このじんじゃ
籠神社京都府 天橋立駅
開門時間:午前7時30分~午後4時30分(12月~2月)
午前7時30分~午後5時(3月~11月)
授与所開設時間:午前8時30分~閉門時間(御朱印は午前9時から)
このじんじゃ
開門時間:午前7時30分~午後4時30分(12月~2月)
午前7時30分~午後5時(3月~11月)
授与所開設時間:午前8時30分~閉門時間(御朱印は午前9時から)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり 入庫:午前7時30分~閉門(出庫:午後6時)
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天橋立の近くにあります。
土曜日に訪れたところ御朱印をいただくのに20分待ちということだったので、先に御朱印帳を預けてから真名井神社に行きました。
境内は撮影禁止です。
ここから先は撮影禁止でした
丹後国一ノ宮 元伊勢籠神社
昔から奥宮の地眞名井原に豊受大神をお祀りされていたそうで、そのご縁により第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになられ、天照大神と豊受大神を4年間お祀りしていたそうです。
その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代に伊勢にお遷りになられたということで、元伊勢と呼ばれているそうです。
籠宮の名称起源は、籠神社のHPによると、
『別名を彦火火出見命とも云われた彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮(これを龍宮とか、常世とも呼びます)に行かれたとの故事により、社名を籠宮と云うと伝えられています』
とのこと。
余談ですが、童謡『かごめかごめ』には、籠神社が関係あるとか。
本当かどうかは判りませんが。
境内は撮影禁止のため、神門をくぐるまでの写真となっています。
また少し北側には奥宮の眞名井神社や磐座もあったのですが、時間的な問題と午前中に竹田城に登山した疲れで参拝は諦めてしまいました。
次回は必ず!と決意をした次第です。(いつやねん・・・😅)
京都府宮津市字大垣430
一の鳥居
手水舎
二の鳥居
御由緒
魔除狛犬・阿形(重要文化財)
鎌倉時代の作
作者の魂が籠もり天橋立に出ては暴れ、通行人を驚かせていたらしく、父の仇討ちのためにこの地を訪れていた岩見重太郎が剛刀で狛犬の脚に一太刀浴びせたところ、社頭に戻り、魔除けの狛犬として霊験あらたかになったとのこと
魔除狛犬・吽形(重要文化財)
境内から天橋立ケーブルカー府中駅方向へ出たところに
亀がいる池がありました
亀がいる池の前にあるゴールドの鳥居
傘松公園から見た天橋立(昇龍観)
傘松公園内にある冠島沓島遥拝所
冠島と沓島は元伊勢籠神社の海の奥宮です。
彦火明命と市杵嶋姫命が天降り、夫婦となった神聖な島だそうです。
宮津市のマンホール
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。その故事により当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。
両大神が伊勢にお遷りの後、養老三年に本宮を奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、現今の籠神社の地へとお遷して、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りしました。
旧社名の匏宮の「匏(よさ)」と吉佐宮の「吉佐(よさ)」という宮号は現在も郡名(与謝郡)や海の名称(与謝の海)となって継承されて来ております。[公式HPより引用]
住所 | 京都府宮津市字大垣430 |
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行き方 | 京都丹後鉄道 天橋立駅より徒歩50分程度(天橋立の松並木参道経由の道)、自転車で約20分。遊覧船で12分乗船、一宮桟橋駅より徒歩3分
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名称 | 籠神社 |
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読み方 | このじんじゃ |
通称 | 元伊勢、元伊勢籠神社 |
参拝時間 | 開門時間:午前7時30分~午後4時30分(12月~2月)
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参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0772-27-0006 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.motoise.jp/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主祭神》 彦火明命 《配祀神》 天照大神 豊受大神 海神 天水分神 |
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創建時代 | 不詳 |
創始者 | 海部伍佰道 |
本殿 | 神明造 |
札所など | 神仏霊場巡拝の道131番(京都51番)
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ご由緒 | 神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。その故事により当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。 両大神が伊勢にお遷りの後、養老三年に本宮を奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、現今の籠神社の地へとお遷して、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りしました。 旧社名の匏宮の「匏(よさ)」と吉佐宮の「吉佐(よさ)」という宮号は現在も郡名(与謝郡)や海の名称(与謝の海)となって継承されて来ております。[公式HPより引用] |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り札所・七福神巡り一の宮伝説 |
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