びょうどういん|単立|朝日山
平等院のお参りの記録一覧(4ページ目)
宇治・平等院に参拝。鳳凰堂の中にも入れました。10円玉のモデルや、一万円札の鳳凰のモデルを初めて見ることが出来ました。藤棚の藤の花ちょうど綺麗に咲いてました。鳳凰堂の御朱印帳を購入、鳳凰堂と阿弥陀如来の2種類の御朱印書込みでいただきました。
10円玉のモデル〜鳳凰堂
鳳凰堂の屋根の鳳凰は1万円札の意匠
鳳凰堂の御朱印
鳳凰堂御本尊〜阿弥陀如来の御朱印
御集印帳〜鳳凰堂のデザイン
藤棚
鳳凰堂〜横から
南門
JR宇治から宇治橋通りから平等院表参道を通って平等院に参拝した。道すがらお茶屋が多いのはさすが宇治という感じであったが他には鰻屋が多いのも目についた。
宇治橋通りから平等院表参道に入る所にある立派な鳥居
同じ場所にある世界遺産の碑
平等院の表札
平等院の周りにはお茶屋が多いがその中で異色を放つスターバックス
表門
拝観券、大人600円、中高生400円
10円硬貨にも描かれている平等院鳳凰堂
頂いた御朱印と平等院鳳凰堂のツーショット
平等院鳳凰堂の屋根に据えられている金色の鳳凰
平等院の説明パンフレット
常設展示品の解説がスマホで聞けるQRコードが書かれています。
暑かったので帰りの道すがら駅近くの伊藤久右衛門茶房で宇治金時 濃い抹茶アイス入りを食べて涼をとる
正寿院の次は平等院鳳凰堂へ移動🚗
前回訪れた時は秋のライトアップの時間帯だったので入るまでに長蛇の列、立ち止まる事も許されず、とにかく人の多さに驚きました。
今回の参拝も他の寺社よりは人出は多かったですが、ゆっくり散策できました。
10円玉の硬貨表面には、『平等院鳳凰堂』が描かれています。日本を代表する文化財であること、建物に特徴があることを理由として、昭和26年に選ばれたそうです。
こうしたことから、『平等院鳳凰堂』は日本人にとって身近な寺院といえるかもしれません。
平安後期の1052年、最大権力者であった関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が父・藤原道長(ふじわらのみちなが)から継いだ別荘を仏寺に改めたのが『平等院』です。
そして翌1053年、当時の最高技術を持った仏師・定朝(じょうちょう)が造り上げた『阿弥陀如来坐像』(あみだにょらいざぞう)を堂内に安置した『鳳凰堂』(阿弥陀堂)が完成しました。
『鳳凰堂』が人気を集める由縁は、何といっても極めて華美なそのたたずまいにあります。
当時は末法思想が貴族や僧侶らの間で広まっており、1052年から末法になると信じられていました。そのため死後に極楽往生を願う浄土信仰が広く浸透します。阿弥陀如来を信仰すれば極楽に行けるとされ、各地に阿弥陀堂が造られましたが、鳳凰堂もその一つです。
国宝『鳳凰堂』は、摂関時代(平安中期)の建築を知ることができる存在であると同時に、約1000年のときを経ても今もなお豪華絢爛な様式が見る者の心を奪う貴重な建築物だともいえるでしょう。
建立当時から修復を行っていないわけではないですが、赤を基調とした鮮やかな色調を再現するなど、『鳳凰堂』は平安の頃の風合いをできるかぎりそのまま受け継ぐようにしているとのことです。
そして堂内には金色の『阿弥陀如来坐像』が安置され、壁などに『九品来迎図』(くほんらいごうず)や『極楽浄土図』が描かれており、建物内にも優美な世界観が広がっています。
また、池の中島に建立されていることで、水面に逆さになった姿が映し出され、本当に極楽にある寺院のようなおもむきなのです。
平安時代に記された『続本朝往生伝』(ぞくほんちょうおうじょうでん)という本には、「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という一節があります。
これは「極楽浄土の存在を疑うのならば『平等院』をお参りしてみなさい」といった意味であり、つまりは『平等院』を極楽浄土のような美しさだと表現していたのでしょう。
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