びょうどういん|単立|朝日山
平等院のお参りの記録一覧(5ページ目)
平等院は、京都府宇治市にある単立の寺院。山号は朝日山。本尊は阿弥陀如来坐像。ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。平安貴族が建立した寺院で、建物・仏像・壁画・庭園まで含め一通り残存している点で、日本で唯一の史跡。多くの国宝等を有するが、大どころでは鳳凰堂4棟(中堂・両翼廊・尾廊)、木造阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像52体、鳳凰堂中堂壁扉画14面、鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)1対、梵鐘が国宝。
創建は平安中期の1052年、開基は藤原頼道、開山は明尊。当初天台宗であったが、江戸期以降、天台宗と浄土宗を兼ねており、特定の宗派に属さず、境内塔頭の本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している特異な形態になっている。
現在の平等院の地は、9世紀末に嵯峨源氏の源融(光源氏のモデル)の別荘であったが、陽成天皇、宇多天皇、朱雀天皇、源重信の手を渡り、998年摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となった。道長の死後、その子である関白・藤原頼道が末法思想や浄土教に基づき、西方極楽浄土とその教主たる阿弥陀如来を観想するために「宇治殿」を寺院に改造した。なお開山の明尊が園城寺(三井寺)長吏であったことから園城寺の末寺となった。
鎌倉期前夜の1180年には、以仁王の挙兵で以仁王側の源頼政が橋合戦に敗れ(治承の乱)当院「扇の芝」で自害。1184年には近くで宇治川の戦いが勃発。1221年の承久の乱では当院に鎌倉幕府軍大将・北条泰時、北条時房の本陣が置かれ近くで合戦が発生。南北朝時代の1336年に足利尊氏と楠正成の合戦に巻き込まれ、鳳凰堂以外のほとんどを焼失した。
室町時代の1490年代に浄土宗の僧・栄久が荒廃した平等院を修復するために塔頭・浄土院を創建。江戸期の1654年に天台宗寺門派の僧・澄栄が塔頭・最勝院を創建、1681年に江戸幕府の寺社奉行の裁定により浄土宗、天台宗寺門派の共同管理となって現在に至っている。
当院は、宇治川の南西岸にあり、京阪宇治駅からだと宇治橋を渡って川沿いの参道を300mほど進むと入口がある。境内全体が庭園になっていて、半分すり鉢状になった高台に塔頭の浄土院・最勝院・鐘楼・ミュージアムがあり、中央の低い部分に鳳凰堂が大きく構えている形になっている。
参拝時は週末の朝一で、天気が良いにもかかわらず、参拝者は驚くほど少なかった。ただし、鳳凰堂内部拝観はコロナ対策で人数制限をしており、平等院自体8:30開所だが、9:00過ぎに10:40参観予定と言われ、泣く泣く拝観を断念した。
境内北端にある<表門>。
表門をくぐって、すぐ右手にある<寺務所>。
参道進んで左手にある<扇之芝>。扇の形をした芝の敷地。平安末期の1180年に、以仁王の挙兵で以仁王側の源頼政が橋合戦に敗れここで自害した。
扇の芝の隣にある<観音堂>。
観音堂の隣にある<藤棚>。
藤棚のそばにある<鳳凰堂拝観受付>。
いよいよ<鳳凰堂>。北側から。手前の池は<阿字池>。
鳳凰堂、北東から。
鳳凰堂正面。東側から。
鳳凰堂。南東から。
鳳凰堂。南側から。この場所の後ろ側に<集印所>と<六角堂>がある。
六角堂の隣にある<鐘楼>。小山の上に立つ。
鐘楼の<梵鐘>。オリジナルは国宝。写真はレプリカ。
鐘楼から見た庭園。
鐘楼の横にある<鳳翔館(ミュージアム)>入口。
鳳翔館の裏手と塔頭・浄土院の間に建つ<平等院 旧南門>。
鳳凰堂の裏手の高台に建つ塔頭・浄土院の本堂。
鳳凰堂の裏手の高台に建つ塔頭・最勝院の本堂。
浄土院、最勝院から続く下り坂から見た鳳凰堂。桜が満開。
最後、北側から見た、湖面に映る鳳凰堂。
意外にもこちらの平等院も初めての参拝です。
コロナ禍で人出はそこそこでした。
鳳凰堂は時間と人数制限があり、入れませんでした。
定番の風景。
人出はこんなもん。
災難よけ不動尊。
御朱印いただきました。
宇治といったら、お茶。
抹茶フロート最高^_^
京都市内は混むし宇治ならばと思ったら、世界遺産はやっぱりみんなみたいよね。紅葉と関係ないけど。広いので密にはならずにすみましたが内陣拝観は4時間待ちで諦めました。納経所は長蛇の列。ミュージアムとショップは大混雑。また、今度!
1052年末法思想により浄土信仰が流行する中藤原頼道により開創、翌年鳳凰堂が落慶。
南門から。
源頼政のお墓。
最勝院。
最勝院不動堂。本尊不動明王と役小角像。
池殿地蔵尊。
きれいな鐘。ミュージアムで見ることができます。
宇治の平等院鳳凰堂で「鳳凰堂」と「阿弥陀如来」の御朱印を頂きました。
平等院では御朱印帳を頂きました。
いろいろな種類、色がありましたが、黒字に金の鳳凰の御朱印帳です。気に入ってます。
平等院鳳凰堂の由緒書と入場券です。
鳳凰の絵柄が気に入って御守を頂きました。
平等院の表門は、平等院の入口です。
平等院鳳凰堂と浄土式庭園は、もとは藤原道長の別荘でしたが、道長の死後寺院に改め平等院となりました。
南側から見た平等院鳳凰堂です。
10円硬貨の裏側でお馴染みですね。
鳳凰も一万円札の裏側ですね。
北側から見た平等院鳳凰堂。国宝で中堂の阿弥陀如来坐像も国宝です。当日は雨でしたが40分くらい待って阿弥陀如来坐像を参拝することができました。
平等院鳳凰堂の中堂の阿弥陀如来坐像はさすがに見えません。平等院の鐘楼です。
平等院の観音堂です。重要文化財です。
十一面観音が安置されていましたが今は鳳翔館に移されています。
鳳翔館は見ごたえがありました。本物の鳳凰や雲中供養菩薩像の半分が展示されていました。
#平等院鳳凰堂
#宇治市
#京都府
#御朱印帳
#御朱印
「鳳凰堂」の御朱印
「阿弥陀如来」の御朱印
御朱印帳
由緒書と拝観券
お守り
表門
平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂
鐘楼
平等院の観音堂
朝早くお参りしたということもあり、あまり一般参拝者はいませんでした。
その代わり、修学旅行の学生がいて元気いっぱい!参道が広いので大勢でいても十分距離を取ることができました。
人が少ない朝のお参りだったので鳳凰堂内部の拝観ができるかと思ったのですが、こちらは枠が埋まっていてタイミング合わず断念。
鳳凰堂の周りをぐるっとゆっくり見てまわりました。
参道に並ぶ商店
参道
案内板
表門
参道
扇の芝
源頼政は軍扇を広げ辞世の句を詠んだ後、ここで自刃したそうです
扇の芝について
観音堂
鎌倉時代前期、本堂跡地に建てられたもの
いよいよ見えてきました…
鳳凰堂
平安時代後期、時の関白藤原頼通によって建立された阿弥陀堂
鳳凰堂
金色の丈六阿弥陀如来坐像が窓から顔をお出しです
鳳凰堂
六角堂
鐘楼
梵鐘
梵鐘について
茶房 藤花
旧南門
旧南門について
浄土院養林庵書院
桃山城の遺構と伝えられる。非公開でした
浄土院養林庵書院について
塔頭 浄土院
浄土院
救世船乗観音
奥には立派な阿弥陀如来像
救世船乗観音について
羅漢堂
茶師星野道斎とその息子たちにより建立
太敬庵通圓の墓
源頼政の家臣・古川右内のお墓
ぐるっと回って横から見た鳳凰堂
平等院ミュージアム鳳翔館
素晴らしい展示物の数々でした
ショップも良かったです
後ろから見た鳳凰堂の屋根
金銅鳳凰
鳳凰堂周りの池には鯉が
不動堂
不動明王を本尊とする最勝院の本堂
手水鉢
不動堂
お不動さま
地蔵堂
は地蔵菩薩坐像をお祀り
源頼政の墓地
源頼政の墓地について
塔頭 最勝院
天台宗系の単立寺院
御朱印帳
御朱印
御朱印
9月の4連休明けの23日の朝にお邪魔したので、観光客も3~4人程度。
とてもゆったりと散策を楽しむことができました。
平等院では、拝観の証明として「印」を紡いでいく、という意味で「朱印」ではなく、
「集印」という言葉を古くから使っているそうです。
「鳳凰堂」と「阿弥陀如来」の2種から選ぶことができ、手書きしていただけます。
もちろん、2種類とも頂くことができます。
京都府のおすすめ2選🎏
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
0
0