寺として世に名高い当寺は、山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。 当寺の開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)で、平安前期の延暦年間(782年〜805年)の開創である。当寺は、古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれた。
|
体験 | 仏像御朱印重要文化財伝説 |
概要 | 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)は、京都市東山区小松町にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来。8月7日 - 10日の「六道詣り」、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる。通称「六道さん」。この付近が「六道の辻」であるとされる。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。「六道の辻」は五条通(現・松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされている[1]。 創建は延暦年間(782年 - 805年)とされ、開山は奈良の大安寺の住持で空海の師にあたる慶俊とされる。異説として空海(「叡山記録」ほか)や小野篁(『伊呂波字類抄』『今昔物語集』)[2]などとする説の他、かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身であるともいう[3]。さらに東寺百合文書の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書(長...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「六道珍皇寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%AD%E9%81%93%E7%8F%8D%E7%9A%87%E5%AF%BA&oldid=101910433 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0